かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

彫刻放浪:札幌

  • 札幌へ行ってきた。秋の北海道シリーズ第5弾、最終回である。格安航空券を手に入れたので、札幌の野外彫刻を補遺的に観てこようかな、というのが今回の旅行のゆるいテーマ。当初は、札幌芸術の森の野外美術館で、改めて野外彫刻をじっくりと観たいともくろんでいたのだが、なんでも11月3日で今年の開館は終わりらしく、これはまた次回、ということになった(思い切って、冬シーズンのかんじきウォーキングに参加してみようかな…などと妄想中)。2日間とも、雨が降ったり、止んだり、晴れたり、曇ったり、という猫の目のような天気で、野外彫刻を観て回るには今ひとつの天気だったが、懸案だった大倉山ジャンプ競技場にも行けたし、以前、雨で途中で引き返したことのある石山通り沿いの野外彫刻も観ることができたしで、だいたい予定どおりに彫刻を観て回ることができた。ということで、まあまあ楽しい旅だったか。
  • では、出発! 最寄り5:30のバスで成田空港T3へ移動。保安検査場を通過して、出発ゲートの161付近で一寝入り。今日は、Jetstar GK105便、成田8:05→9:45新千歳の予定。25分前に搭乗が始まり、8:15に成田空港を離陸、順調なフライトで、9:28頃には新千歳空港に着陸し、9:35過ぎには到着ロビーに出ることができた。ちょうど9:40発の地下鉄福住駅経由の札幌方面行きのバスが出るところだったので、これに乗車する。小一時間で、地下鉄福住駅に到着。新千歳空港あたりは晴れていて、やったね、と思っていたのだが、札幌は曇っている。天気予報では降水率は10%だったのだが…福住からは地下鉄に乗る。一日乗車券、830円を購入。まず豊水線を1駅乗って、月寒中央駅で下車する。
  • つきさっぷ中央公園 駅のすぐ近くの公園で、ここで最初の彫刻を観覧。


一級国道三十六号線月寒地内拡幅舗装竣工記念碑《和處》(1958.11.1建立)。豊平町(1961年5月1日、札幌市と合併)による。制作は山本一也。

  • 月寒公園 続いて、10分ほど歩いて、月寒公園に向かう。公園に入る前に西側にある山内壮夫設計の《労農運動犠牲者之碑》を観覧。実は、この碑を観るのが、今回の旅行の大きな目的のひとつだった。続いて、月寒公園を散策しつつ、園内に散在する碑の類と野外彫刻を見て回る。起伏のある大きな公園で、目指す野外彫刻がどこにあるのかがちょっと心配だったが、公園の東側のトイレの近くにあった案内図に位置が示してあったので、これを参考に《永遠の像》を見つけることができた。もう1基、池の中に、木内禮智の《壺を持つ女》があるはずだが、どうも周囲で改修工事をしており、その影響か(どうかはわからないが)、像がなく、観ることができなかった。やむなく、地下鉄美園駅まで歩くが、途中、微妙に道に迷い、ずいぶんと歩いて、早速疲れるなど。


《労農運動犠牲者之碑》(1949建立、1969.9現在地に移設)。碑の設計は山内壮夫。碑正面には「だれが斗わずにいられよう 斗うであらう 斗わねばならぬ」とある。設置場所は、月寒公園の東側の、マンションと幼稚園に挟まれた小さな園地。


月寒公園の東側、「月寒公園」名標と紅葉。


竹中敏洋《永遠の像》(1962.9建立)。札幌市と豊平町の合併にあたり、豊平開拓の先人の遺業をたたえ、豊平町の発展的終焉を記念して建立されたとのこと(説明板による)。


會田雄亮《モニュメントタワー》(2000)


関根伸夫《北斗の庭》(2000)。水の流れる庭(10〜5月は水が止まっているが)に北海道の北の天空をモチーフに、スポーツにおける人間の行為を表した7つの彫刻が設置されている(説明板)。そのうち、写っているのは、手前からぎざぎざの菱形「栄光」、地中から少し顔を出している「気力」、アーチ状の「躍動」…他に、「技」「希望」「勇気」「緊張感」が設置されている。


《豊平墓地跡記念碑》(1999.10設置)。作者は不詳。

  • 大倉山ジャンプ競技場 再び地下鉄で豊平公園→大通→円山公園と移動。円山公園からは、JR北海道バス・円14荒井山線で、大倉山競技場入口バス停まで。210円SUICA。ここから坂道を10分ほど上がって、大倉山競技場に到着。再び雨が降り出す。遠くの市街地は晴れている陽が差しているようだが、競技場のあたりは黒い雲に覆われている。とりあえず、お目当ての野外彫刻を観覧し、オリンピックミュージアムの建物にある休憩所に逃げ込む。しばらくリフトに乗って、上の展望台まで行くかどうか思案するが、雨が強いこともあり、今回は見送ることにした。傘をさして、次の目的地の本郷新記念札幌彫刻美術館に向かう。


大倉山から札幌市街を眺める。



國松明日香《NIKE》(2005設置)。タイトル板に「詩碑「虹と雪のバラード」に捧げる勝利の女神NIKE」」とある。写真下の奧に見えるのが、「河邨文一郎「虹と雪のバラード」詩碑」(2005.9.11建立)。詩碑のデザインも國松明日香。村井邦彦が作曲し、トワエモアが歌った「虹と雪のバラード」は1972年札幌冬季オリンピック大会の歌で、この詩碑に近づくと、歌が流れてきた。


大倉山ジャンプ競技場 上の展望台までリフトで行ける。ちょうど雨がけっこう強く降り始め、しばらく様子をうかがったのだけど、今回は止めておくことにした。決して、リフトに乗るのが怖かったのではありません苦笑


《大野精七博士顕彰碑》(1981設置)。大野精七博士顕彰碑建立期成会による。レリーフの制作は、佐藤忠良

  • 本郷新記念札幌彫刻美術館 競技場からしばらく坂を下ると閑静なお屋敷街になる。ここをさらに下ると、すぐに美術館に着いた。競技場から10分ほど。美術館の前に、宮の森緑地の西側出入り口の彫刻を先に観てから、美術館、記念館の順で回る。美術館では、ちょうど「本田明二展」が開催中だった。本田明二の野外彫刻はけっこう観ているが、木彫などの作品は旭川で少し観たぐらいで、今回、まとめて観ることができたのはなかなかよかった。この展覧会に合わせて、本田明二ギャラリーの開いていたようなので、立ち寄ればよかった、と帰宅後気づくのは、いつもの通りの鈍くささ。美術館・記念館前の野外彫刻はぼちぼち冬支度が始まっていたが、前回来た時に見落とした(なかった?)作品も含め、今回はきちんと全作観覧。よしよし。また、美術館周辺の本郷新作品も再訪した。
  • 美術館前の野外彫刻


手前左の建物が美術館、奧に見える建物が記念館(旧アトリエ)。それぞれの前庭に本郷新の野外彫刻が数基設置されている。


本郷新《ライラック像のトルソー》(1964)


本郷新《砂》(1957)


本郷新《戦没学生祈念像 わだつみの声》(1950)。タイトル板に「なげけるか いかれるか はたもだせるか きけ はてしなき わたづみのこえ」とある。


本郷新《堰》(1957)


本郷新《裸婦》(1958)

  • 本郷新記念館の野外彫刻


本郷新《横たわるトルソー(風雪の群像部分)》(1970)


本郷新《男のトルソー(風雪の群像部分)》(1970)


本郷新《男のトルソー(風雪の群像部分)》(1970)


本郷新《鳥の碑》(1963)。追記(2020.10.6):このコンクリート製の《鳥の碑》は転倒するなどしたため、石膏原型からブロンズ像が鋳造され、2020年10月6日に置き換えられたとのこと。→



  • 彫刻の道とその周辺の本郷新作品 本郷新記念札幌彫刻美術館の周辺の道は、1988年に札幌市が整備したもので、「彫刻の道」として親しまれているとのこと。


記念館のすぐそこ、宮の森緑地の東側出入り口の、本郷新《鳥を抱く女“朝”》(1962)


街路灯。灯火の上の雨よけが、彫刻で使うヘラをもとにデザインされているのだとか。


マンホールには、大通公園テレビ塔と本郷新の《泉の像》が描かれていた。


彫刻の道の途中、小さな三角緑地の、本郷新《奏でる乙女》(1954)


宮の森緑地の西側出入り口の、本郷新《太陽の母子》(1976/1990.12建立)


これは彫刻の道から少し離れるが、宮の森まちづくりセンター前の、本郷新《鳥を抱く女》(1966)

  • 大通り(北1条宮の沢通りのことね)まで歩いて、バスで円山公園駅まで行くつもりでいたのだが、目の前をバスが走っていく(こんなんばっかりだ笑)。で、バス停の時刻表をチェックしたら、次のバスまで20分待たなければならない。一応、厚着はしてきたが、立って待っていると、なにしろ寒い。ということで、とぼとぼ歩き出し、結局、円山公園駅まで歩いてしまう。アメリカの領事館の前を歩いていたら、警備のおまわりさんにこんばんはと声をかけられるなど。ひょっとして怪しかった? このあたり、もう少し見て回りたいところもあったのだが、途中で再び雨が降り出したこともあり、また、16:00を過ぎるとだいぶ暗くもなり、野外彫刻どころではないので、あきらめてホテルに向かうことにした。円山公園→大通→すすきのと移動。すすきので下車して、狸小路の某カレー店で安いカレーを食らい、ホテルまで歩く。狸小路のアーケード街、中国からの観光客が多いよね。
  • 今回宿泊したのは、三岸好太郎生誕の地近くのホテルで、復興割りを利用して、格安で宿泊することができた。部屋は7Fで、ちょっと狭かったが、設備は新しく、バスタブも大きめだったし、サービスも含め、問題なし。今日の復習をしているうちに、早々に寝入る。