かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

大心苑 彫刻放浪:高萩・水戸(1)

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  • 青春18きっぷを利用して、高萩と水戸へ行ってきた。今回のお目当ては、一つは高萩市内に多く設置されている彫刻家山﨑猛の作品を探ること、もう一つは水戸芸術館で開催されている大竹伸朗の展覧会を観ることである。高萩では、ミスもあり、ずいぶんと歩いてしまったが、おおよその目的は果たすことができ、まあまあ楽しい小旅行ではあった。
  • 今回の彫刻放浪の主人公、山﨑猛について。山﨑猛(1930-1988)は茨城県高萩市出身の彫刻家、大学教員。主に一陽会で活動。1954年茨城大学教育学部美術科を卒業した後、中学教師を経て、1963年から茨城大学教育学部美術科助手となり、以後、長く茨城大学の教員を務めた(1970年教授、1995年名誉教授)。高萩市をはじめ、茨城県内各所に多くの野外彫刻が設置されている(以上、主にwikiなど、ネットの情報よる)。なお、名前の表記については、今回の旅行記では、仮に「山﨑猛」に統一した(キャプション類だけはなく、作品サインにも「山﨑」「山崎」の両様あった)。検索:山崎猛。
  • では、出発。最寄り5:15発に乗車し、京葉線武蔵野線常磐線を乗り継いで、8:54頃、高萩駅に到着。途中、常磐線が安全確認のため15分ほど遅れたが、途中の停車時間短縮などで取り戻し、結局3分ほどの遅れで、高萩駅に到着。ここからはバスで、少し内陸に入った「大心苑」に向かう。目的地までは椎名観光バスと茨城交通バスの2路線があるが、椎名観光バスの方は日曜日は運休(これに気づいたのは、後のことなのだが…苦笑)。ということで、茨城交通バスの9:15発高萩協同病院行きに乗車。20分ほど、340円。
  • 大心苑 大心苑はかつて高萩市にあったレジャー・観光施設群で、現在は一部を除き、閉鎖されている(グラウンドが高校の施設として使用されているように、現在も一部が利用されている)。ざっくり言うと、高萩炭鉱が閉山になった後に、跡地をレジャー施設・宿泊施設に整備し、観光・レジャー産業を興し、一時活況を得るも、バブル崩壊後に経営難となり、2004年のホテルが廃業となったのを最後に閉鎖された、という経緯らしい。大心苑の名称は、高萩炭礦株式会社を設立した(1940年)実業家、菊池寬実(1885-1967)の戒名の一部から採られたもので、観光・レジャー産業への転身も菊池の遺志に基づいているとのこと。

>参考:ふるさとの歴史散歩(高萩市) 「炭鉱の町と大心苑」

  • svでこのあたりの様子を見ていたら、いくつか野外彫刻を確認できたので、とりあえず行ってみることにした。大心苑の名標のあるあたりが駐車場で、その周囲に幾つか野外彫刻が設置されていた。ほとんどは山﨑猛作品で、少し小高くなったところに、澤田政廣による菊池寬実の胸像も立っていた。今回は駐車場の周囲のみなので、ことによると敷地内に他にも像が立っているのかもしれない。

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山﨑猛《とうりゃんせ》(1960)。「大心苑」の名標の上に設置されていたスモールダウンしたバージョン。《とうりゃんせ》は山﨑の初期の名作で、北茨城市磯原に大きなバージョンが設置されている。


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山﨑猛《女の方舟・曙》(1988)。タイトル板なし。このタイトルでいいと思うが、要チェック。


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山﨑猛《ふれあい》(1984


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山﨑猛《はらから》(1960)


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山﨑猛《はばたき》(1966)


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《菊池寬実翁》(1978.12.12建立)。制作は澤田政廣。

つづく