かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

下関市立美術館 [岩国・錦帯橋→和木→大竹→下関→門司→小倉・第2日(2)]

  • サンデン交通バスで、唐戸バス停から市美術館・医療センター前バス停まで移動。20分。300円SUICA不可。
  • 下関市立美術館の野外彫刻 下関市立美術館は2回目の来訪。前回も一応観覧しているのだが、今回はまず野外彫刻をじっくりと観て回り、続いて、美術館の展示を観た。

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美術館前の広場。冬枯れのこの時期を狙って、屋根の改修工事を部分的に行っていた。

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彫刻広場。美術館の左手にある。

  • 美術館のアプローチ・駐車場周辺

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美術館へのアプローチ入口に設置された、エミール・A・ブールデル作の3枚のレリーフ。左から順に、《女神とペガサス》(1913)、《好戦的パラース》(1912-20)、《詩人とペガサス》(1913)。下関銀行団(普通銀行、相互銀行、信用金庫)の寄贈。

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カール・ミレス《人とペガサス》(1949)。ぐるっと円形にのぼっていくアプローチの途中にある。

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駐車場の、竹内三雄《Transfiguration "WIND"》(1997)

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駐車場の、田辺武《Locus of Time 08-1(時の軌跡)》(2008)

  • 美術館前の広場

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伊東丈年《海峡》(2014.3.8設置)。下関市立美術館30周年を記念して、下関ライオンズクラブが認証50周年記念事業として寄贈。


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藤田文蔵《狩野芳崖胸像》(1933)


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植木茂《祭》(1983)


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淀井敏夫《夏の海》(1983)。林兼産業株式会社の寄贈。


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植木茂《女神像》(1950/セメント)。戦後の一時期、下関に住んでいた彫刻家の植木茂(1913-1984)が、下関市民館(後の文化会館)のロビーに設置するために制作したものとのこと。建物が2007年に解体される際に、現在地に移設された。

  • 彫刻広場

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遠藤洪平太《こんにゃく石》(1991)

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速水史朗《MUSASHI》(1998)。まあ、巌流島、近いし… なお、中央に小さな石の棒が突きだして見えるのは、後方に設置された別作品です。

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その別作品。速水史朗《GANRYU》(1985)


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山口牧生《石産む石》(1986)。四角い石の中から丸い石がうっすらと…


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石野耕一《風の石 −閾−》(1993)


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「芸術は魂のたべもの」(1987)。美術館名誉館長の河村幸次郎のことばを彫ったもの。デザイン・制作は山口牧生。下関市下関市立美術館友の会による。河村幸次郎は、下関市立美術館の核になるコレクション(河村幸次郎コレクション)を寄贈、美術館設立に力を尽くした実業家・コレクター。美術館で開催中の展覧会にも、そのコレクションが展示してあった。高島北海の絵画も出ていたのだが、北海は河村幸次郎の義父(妻の父)だとか。

  • 下関市立美術館・所蔵品展 No.145「“わたしの美術館”プロジェクト あなたの美術館をみつけよう!」(2F・展示室) 前半は美術館の礎となったコレクションの数々を、寄贈者(コレクター別)にその特色がわかるように紹介する展示、後半は下関の景観と人々を写した写真作品が展示されていた。
  • 美術館での観覧を終え、御裳川までバスで戻る。下りの市立美術館前バス停は、関門医療センターの前にあり、すぐ近くの歩道に碑が立っていた。これを観覧。その後、時間に余裕があったので、昼食をとることにした。ちょうど近くに王将があったので、焼きめしと餃子などを食らう。ここまで来て、王将に入るなんて、ダメだ、と食後、大いに反省笑

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軍令部総長伏見宮博恭王殿下飛行御上陸記念碑」(1934.11設置)。正面に、当時の山口県知事による撰文を記した銅板があり、上部にある飛行機のレリーフがかわいかったので、ここに掲載。設置委員会のお歴々の一覧とともに、制作チーム(「記念碑建設関係者」)も記してあった。設計者:椋梨信(下関市技師)、碑銘撰文沿革銅鈑製作:呉海軍工廠、碑頭飾鳶製作者:河内山賢祐、建設工事請負人:中村藤兵衛、他。「碑頭飾鳶」とあるので、当初は柱頭に「鳶」が留まっていたようだが、今はない。ブロンズ製だったかで、戦争中に、鳶だけが供出されたものか? それとも、単純に失われただけか?