かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

今市→日光→宇都宮

  • 日光には何度か行っているが、ずいぶん前のことで、あまり記憶が残っていなかった。だから、東照宮輪王寺など、近いうちに改めて行ってみたいと思っていた。猛暑で何処にも出かける気になれず、呆然とネットを見ていたら、関東近郊のお奨め避暑地みたいな記事があり、日光ってけっこう涼しいらしいと知る。そんなわけで、18きっぷを利用して、安上がりに、ちょっとでかけてみるか、ということになった。現在開催中の栃木県立美術館の展覧会も観たかったので、併せて立ち寄ることにした。
  • せっかくでかけるので、野外彫刻はないかと調べていたら、日光市教育委員会生涯学習課が、「日光散歩 彫刻との出会い 日光市野外彫刻マップ」(2009)という冊子?を出していることを知った。残念ながら、冊子の現物を見ることはできなかったが(こういうのは、pdfを置いておいてほしい)、日光市にはマップを作るほど野外彫刻があるのかと、さらにネットを検索していると、JR今市駅前や杉並木公園にいくつか野外彫刻のあることがわかったので、今回の旅行の予定に繰り入れることにした。
  • さて、出発。最寄り始発で東京駅に出て、上野駅まで移動。山手線に乗るつもりだったが、事故で止まっていたので、上野東京ラインの高崎行きで上野まで行き、上野始発の宇都宮行きに乗り換えた。6:08発の列車で、同じホームでの乗り換えだった。電車はそれほど混んでいなかった。車中は爆睡で、気がついたら宇都宮だった。7:51到着。宇都宮8:28発の日光線日光行きに乗り換え。8:59今市に到着。
  • JR今市駅前の野外彫刻 JR今市駅前に数基の、小さめの野外彫刻が並んでいた。以下、東から西へと掲載するが、これらは2004-5年に設置されたようだ。行政による設置だと思うが、だとすると、わりと後発の設置で、作品の傾向もそれを反映しているようだ。


横山大観ガラパゴス祈亀》(2005)。名前を見たとき、えっと驚いたが、もちろん画家のあの人ではなく、同姓同名の別の人で、こちらの人は、1973年富山県井波町生まれの現代彫刻家。参考>公式HP


阿部光成《想う人》(2005)


田豊《季節の使者》(2004)


竹内智美《笑顔》(2005)


三沢厚彦《Animal-2004》(2004)


中山圭一《aqua》(2004)


原真一《耳を見るウサギ》(2004)


菱山裕子《ペイ》(2004)

  • 杉並木公園の野外彫刻 JR今市駅から徒歩で10分強の杉並木公園に向かう。杉並木公園は、旧今市市が、杉並木の保護と地域の文化継承のために整備したもので(ちなみに、今市市日光市足尾町、藤原町、栗山村が合併したのは2006年3月20日のこと)、公園の南側に杉並木があり、公園内には水車や移築された古民家、ちょっとした植物園などがある他、数基の野外彫刻が設置されている。まず、杉並木の下を公園の東端から西端まで歩き、公園の西側から野外彫刻を観つつ、ふらふらと戻ってくるというルートをとった。


杉並木公園・案内図。アルファベットのA〜Iが野外彫刻の位置を示す。すべて石彫の作品だった。


杉並木はこんな感じ。木陰でなくても、だいぶ涼しかった。公園まで自動車で来て、杉並木の下をウォーキングするお年寄りが多かった。


関孝行《ローラ》(2001)


佐藤正和《オオクワガタ》(2001)


浅川洋行《貝殻》(2002)


手塚登久夫《梟 2005》(2006.3.13寄贈)。手塚登久夫(1938-2015)は今市市(現・日光市)出身の彫刻家、大学教員(東京藝術大学美術学部彫刻科、2005年まで)、2004年の退会まで二科会に所属。梟をモチーフにした石彫で有名。ということで、今日、これから出会う野外彫刻に手塚作品が多くあるわけだが、これが本日最初の作品。没後、その生家(旧旅籠白川館他)と作品が日光市に寄贈され、日光市ではこれを整備して、記念美術館を2018年11月に開館する予定とのこと。


栗原俊明《カン蛙》。宮沢賢治の童話「蛙のゴム靴」をモチーフにしたものとのこと。


石仏もあった。


塚本悦雄《夢想家》(2002)


内山士郎《象》(2001)


手塚登久夫《梟の森》(1999)


手塚登久夫《月に吠える(II)'96》(2006.3.13寄贈)


杉並木公園の東側にある東武上今市駅から東武日光まで電車に乗ることにした。10:32発。6分ほどで、到着。

  • 日光を観光する 神橋→輪王寺東照宮→大猷院→二荒山神社、と回った。人も多く(欧米系の外国人が目立つ。アジア系はほとんどいなかった)、あまりゆっくりと観て回ることはできなかったが、だいたい一通りは見学したかと。輪王寺・大猷院が900円(セット券)、東照宮が1300円。他に、宝物館だの、別途料金が必要な箇所はパスした。輪王寺の本殿の三仏殿は、平成の大修理中で足場で覆われていたが、10年計画の9年目ということで、中には入ることができ、解説付きで拝観することができた。そういえば、輪王寺(2箇所)、東照宮、大猷院と4箇所で解説を聞く機会があったが、どれもこれも解説の後半はお守り類のセールストークになっているという…ふん、二度と来るものか…笑 東照宮は建築や装飾彫刻など観るべきものが多かったが、なにせ人が多く、難渋。順路に従って、奥の院まで行ったが、急な階段が延々と続き、これで膝が死んだ…苦笑 個人的な見どころは、大猷院の金閣殿の拝殿にあった金碧の唐獅子図で、左右に3面ずつ、向かって右側の3図が探幽画で、左側の3図が安信画とのこと。間近で観ることができ、なかなかよかった。それにしても、探幽に比べると、安信はやはりへたっぴだ(失礼)。東照宮の陽明門天井画も探幽画だが、これは見られず。復元の映像展示などがあったが、これまた別料金なのでパス…日光、世界遺産指定ということもあってか、強気の料金設定。やたらとオプション料金をとりやがる…って、入らなかったけれど。
  • 日光の野外彫刻 ということで、周辺の野外彫刻をいくつか。


国道119号線沿いの街灯の設置された龍頭。国道119号線、下り車線はずっと車が連なり、渋滞していた。駅から見学場所までけっこう距離があるのだが、これではバスに乗ってもイライラするだけだなと、結局、往復歩いたのだった。


神橋東詰の、《天海大僧正之像》。制作は倉沢実。倉沢は日光出身の彫刻家。


同、《板垣退助君》。戊辰戦争の折、日光廟に立てこもった大鳥圭介らの旧幕府軍を説得し、社寺を兵火から守った功で、1929年(昭和4)に、本山白雲原型制作の初代銅像が建立されたが、例によってこの像は昭和19年に供出され、溶けて消えた。現在の像は2代目で、1967年に再建されたもの。制作は新関国民。



小杉放菴記念美術館・野外彫刻の、手塚登久夫《梟の森 2005》(2005)


小杉放菴記念美術館・野外彫刻の、手塚登久夫《梟 2001(I)》(2001)


輪王寺前の、《日光開山 勝道上人之像》と水盤。作者など、詳細は不明。


例によって、消火栓。これは二荒山神社近くに設置されていたもの。


で、JR日光駅まで歩いて戻ってきた。ちかれた。

  • 栃木県立美術館の野外彫刻 栃木県立美術館の野外彫刻は、美術館の周辺(無料ゾーン)と、常設展示の一部(有料ゾーン)に展示してある。有料ゾーンの展示も外から見えるし、また、美術館内にもいくつか彫刻作品が展示されている。では、無料ゾーンの展示から。


桜美公園入口の、飯田善国《星と人間の間》(1970.10)。施工は日本冶金株式会社。桜美公園は美術館の隣の公園。


リチャード・ディーコン《カタツムリのように(A)》(1987)


関根伸夫《空相-円錐》(1974.9)


堀内正和《ジグザグ立方体》(1974)


手塚登久夫《梟の森 2002》(2002)


保田春彦《ある街の片隅・忘れられた祠》(1974)



清水九兵衛《Affinityの継続-A》(1976)。ここからは常設展示の野外彫刻。


青木秀憲《[いずみ]"IZUMI"》(1981)


飯野喜美子《グリーン・ベルト(1)》(1976)


杉浦康益《陶による石の群》(1983)


高橋清《親和》(1974)


小林泰彦《インヴォケーション(祈り)》(1981)


三木俊治《行列》(1984


エミール=アントワーヌ・ブールデル《ペネロペ》(1907-1912)


銘板が見つからなかった…

  • 宇都宮のその他の野外彫刻 美術館から宇都宮中央公園まで徒歩で移動。10分ほど。いささか疲れた。途中で、水筒のお茶も尽きたので、ついカルピスソーダなどを自販で買って、飲んでしまう。中央公園で、日時計モニュメントの像を観た後、公園前バス停17:25発の関東バス宇都宮駅まで戻る。道が混んでいて、30分ぐらいかかる。210円。関東バスSUICA不可だった。宇都宮駅西口のペデ上を探る。これで、本日の予定は終了。


宇都宮中央公園の、日時計モニュメント《陽光のうた》。作者などは不詳だが、女性像の足下に「宏」のサインあり。


宇都宮駅西口ペデストリアンデッキの、《餃子像》。説明板によると、TV東京「おまかせ山田商会」(1993-94放映)の企画で、地元の大谷石を使って、餃子の皮に包まれたビーナス像を制作したものだとか。




宇都宮駅西口ペデストリアンデッキの、《ひびき》。塔頂の群像は高橋剛、塔下部の群像は篠崎明雄の制作。

  • 餃子を食らって、帰宅する。