彫刻放浪:小田原→平塚→大船→港南台→桜木町→町田→片倉→三鷹
- 梅雨の中、今日は一日まあまあの天気になるようなので、平塚市美術館と町田市国際版画美術館に展覧会を観にでかけた。休日おでかけパスを利用するので、せっかくだからと、付近の、以前から気になっていた野外彫刻も併せて訪ねてきた。
- 最寄り始発で東京駅に出て、東海道線に乗り換えるつもりだったが、なんだか様子が変だ。品川駅の切り替え工事のため、東海道線は7:40頃までは品川始発になるとのこと。慌てて、山手線で、品川に向かい、6:16発の熱海行きに乗車した。小田原で、大雄山線に乗り換え、2駅めの井細田駅で下車。小田原-井細田間は140円(SUICA)。大雄山線は初めて乗車。3両編成だった。駅から徒歩で、最初の目的地の小田原市立病院まで移動。10分弱。
大雄山線の小田原駅では、鉄道むすめがお出迎え。
井細田駅は無人駅だった。
- 小田原市立病院の野外彫刻 神奈川県と開催自治体の共催で、1987年から3年に1回、野外彫刻展を開催した。最初が1987年秦野市で開催された「丹沢野外彫刻展」、次が1990年小田原市開催の「小田原城野外彫刻展」、第3回が1993年平塚市開催の「湘南ひらつか野外彫刻展」。この3回で、野外彫刻展は終わってしまったが、それぞれの野外彫刻展で展示された作品は市内各所に設置され、現在でもその多くを観ることができる。この野外彫刻展は、公募方式で、まず作品案(マケット)を募集し、集まったものの中から実行委員会が20前後の作品を選び(入選作)、本作品が制作され、展覧会で展示、その中からいくつかの賞が選ばれる、という流れだったようだ。小田原の場合、小田原城で開催された展覧会の後、市内の公共施設や公園などに移設されている。その中のいくつかを観覧しようというのが、今日最初の目的。小田原市立病院の駐車場/前庭には3基の彫刻が設置されていた。
>小田原市 野外彫刻作品
藤原吉志子《卵を生む家》(1990) ※'90 小田原城野外彫刻展・入選
二口金一《北へ・・・》(1990) ※'90 小田原城野外彫刻展・入選
斎藤史門《月》(1990)。歩道に沿って設置されているので、作品の表側は斜めから撮影。下は裏側。※'90 小田原城野外彫刻展・入選
中岡慎太郎《兵ども》(1990)。マイブーム中の中岡慎太郎作品、今日の1作目。日曜日なので、小田原市の軽自動車群の中に立っていた。今まで観た中でいちばんでかい。大魔神?な感じ。 ※'90 小田原城野外彫刻展・入選
家住利男《光と水と空気》(1990) ※'90 小田原城野外彫刻展・入選
小田原市の姉妹都市碑。小田原市は、栃木県日光市とUSA・カリフォルニア州のチュラビスタ市と姉妹都市とのこと。碑の作者などは不詳。
安田周三郎《なぎさ》(1986.6設置)。木陰に隠れて、設置されていた。台座表の銘板は当時の市長、中井一郎の書だが、設置経緯などは、わからない。ちなみに、安田周三郎は、安田財閥の安田善三郎の4男で、オノヨーコのおじさん。
《北條早雲公》(1990.4建立)。小田原市市制50周年を記念して、北條早雲像建立期成会が建立。制作チームは、原案:般若純一郎、原型:石黒孫七、製作:株式会社竹中制作所(後に銅器部門が分社して、株式会社竹中銅器になる)、基台整備:小田原市建築共同組合。銘板の題字は、中河与一が書いた。像は、千頭の牛の角に松明を灯して、攻め込んだ小田原城攻略(1496年?)のときの姿をイメージしたものとのこと。同じ台座の上に牛が3頭もいる…
- 平塚駅周辺で観た野外彫刻 JRで小田原から平塚へ移動。まずは南口方面を探る。続いて、北口の峯田義郎作品を観て、美術館に向かう。途中、朝食を抜いてきたので、朝食を食べ、いつもと違う細い道をうろうろしていたら、公園があったので、覗いたら、ここにも峯田作品があった。
参考>平塚市 広報ひらつか No513・1993.10.15(PDF) 広報ひらつか No857・2008.2.15(PDF)
JR平塚駅南口噴水広場の、澤田政廣《海の讃歌》(1962.3設置、1970移設)。平塚市制施行30周年(1962)を記念して、当初は平塚駅北口広場に設置、1970年に北口広場地下道の開通に伴い、南口に移設された。真っ黒で、すまぬ。
平塚駅南口から海岸までの通りは、人魚のイメージ。
山崎隆《向かい合う存在》(1993) ※'93 湘南ひらつか野外彫刻展 平塚駅南口から350mほど南に歩いた代官町交番前交差点の南西側に設置されている。湘南ひらつか野外彫刻展は、1993年平塚市総合公園で開催。募集の際に、400を超える作品(マケット)が寄せられ、その中から、20作品が選ばれ、作品が制作・展示された。先の秦野展、小田原展同様、展示作品は現在でも平塚市内の公共施設や公園で観ることができる(この作品の場合は、公共施設でも公園でもないが…)。この後でも、出展作のいくつかを観て回るつもり。
JR平塚駅北口の、峯田義郎《星たちの明日》(1990/1990.7設置)。平塚七夕まつり40周年記念。
平塚市明石町新宿公園の、峯田義郎《明日の空へ》(1987)
- 平塚市役所と平塚市文化公園、その他の野外彫刻 平塚市役所前から中学校の間の道を抜けて、文化公園まで歩く。このあたりの野外彫刻は以前も探ったが、今回も改めて観覧。その中から、主なものを掲載。湘南ひらつか野外彫刻展展示作品は、市役所前に1点、文化公園内に3点、設置されていた。
平塚市役所前の、中村ミナト《REVOLVE》(1993) ※'93 湘南ひらつか野外彫刻展・大賞 市役所の建て直しにもめげず!?、戻ってきたぜ! 銘板がなく、その場で作品名など詳細がわかならいのが、ちょっと残念(離れたところに、周辺図があり、彫刻「REVOLVE」と記してあったが…)。
平塚市文化公園の、三梨伸《森の住人》(1993) ※'93 湘南ひらつか野外彫刻展・優秀賞 この作品は前回訪問の際も掲載した。
平塚市文化公園の、渡辺行夫《円の拘束衣》(1993) ※'93 湘南ひらつか野外彫刻展
平塚市文化公園の、原一史《記憶の風景》(1933) ※'93 湘南ひらつか野外彫刻展
平塚市文化公園の、菅沼五郎《夢の女》(1982) コンクリート彫刻の裸婦像。前回も掲載。シェーをしているようにも見える(ごめんなさい)。
平塚市文化公園の、円鍔元規《ハイ!ポーズ》(1979.4.1設置)。日産車体株式会社が創立30周年を記念して、寄贈。
平塚市文化公園の、《立志》(1971設置)。製作は亀貝保。平塚ロータリークラブの寄贈。銘板によると、平塚ロータリークラブが提唱する立春式(14歳の少年期から青年期に移行する少年少女に自覚と立志を呼びかける式)の趣意を具象化したものとのこと。立春式は、立志式ともいい、実際に行っている中学校や地方自治体もあるようだ。し、知らなかった苦笑
平塚市福祉会館横の、鎌塚昌代司《集光影体》(1993) ※'93 湘南ひらつか野外彫刻展・優秀賞 スリットが多数あり、そこから光が内部に入り、影を作るのだろうか。後ろに出入り口があるので、実際には中に入って、その様子を体験することができたのかもしれない。現在は柵で囲われ、出入り口には鍵がかかっている。美術館から駅に戻る途中で観た。
平塚市八幡山公園の、「平塚戦災復興事業完成記念」碑(1972.3設置)。これも、美術館から駅に戻る途中で観覧。
- 平塚市立美術館にて
美術館前の芝生広場。
樋口健彦《大黒玉 DAIKOKU-DAMA》(2008/セラミック、墨)。前回来た時はタイトル板が見当たらず、作者・作品名などがわからなかった作品。今回は、タイトル板、見つけた!
佐藤忠良《緑》(1989)。前回来た時にも掲載したが、もちっとましな写真が撮れたので、今一度掲載。
平塚市美術館エントランスの、三沢厚彦の一角獣・2頭。受付で写真撮影の可否について尋ねたところ、基本的に館内の撮影はご遠慮いただいているとのことだが、これはOKだった(展覧会自体は撮影OKのものもあり)。三沢厚彦作品の他に、佐藤忠良、舟越保武、淀井敏夫らの小品が館内各所に展示したあった。
鎌倉市大船中央病院前交差点西側の、吉原生城《対話》。タイトルは、最初「ファッキュー!」かと思ったら(ごめんさない)、立てているのは人差し指だった。鎌倉芸術館周辺をSVで予習中に見つけた作品。
鎌倉芸術館前の、李禹煥《関係項-Relatum》(1993.8)
鎌倉芸術館前の、黒川晃彦《椅子から落ちても彼はアルトをはなさなかった》(1993.8) おじさんっ、大丈夫ですか?
- 港南台の野外彫刻 港南台の駅前と駅近くの道路に設置された野外彫刻を観覧する。これらの彫刻は1991年に開催された第2回横浜彫刻展・YOKOHAMA BIENNALE '91で制作・展示された作品。横浜市は市制100年を記念して「横浜彫刻展 YOKOHAMA BIENNALE」を1989、1991、1993、1996年の4回にわたって開催した。この野外彫刻展も公募方式で、展覧会後の市内各地への設置が前提で、第1回が大倉山、第2回が港南台、第3回が鶴見、第4回が栄区と、回ごとに場所を変えて、市内の街なかに集中的に設置されている点がおもしろい。今回は6作を観覧したが、以前はあと2作あったようだ(1作は破損のため、撤去。もう1作は移設)。
>参考:横浜市港南区 区内の彫刻 >横浜港南台商店会 造形美の映える街
港南台駅前の、中岡慎太郎《せれなあど》(1992.5設置) ※横浜彫刻展 YOKOHAMA BIENNALE'91・受賞作品 今日の2作目。横浜には、まだまだ中岡慎太郎作品があるけれど、今日はこれで終わり。
港南台駅前の、堀義幸《次元のリング》(1992.5設置) ※横浜彫刻展 YOKOHAMA BIENNALE'91・受賞作品
港南台駅西側歩道の、西巻一彦《宿借り(住めば都)》(1992.5設置) ※横浜彫刻展 YOKOHAMA BIENNALE'91・受賞作品
港南台駅西側歩道の、高野佳昌《涙(喜びと、悲しみと、)》(1992.5設置) ※横浜彫刻展 YOKOHAMA BIENNALE'91・受賞作品
港南台駅西側歩道の、細谷進《ストーンフレームIX》(1992.5設置) ※横浜彫刻展 YOKOHAMA BIENNALE'91・受賞作品
港南台駅西側歩道の、石野耕一《風の石—閾》(1992.5設置) ※横浜彫刻展 YOKOHAMA BIENNALE'91・受賞作品 これだけ、集中的に「爆撃」の害あり。
- みなとみらい21の安田侃 JR港南台駅から鶴見線で桜木町駅まで。気を失っているうちに、いつの間にか、桜木町に到着。ここで横浜線の始発に乗るつもりなのだが、ここでも途中下車し、安田侃作品を観ることにした。今回は安田作品だけだが(実際は近くのいくつかの作品も観たけれど)、みなとみらい21にはPAが無数にあるので、まあ、そのうち、一網打尽にしてやるつもり笑
横浜市中区日石横浜ビルの、安田侃《天泉》(1997)。日石横浜ビルには、他に川口龍夫作品などのPAがあった。これも次の機会に。
すぐ近くにあったので、もう一つだけ。横浜市中区横浜銀行本店ビル前の、高田洋一《水面の鳥》(1993)。風で動く彫刻。水面の鳥のようにゆらゆら。
JR町田駅前ペデ上の、伊藤隆道《光の舞い》(1980)。もちろん伊藤隆道だからぐるぐる回っている。
町田市原町田6丁目(浄雲寺前交差点北西側)の、馬場美文《動と静》。東京町田ロータリークラブが創立20周年を記念して設置。
町田市原町田5丁目(原町田5丁目交差点南西側)の、三橋國民《明けゆく》(2002秋)。(社)町田法人会が寄贈。
- 町田市国際版画美術館
- 片倉城跡公園・彫刻広場 町田市国際版画美術館で、今日は終わり、後は八王子経由で帰宅するつもり。JR町田駅から再び横浜線に乗車し、寝て起きると、次は片倉、と車内アナウンス。片倉には、片倉城跡公園・彫刻広場があり、北村西望作品と西望賞受賞作品が並んでいるはず。もうすぐ18:00、しかもふらふらだが、まだ明るいので、ここでも急遽下車することにした。公園は駅から歩いて10分弱。公園に入ると、直に彫刻広場で、野外彫刻がいくつも立ち並んでいる。彫刻広場をひとわたり観て、よし、ということにして、駅まで戻る。これが失敗、ふらふらとはいえ、もう少し公園内をちゃんと回ってくるべきだった。少し離れたところにあるいくつかの彫刻を見落としてしまった。まあ、写真が逆光で真っ黒になったものも多いので、また次回を期したい。以下、観覧の中から、いくつかを掲載。それにしても、坂坦道作品があるのを知っていたくせに、肝心のときに失念とは…トホホ。
雨宮淳《独》(1984) ※第5回西望賞受賞 ちなみに、北村西望賞(西望賞)は、日本彫刻会名誉会長の北村西望から寄贈された寄金により創設された賞で、日本彫刻会が、西望の功績を称え、同会展覧会で全出陳作品中で、最も優れた作品に授与している賞のこと。
久保浩《アテネの戦士》(1991) ※第12回西望賞受賞
北村西望《浦島長寿の舞》 西望好みの台座に、高純度アルミの像。
北村西望《西望自刻像》 台座の銘板は長男の北村治禧書(《将軍の孫》のモデルね)。
江利敏明《ダンシングオールナイト》(1989) ※第10回西望賞受賞 時まさにバブル真っ盛り、ボディコンハイヒールの女性が踊り狂っている…という。今観ると、批評性の強い作品に見えなくはない…かな?笑。
- 三鷹駅北口の北村西望 西望で思い出した。そろそろ暗くなりつつあったが、最後に三鷹駅で下車。北口の、北村西望《世界連邦平和像》を観てくる。前回来た時は、ライトアップされていて、近づけなかったが…どうなっているか、確かめに立ち寄った次第。像は無事に観られたが、少し暗かった。駅前で、適当な夕食を適当に食らい、帰路に付いた。21:00頃、無事に帰宅。
北村西望《世界連邦平和像》(1969.11建立)