かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

皆生温泉→米子→境港


早朝の皆生の海


朝日の中のロマンチスト

  • 目覚ましを5:00にセットしていたが、起きだしてみると、まだ真っ暗なので、しばらく布団の中でうとうとする。5:30を過ぎてもまだ暗い。が、まあ、そろそろ起きだそう。身仕度をして、皆生温泉周辺の野外彫刻を観て回ることにした。さすが皆生温泉は日本トライアスロン発祥の地だけあって、ジョギングする人がちらほらと。いちばん西側の華水亭というホテルの前の中岡慎太郎作品から始めて、海岸沿いを進み、日野川河口の同じ中岡慎太郎作品を見て、少し陸側に入った皆生新田中央公園を経て、ホテルに戻るルートを歩いた。1時間30分弱の探索。では、以下に掲載。
  • 皆生の野外彫刻



皆生温泉・華水亭前の、中岡慎太郎《宝生の泉》 ※DBによる。 3枚目のアップの写真を見ると、なるほど中岡慎太郎の作、とわかる。


皆生海浜公園の、《生田春月文学碑》(1966/1966設置) 制作は辻晉堂。碑には、生田春月の小説「相ひ寄る魂」の冒頭部が彫られている。検索:辻晋堂


皆生温泉海岸遊歩道の、《有本松太郎翁像》(1958設置)。制作は辻晉堂。有本松太郎(1863−1941)は政治家、実業家。皆生温泉の基盤を築いた人物。


皆生温泉海岸遊歩道の、石田明《夏》(1985)。日本トライアスロン発祥記念碑として。日本最初のトライアスロンの競技会は1981年に皆生温泉開設60周年記念事業として若手経営者たちが企画、開催した。第1回大会には53名の選手が参加した。



日野川河口(左岸/西側)の、中岡慎太郎《ロマンチスト》(1988)。1988年米子彫刻シンポジウム(第1回)。朝日を受けたロマンチスト。これを観るために来ました!


皆生新田中央公園の、林良一《化実 KAJITU》(1988)。1988年米子彫刻シンポジウム(第1回)。


皆生新田中央公園の、少女像。銘板の類がなく、作者、題名など不詳。

  • ホテルに戻り、その足で、2Fで朝食を食べる。部屋に戻って、8:30といったところ。まだ時間があるので、温泉に入って、しばらく休憩。9:20頃、チェックアウト。今一度、海岸遊歩道のあたりを少しうろうろしてから、皆生温泉観光センターバス停に向かう。9:41発の米子駅行きのバスに乗車。オレと同じようにホテルをチェックアウトして、米子に向かう観光客で、バスは割と混んでいた。20分ほどで駅に到着。今日は、まず米子駅を起点に、米子の野外彫刻を観て回る。主に米子彫刻ロードに設置された彫刻で、1988年から2006年まで、2年ごとに第10回まで行われた米子彫刻シンポジウム関連の作品などが設置されている。
  • 米子の野外彫刻

参考:米子市 野外にある主な野外彫刻
参考:米子彫刻ロード


「米子まち歩きマップ」。米子市文化ホール前の広場に設置してあった。ネットも含め、米子の野外彫刻を記したマップ類では、これが最強だった(制作年があれば、もっとよかったのだが…)。


米子駅前の、明地信之《Hippopotamus カバ》(2006)。2006年米子彫刻シンポジウム(第10回)。


米子駅前南側・バスのりば後方の、佐善圭《こころの言葉》(2006)。2006年米子彫刻シンポジウム(第10回)。


米子駅前北側・だんだん広場の時計塔。駅周辺には他にもモニュメントの類があったが、その中から、これを掲載。銀河鉄道999みたい…右側には子どもたちが一緒に飛び立とうとしている。


奥谷俊治《はる》(2001.3.22設置)。高橋経営研究会が25周年を記念して寄贈。


寺田栄《風景》(1992)。1992年米子彫刻シンポジウム(第3回)。


横山徹《大地の刻》(1992)。1992年米子彫刻シンポジウム(第3回)。


小林亮介《光の沈殿》(1992)。1992年米子彫刻シンポジウム(第3回)。


酒井良《生(Life)'92》(1992)。1992年米子彫刻シンポジウム(第3回)。

米子コンベンションセンタービッグシップ)周辺の野外彫刻

北側の池の中の子ども像《輪・和・環》。作者などは不詳。ひょっとして、五族協和像? って… 建立の経緯も含め、要調査案件だな。


井田勝己《月に向かって進め'96》(1996)。1996年米子ロータリークラブが地区大会の開催を記念して設置。


富田憲二《橋のある風景1994》(1994)。1994年米子彫刻シンポジウム(第4回)。


田中毅《磯祭》(1994)。1994年米子彫刻シンポジウム(第4回)。


湯村光《源流》(1994)


  • イオン米子駅前店〜立体駐車場前の野外彫刻


鈴木徹《心の旅・星空》(1990)。1990年米子彫刻シンポジウム(第2回)。


森亮太《こすもす》(1990)。1990年米子彫刻シンポジウム(第2回)。


井田勝己《化石の街 No.3》(1990)。1990年米子彫刻シンポジウム(第2回)。


須藤博志《夏・風の詩》(1990)。1990年米子彫刻シンポジウム(第2回)。


オダ・ショエラー《Tor in Yonago(米子の門)》(1994)。1994年米子彫刻シンポジウム(第4回)。


前川義春《相》(1994)。1994年米子彫刻シンポジウム(第4回)。

  • 加茂川・中海遊歩道沿いの野外彫刻 歩いている途中、小高い山が見え、その上に石垣がある。米子城の本丸石垣で、登ることができるようだが、時間の都合もあり、今回はあきらめる。昨日の鳥取城といい、城マニアではないが、ちょっと残念。


登坂秀雄《'96 Work in YONAGO》(1996)。1996年米子彫刻シンポジウム(第5回)。


ロバート・シンドルフ《OFFERING(捧げ物)》(1996)。1996年米子彫刻シンポジウム(第5回)。


氏家慶二《風景の芽》(1996)。1996年米子彫刻シンポジウム(第5回)。


百瀬啓一郎《塚》(1996)。1996年米子彫刻シンポジウム(第5回)。


藪内弘《夢尻図》(1998)。1998年米子彫刻シンポジウム(第6回)。


大井秀規《Gravitation》(1998)。1998年米子彫刻シンポジウム(第6回)。


岡本敦生《地殻 −COCOON.III》(1998)。1998年米子彫刻シンポジウム(第6回)。


田中等《再生》(2000)。2000年米子彫刻シンポジウム(第7回)。


村井進吾《作法》(2000)。2000年米子彫刻シンポジウム(第7回)。


近田裕喜《光》(2004)。2004年米子彫刻シンポジウム(第9回)。


林宏《ゆめについて》(2000)。2000年米子彫刻シンポジウム(第7回)。


西川淑雄《YūNAGI》(2000)。2000年米子彫刻シンポジウム(第7回)。

  • 湊山公園


斉藤和子《記憶の形象》(2004)。2004年米子彫刻シンポジウム(第9回)。


入江甲《出逢い》。噴水の中央に設置。


菱田波《語らい》(2002)。2002年米子彫刻シンポジウム(第8回)。


西村文男《あかね雲》(2002)。2002年米子彫刻シンポジウム(第8回)。


高濱英俊《水のかたち−conversation》(2002)。2002年米子彫刻シンポジウム(第8回)。


平井一嘉《米伝説》(2002)。2002年米子彫刻シンポジウム(第8回)。


《夕日》(1993.3設置)


永野光一《眼の時》(2004)。2004年米子彫刻シンポジウム(第9回)。

  • 米子市児童文化センター前の野外彫刻


中岡慎太郎《マイ・ファミリー》(1990)。ここはノーマークだった。中岡慎太郎作品に思わぬところで出会えて、うれしい。


カブトムシの野外彫刻。「N.DAIDO '96」のサインあり。追記(2018.12.2):作者はステンレス彫刻家の中嶋大道。>参考:いこレポ「大迫力に子ども感激! 中嶋大道氏の巨大昆虫&巨大オブジェ21選」 中嶋大道(公式サイト)

  • 内町ポケットパークの西巻一彦作品 中海に注ぐ加茂川の河口近くにある小公園。この後、加茂川沿いの道を美術館、図書館、市役所の固まっている地区までのんびりと散策。


西巻一彦《宿借り(海辺の物語)》(2004)。2004年米子彫刻シンポジウム(第9回)。


米子市立図書館前の、桜井敏生《横たわる人'87》


米子市立図書館うしろの、山谷圭司《星の舟−まずは今、ここに来たりて−》(1988)。1988年米子彫刻シンポジウム(第1回)。


米子市役所前の、石田明《地の詩'88》

  • 鳥取県西部総合事務所前の野外彫刻


岩間弘《雲が行く》(2006)。2006年米子彫刻シンポジウム(第10回)。


藤田英樹《太陽と月の神話》(2006)。2006年米子彫刻シンポジウム(第10回)。

  • 鳥取駅0番線ホーム 境線は鳥取駅の0番線からの発車。なんでも境線の各駅は妖怪名がついていて、米子駅は、階段のところにあるように、ねずみ男駅。って… この階段の向こう、0番線のホームには… 鬼太郎のブロンズ像など、フォトジェニックなものがいろいろとあったのだが、iPhoneのメモリーがもうほとんどなくて、撮らなかった。ちょっと心残り。米子駅14:29発で、15:10に境港駅に到着。2両編成のワンマンカー。境線は鬼太郎関連のラッピング列車が何台か走っているようだが、行きも帰りも普通の列車で、すごく残念笑


  • 境港にて そろそろ冬枯れという頃合い、しかも、午後も遅くなってからなので、観光客も少ないかと思ったら、けっこう大勢がいる。中でも、東アジア、東南アジアからの人が多い。欧米系は皆無だったな。駅前からもう水木しげるワールド全開で、駅前広場から水木しげる記念館のあたりまで、800m続く水木しげるロードの左右の歩道上に相当な数の妖怪彫刻が並んでいる。軽く100基を超えるらしい。たいしたもんだ。しかも、どれも出来映えがなかなかいい。1基1基、見ながら、ゆっくり歩いて回る。水木しげる記念館も観覧。展示もなかなかおもしろい。で、出てきたら、だいぶ日が傾いていた。予想どおり、境港観光は妖怪で終わってしまったな…笑


水木しげるロード。左右の歩道の上にたくさんの妖怪像が立っている。また、アーケードの丸い電球にも妖怪が描かれていた(裏面に金主の名前も)。

ぬりかべの像を掲載。ちょっと地味だったか。でも、このぬりかべ像、Wikiにも載っていたゾ。ところで、これらの妖怪像は仕様が統一されていて、石彫の台座とブロンズ像の組み合わせ。台座・像ともデザインがなかなか秀逸。台座には、妖怪名、その点字訳(だと思う)、寄贈者、QRコードのプレートがそれぞれついていた。寄贈者は企業も多いが、わりとふつうの人らしきものも多かった。

  • 米子鬼太郎空港にて 電車待ちの時間、やよい緑地など、少しぶらぶらしたが、暗くなったので、観光はここまでとして、米子空港に向かうこととした。境港駅17:32発の境線に乗車。17:50に米子空港駅に到着。空港に移動して、適当に夕飯を食らって、飛行機の時間を待つ。帰りは、ANA390便、米子20:40→22:00羽田の予定。20分前に搭乗が始まり、あとはだいたい定時のフライト。満席だった。22:20発の最寄り行きのバスに乗ることができた(羽田は成田と違って終バスが遅いので、あまり気が急かないでいい)。23:40頃には無事帰宅したのであった。


もちろん、鬼太郎空港だからね、鬼太郎もいるんだよ。しかも、空港だから、一反木綿に乗っている。


空港にも、そこかしこに妖怪がいた。