かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

彫刻放浪:お茶の水→竹橋/九段下/飯田橋→水天宮

  • まず、最寄りから西船橋に出て、東京メトロ利用で(24時間券を買った)、大手町経由で新御茶ノ水駅まで。最初の目的地は、三井住友海上駿河台ビルの屋上庭園。高層ビルの敷地の地上部分に2階建ての回廊?があり、その屋上が緑地化され、庭園として一般にも公開されている。専用のエレベーターがあり、ここから屋上庭園に上がることができる。屋上に上がると、鬱蒼と木々が茂り、その中に遊歩道が作られ、ベンチが置かれている。下にいたときよりも、鳥の声がよく聞こえる。さて、ここでのお目当ては、地上部分に設置されている清水九兵衛作品を観覧すること。瓢箪型の池と龍のような大きなオレンジ色の彫刻。先ほども書いたように木々の緑で少し見づらかったのは、ちょっと残念。次回、冬枯れのときにでも、再訪してみよう。


三井住友海上駿河台ビル・屋上庭園の案内板


清水九兵衛《朱龍》(1984

木が茂っていて、正面からはこんな感じ。

  • 続いて、お茶の水周辺の野外彫刻を探る。このあたりには、企業やオフィスビルパブリックアートの他にも、日大歯学部や多くの病院があり、その入口などに博士の銅像が数多く立っている。人物の経歴や建立の経緯などを網羅的に見れば、それなりにおもしろい発見もあるかもしれないが、今回は一つ二つみたところで、他はパスすることに…そのうちにね笑


三井住友海上駿河台ビル新館南側の、高橋秀《“La Partenza” —未来へ—》(1988)


中央大学駿河台記念館の、山下恒雄《護法の像》。山下恒雄(1904-1994)は金属工芸家(鍛金)で、東京藝大名誉教授。いるか長官の師匠だとか。検索すると、神田周辺をはじめ、多くの作品が野外に設置されているようだ。しかも、この蟻の護法神?みたいに、ちょっと変なのが(失礼)、多い。おもしろい。



お茶の水ビルディングの、流政之《酒は涙》(1972-84)。ここに水を張ることはあるのかな?

ビルの周りをぐるっと歩いたら、もう一つ、流政之作品があった。新お茶の水ビルディングの、流政之《肌あわせ》(1973-84)。2作とも、タイトルがなんだか凄い気が…笑 新御茶の水ビルディングには、エントランスロビーにブールデル《弓をひくヘラクレス》(1909)などもあったが、屋内設置のものは、今回は割愛。


ワテラス(北側)の、西野康造《SWING IN THE AIR》(2013)

ワテラス(南側)の、鴻池朋子《ワイルド シングス - 地形の魔力》(2013)。





ワテラス南側の淡路公園内にも、銘板は見当たらなかったが、いくつか作品?らしき野外彫刻/オブジェが設置されていた。



北の丸公園の、《吉田茂》(1981.9設置)。像の制作は、舟越保武


九段坂公園の、《子爵品川弥二郎卿像》(1907設置)。西郷従道らの呼びかけによる。原型制作:木山白雲、鋳造:平塚駒次郎、監督:高村光雲関東大震災の際に、破損したが、木山白雲が自費で修復・再建した。どういうわけか、戦中の供出を免れ、また、戦後も文官扱いで撤去されず、今もここに建っている。


同、大山巌像(1918)。陸軍大将井口省吾らの呼びかけによる。制作は新海竹太郎。1919年11月参謀本部構内に設置、戦後は撤去されていたが、1969年現在地に再設置された。


同、高燈籠(燈籠明治)。1971年(明治4)、東京招魂社(現・靖国神社)の常夜灯として建設。道路改修のため、1930年(昭和5)、現在地に移設された。


靖国神社の、《兵部大輔大村益次郎銅像》(1893)。日本初の西洋式銅像と言われる。像の制作は大熊氏廣、鋳造は東京砲兵工廠が担当。




同、「慰霊之泉 —戦没者に水を捧げる母の像—」(1967.4.18建設、2014.6.10改修)。東京キワニスクラブによる奉納。設計は井上武吉、施工は北野建設株式会社。

  • 飯田橋で、東西線に乗ったところで、まだ時間の余裕があることに気づき、次の九段下で下りて、半蔵門線に乗り換え、水天宮まで。少し歩いて、前回このあたりに来た時に見逃した、トルナーレ日本橋浜町前の安田侃作品を観覧。雨がだんだん強くなってきた。



安田侃《翔生》(2005.12.12設置)

  • ここらで、今日の彫刻放浪はおしまい。人形町駅まで歩き、日比谷線秋葉原まで。適当な夕食を適当に食らい、コーヒー休憩を挟んで、最後の目的地へ。