かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

札幌

  • 5:30に目覚ましが鳴る。カーテンを開けたが、まだ真っ暗。なので、ベッドの中でうとうとしていたが、なかなか明るくならない。6:15過ぎに、とりあえず起きだして、身仕度をする。まだ薄暗いが、まあ、少し歩いてくるべえ、と早朝散歩に出て、ホテル周辺の野外彫刻を探る。
  • 早朝のすすきの 南6西3/南6西4〜南4西3/南4西4(地下鉄すすきの駅の南側)まで、東西の歩道の上にそれぞれ4基ずつ合計8基の野外彫刻があった。いずれもこのあたりの商店や企業による寄贈で、1993年と1994年の両年に設置されている。作者は、山谷圭司、永野光一、丸山隆、松隈康夫の4人で、それぞれ2作品ずつ。では、南6西4から北方向に掲載。


山谷圭司《やすらかな傾き》(1994)


永野光一《MEMORY》(1993)


丸山隆《上機嫌な星》(1994)


松隈康夫《重なる形》(1993)。実は昨夜同じ道を歩いた時は彫刻の周囲は自転車だらけで、写真、撮れるかなと思っていたのだが、さすがにだいぶ減っていた。

  • 続いて、南6西3から北方向に掲載。


丸山隆《球の記憶》(1993)


松隈康夫《あっち こっち》(1994)


山谷圭司《おだやかな直立》(1993)


永野光一《午前0時の会話》(1994)

  • ジャパンランドビル(南5西5)前の、國松明日香作品


國松明日香《出逢い》(1985)。今まで野外彫刻で観たことのある國松明日香作品とは趣きの異なる人物具象の作品。

  • ここでいったんホテルに戻る。お腹が空いたので、まずは1Fの朝食コーナーで朝メシを食らう。バイキングで、品数もまあまあ、味もまあまあだった。納豆と刻みねぎ(味噌汁用だが)があっただけでも、オレ的には合格点!まだ時間が早いのか、お客が少なく、のんびりと食べることができたのもよかった。一度、部屋に戻り、一休みしてから、9:00前にチェックアウト。
  • 豊水小学校の野外彫刻 中島公園に向かう途中、旧豊水小学校に立ち寄る。ホテルから歩いてすぐで、5分とかからない。豊水小学校は2004年に、他の小学校に統合され、廃校となった。校舎は、現在でも公文書館やまちづくりセンターなどとして活用されている。また、旧校庭の一角に「豊水の庭」があり、大典記念文庫(図書館の書庫)や碑の類が設置されていた。


豊水の庭の、《ほうすい師弟の像》(1940.11.24建立)。制作は加藤顕清。


旧校門の、《はばたけ豊水の子》(1985.10建立)。札幌市立豊水小学校開校百周年記念。作者は不詳。

  • 中島公園・再訪 続いて、中島公園を再訪。前回の3月に来た時は雪で覆われていて、野外彫刻をあまりじっくり楽しめなかったので、改めて、やってきた次第。途中、雨が降り出して、いささか難渋したが、一通り野外の作品はじっくりと観覧できた。ただ、札幌コンサートホールKitaraが10:00OPなので、ロビーの安田侃作品は入口から覗いて見ただけで、近くで見られなかったのは少々残念。公園内の文学館内にも彫刻があるようだが、これも次の機会に。



山内壮夫《森の歌》(1959)。制作チームは、協力:藤川基、北村善平、堀江道雄、セメント製型:松平実、台座製作:山本一也。1958年開催の北海道大博覧会の記念に、会場のひとつである中島公園の記念広場中央の噴水池に建てられた。当初は白色セメント製だったが、1997年の中島公園リフレッシュ事業に合わせ、ブロンズで再鋳造され、現在地に設置された(1997.9.22,)。


林正美《ヨットと方向》(1985.3)。制作チームは、プロデュース:K.Odagaki、ステンドグラス:クリエーション工房 林、ステンレス:D.K.C.、京納ステンレス工業。


小野健壽《のびゆく子等》(1976.11.20設置)。「新一年生お母さんのつどい記念」として、札幌市が設置。


《木下成太郎先生》(1941.8)。制作は朝倉文夫。第2次世界大戦中の供出を免れて、台座ともども現存。


山内壮夫《母と子の像》(1961設置)


山内壮夫《笛を吹く少女》(1959)


山内壮夫《鶴の舞》(1965)


山内壮夫《猫とハーモニカ》(1961)。吹いているのは、パンフルートみたいだけど。


安田侃《相響》(1997)


イルカ長官によるレナード・バーンスタイン


小田襄《風景の夢》(2000.2.5設置)。札幌ライラック・ライオンズ・クラブ創立35周年記念。

  • 札幌市中央図書館とその周辺 中島公園の南側の出入り口から行啓橋電停まで歩き、市電に1/4周乗って、中央図書館前電停で下車。200円SUICA。このあたりに、早朝のすすきの散策でも作品を観た丸山隆の野外彫刻というか、パブリックアートがいくつか設置されているので、これらを回ることにした。丸山隆(1954-2002)は長野県出身の彫刻家で、東京藝術大学と大学院で彫刻を学び、1985年からは北海道教育大学札幌校で彫刻を教えるとともに、北海道に多くの彫刻と影響を残した。今日、最後に行く石山緑地の作品群を創造した彫刻家集団CINQのメンバーでもある。まず札幌市中央図書館へ。札幌市埋蔵文化財センターとの共通のエントランスロビーに丸山隆の《記号の風景》という、主に木材を用いた一連の作品が設置されている。また、図書館と埋蔵文化財センター、それぞれに展示室があったので、これも併せて観覧。特に図書館の展示室では、所蔵資料特別展「松浦武四郎 北へのまなざし」が開催中で、興味深く見ることができた。図書館の裏手の公園を抜け、山鼻中学校の作品(学校構内の作品はいつもはパスするのだが、校外からも充分に見えるので、今回は観覧)、集合住宅の山鼻サンタウン内の広場に設置してある丸山隆作品を見た。


札幌市中央図書館エントランス・ロビーの、丸山隆《記号の風景》(1990)。制作協力:森井綾、熊谷文秀、藤本和彦。札幌市中央図書館と札幌市埋蔵文化財センターの共通のエントランス・ロビーの壁面や床に設置されており、ベンチなども含めて、ひとつの作品になっている。


札幌市立山鼻中学校の、丸山隆《うねり》(1991)


山鼻サンタウン内広場の、丸山隆《原風景》(1991)。北海道住宅供給公社創立40周年記念事業。

  • 石山通り 次は石山通り沿いにある野外彫刻をいくつか観に行くことにした。これは以前自転車で回るつもりだったが、雨のため、断念したものの、再挑戦。最初の目的地は山鼻日の出公園。バスに乗ることも考えたが、歩ける距離なので、バス待ちの時間を惜しんで、歩くことにした。15分ほどで到着。ひとわたり観覧の後、山鼻川の河川敷に設置されている《藻岩犠牲者の碑》を目指す。ここも微妙な距離だが、歩く。10分ほどで到着。このあたりで、またぱらぱらと雨が降り出す。


山鼻日の出公園の、《山鼻屯田兵の像》(1967/1967.8.10設置)。制作は山内壮夫。台座に「明治九年自然の荒野を拓いたたくましい開拓精神を永久にたたえてこの像を建てる」とある。


山鼻川河川敷(中央区南30条西10丁目)の、《藻岩犠牲者の碑》(1994.6.11設置)。制作は二部黎。北電藻岩発電所建設工事犠牲者の碑を建てる会による。

  • 真駒内 山鼻川河川敷の近くのバス停から次の目的地の真駒内第一公園までバスに乗るつもりだったが、またしても目の前をバスが走り去っていく笑 このあたり、時間が読めなかったので、バスの時間をチェックしていなかった。雨がうっとうしいが、バス停で次のバスを20分待つにはちょっと寒いこともあり、結局、歩いてしまう。20分弱で真駒内第一公園に到着。やっと雨が止んで、青空が見えてきた。佐藤忠良作品を観覧。その後、六花亭真駒内ホール店→五輪小橋→五輪大橋と回り、真駒内公園を抜けて、結局、エドウィン・ダン記念公園まで歩き通してしまったのであった。さすがに疲れる。六花亭で、例によって、ばら売りのお菓子をいくつか買ったので、エドウィン・ダン記念公園で、お茶休憩。峯孝の《エドウィン・ダン像》の写真を撮ったところで、iPhoneのメモリーがいっぱいになってしまった。電池の調子も悪いし、そろそろなんとかしないとな。



真駒内第一公園の、佐藤忠良《牛と少年》(1964.3建立)。北海道による建立。「真駒内種畜場之跡」を記念して設置。


六花亭真駒内ホール店の入口付近。2枚目の写真は、看板犬のチンタくん(制作は板東優)。

  • 五輪小橋と《雪華の像》


五輪小橋東詰親柱上の、佐藤忠良《えぞ鹿》・《雪娘》(1971)


五輪小橋西詰親柱上の、本田明二《栄光》(1971)※2基1対


真駒内公園(五輪小橋近く)の、本郷新《雪華の像》(1971)。第11回冬季オリンピックモニュメント。(社)北海道倶楽部の寄贈により1975年に建立。


五輪大橋東詰親柱上の、本郷新《花束》(1971)※2基1対


五輪大橋西詰親柱上の、山内壮夫《飛翔》(1971)※2基1対


エドウィン・ダン像》(1964)。制作チームは、製作者:峯孝、助手:髙野寬、鋳造:髙原四郎、石工:蕨石材工業株式会社。

  • 石山緑地再訪 最後に石山緑地を再訪することにした。
  • バスで真駒内駅まで戻ってきた。まだ少し早いのだが、真駒内駅からバスで新千歳空港に向かうことにした。15:40発の北都交通新千歳空港行きリムジンバスに乗車。1時間ほどで、無事に到着。1030円。北都交通SUICA不可。帰りの飛行機は、バニラエアJW922便、新千歳18:50→20:25成田の予定。Webチェックイン済みだが、カウンターに行き、欠航・遅延がないか、確かめる。大丈夫のようなので、適当な夕食を適当に食らい、保安検査場を通過して、出発ゲートの1B近くの静かなところで山頭火の俳句などを読んで、搭乗時間を待つ。成田到着が少し遅れたが、まあまあ順調なフライト。成田は少し距離のあるバス移動で、20:50頃、到着ロビーに出た。帰りのバスは21:25発に乗車。22:40頃には無事に帰宅できた。
  • 今年はずいぶん北海道を訪ねたが、これで秋の北海道シリーズも終了。はたして冬の北海道シリーズはあるのか?笑