かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

幕別→帯広

  • 6:30頃、起床。7:00から始まる朝食を1Fの朝食コーナーを食べる。品数はそれほど多くない。7:20頃、そのまま、チェックアウト。帯広駅に向かう。駅前で鹿の像や《大地》を眺めた。


坂坦道《大地》(1969.10.15建立)

  • 幕別の野外彫刻 今日最初の目的地は幕別。もちろん幕別は初めて。帯広発7:47の釧路行き普通列車に乗車。幕別には8:05に到着。260円。SUICAは不可。駅前のパークゴルフ像(幕別パークゴルフ発祥の地)を観てから、幕別町役場→幕別運動公園→明野ヶ丘公園→幕別町図書館と回り、野外彫刻などを探った。幕別運動公園には、幕別町出身の國安孝昌による幕別町開基100年のモニュメント《クロニクル・スパイラル》が設置されているとのことで、立ち寄ったのだが、公園内のマップにもモニュメントの場所が記されておらず、見つけることができなかった(「発祥の地記念碑」横にあるらしいのだが…しかも、大きななモニュメントなのに…なぜ見つけられない笑)。なにせ広大な運動公園で、時間の都合もあり、しらみつぶしに回ることもできず、いささか残念だった。幕別10:45発帯広行きで、帯広に戻る。他の野外彫刻などは無事に発見。


幕別駅前の、《和の里》(2001.12建立)。像の制作は小室吏。幕別パークゴルフ発祥の地。幕別町幕別ライオンズクラブの寄付金(創立30周年記念)により建立。


幕別町役場前の、《岩永右八翁》(1958/1958.11.3設置)。制作は本郷新。岩永右八の像は1936年に一度建立されたが、例によって第2次世界大戦に際し、供出されたとのこと。最初の岩永右八像の制作者は?


幕別町図書館前の、西村文男《MAKUBETSU STORY》。石彫作品。



幕別町図書館・後庭の、Y.Sugawara《森の楽士》(1991.3)。鍛鉄による作品。芽室町図書館近くに、同じ作者による《愛》という作品がある(→ここ)。追記(2019.6.22):「Y.Sugawara」は、菅原義則、とわかる。

  • 明野ヶ丘公園「ピラ・リ」 運動公園から明野ヶ丘公園までは歩くのにはちょっと距離があるものの、他に移動手段もないので、30分ほど歩いてみた。駅の南側の小高い丘陵が明野ヶ丘公園として整備してあり、幕別町の開基100年を記念するシンボル施設として、1996年にこの「ピラ・リ」が建設された。「ピラ・リ」はアイヌ語で「偉大なる崖」の意で、展望テラスからは日高や大雪の雄大な山並を展望することができる。建築には、ワークショップ形式で約100名の住民が参加し、時間をかけて建設されたとのこと。ちょっとガウディっぽく、ちょっと伊東豊雄っぽい。なかなか楽しいところだった。この後、「ピラ・リ」北側のスキー場を下り、図書館に向かったのであった。それにしても、北海道の道、まっすぐだと延々遠くまで見通すことができて、ずっと先のあそこまで歩くのだと思うと、いささか気が遠くなった笑


  • 11:00過ぎに帯広に戻った。青空が広がる気持ちのいい日なので、昼からは自転車で帯広の町をうろうろすることにした。帯広駅バスターミナルおびくる内にあるエコバスセンターりくるで、自転車を借りる。料金は普通車で100円/1時間。5時間の予定で借りた。まずは帯広競馬場の《イレネー》像を見にいくことにした。途中、さかえ公園で肖像彫刻を見かけたので、立ち寄って、これを眺めた。


さかえ公園の、《高倉安次郎君壽像》(1933.3.5設置)。制作者は不詳。木下成太郎撰文による碑文が台座裏にあった。特に説明書はなかったのだが、おそらくこの像は二代目で、最初の像は戦争中に供出されたのだろう。高倉安次郎(1873-1933)は滋賀県出身の実業家で、帯広に移住し、十勝の産業振興に尽くした人物。


《イレネー》(1964.7.27設置)。この像は二代目の像。初代は1930年8月10日の建立で、池田勇八が制作した。1943年6月18日に供出のため、撤去された。二代目の像は1964年7月27日の建立で、像の制作は加藤顕清(以上、台座の「銅像建設記録」による)。イレネーは、1908年にフランスで生まれたペルシュロン種の種馬で、1910年に日本に輸入され、約600頭の馬の父親となった。これらの馬たちが力強い農耕馬として、十勝開拓の重要な働き手になったとのこと。帯広競馬場で行われるばんえい競馬「イレネー記念」にその名を残している。

  • 緑ヶ丘公園 帯広競馬場からまっすぐ南下して、緑ヶ丘公園を再訪する。前回は一部しか写真を撮らなかった彫刻の径の作品群をコンプリートするのが目的。併せて、帯広美術館で企画展を観覧する。樹木の多い、気持ちのいい公園なので、少しふらふらと歩いて、のんびりするつもり。
  • 彫刻の径・コンプリート版 1970年、彫刻家 本郷新の提案で、若手作家による十勝御影石を素材にした彫刻を制作する現代彫刻シンポジュウムが開催されることになり(現地で公開制作された)、以後、1973年までの4年の間に18名の作家による21基の彫刻が、その成果として公園内に設置された。中井延也がキュレーターだったようだ(中井作品だけ4作ある)。当初は5回開催の予定だったようだが、中井の体調不良のため、4回に短縮されたとのこと。

>参考:帯広市 「彫刻の径」パンフレット

帯広美術館の東側にある、公園の北側の動物園まで続く遊歩道の左右に、石の彫刻が21基設置されている。紅葉が始まり、道には落葉が積もっていた。


遊歩道の東側の作品を北から順に。中井延也《望郷》(1970)


児島基弘《なかなか孵化しない私の卵》(1970)


八木ヨシオ《栄光の受賞作品》(1973)


酒井信次《そとへ》(1970)


渡辺隆根《白の海》(1973)


横沢英一《連帯》(1971)


小室吏《氷原の詩》(1973)


石川浩《弓人》(1972)


中村俊昭《北の導べ》(1973)


丸山映《ウイミン WOMEN》(1972)


大成浩《風の門》(1972)


中井延也《S-軌》(1972)


ここからは西側の作品を北から順に。大木達美《ふんばっているしもばしら》(1973)


三谷勲《まるいふたつのかたちたち》(1971)


中井延也《アンクロマップ》(1971)


細井厳《モナミ》(1970)


高嶋文彦《閉じ込められた魂III-2》(1973)


瀧徹《白とグリーン》(1972)


中井延也《石の精》(1973)


田畑進《ムの器》(1972)


西山三郎《夏の波》(1972)

  • 緑ヶ丘公園のその他の野外彫刻 Revisited


帯広市児童会館前の、本田明二《青空にかぎりなき夢を》(1969.10.22設置)


北海道立帯広美術館前の、エミール・アントワーヌ・ブールデル《勝利》(1923)


帯広市児童会館裏の、中村俊昭+小室吏《おびひろっ子の像 大きくはばたけおびひろっ子》(1971.8.22)。


板東優《大地と夢想》(1982.10.24設置)


開拓記念碑《拓く》


松井裕康《躍進》(1982)


  • 中島公園の《依田勉三翁之像》 Revisited まだ時間に余裕があるので、あっちへふらふら、こっちへふらふらと自転車でうろうろした。公園に通りかかると、立ち寄って、何かないかとチェックしたが、これといって獲物はなかった。と、いつのまにか、前回は大雨の中、立ち寄った中島公園まで来ていたのであった。ということで、前回よりはちょっとましな依田勉三像の写真を掲載。


依田勉三翁之像》(初代像:1941.6.22設置※/1951.7再建)。像の制作は田嶼碩朗。初代像は例によって戦争中に供出された。現在のものは戦後に再建されたもの。※台座裏にある当時の農林大臣の「賛辞」にある「昭和十六年六月二十二日」による。台座裏には、他に紀元2600年(1945)の年記のある碑文もある。

  • 16:00を過ぎた頃、ぼちぼちと駅前に戻り、自転車を返却。駅近くで、少し早い夕食に(予定どおり)豚丼を食らい、今回の旅行の日程は終了。空港行きのバスまでまだ間があったので、コーヒーなどを飲んで、時間を潰す。帯広駅BT17:40発の空港連絡バスに乗車。満席まではいかないが、まあまあシートは埋まっていた。1000円。18:20頃、とかち帯広空港に到着。帰りの飛行機は、ADO 068便で、帯広19:10→20:55羽田の予定。機中、後ろの席のガサガサにいささか難渋しつつも、『ゲルマントの方へ』を読み継ぐ。あと少し。羽田空港には少し遅れて、21:00の到着。バス移動なので、あまり歩かされずに済んだのはちょっと幸い。21:10頃、到着ロビー。バスのカウンターが混雑していたが、21:20発最寄り行きのバスに乗ることができた。22:30頃、無事に帰宅。