奈井江→美唄→岩見沢
- 5:00過ぎに起床。う〜む、寝たりない。お湯を沸かしている間に、身仕度をし、沸いたお湯で朝食にカップ焼きそばを作る。これを食らいながら、メールをチェックする。カーテンを開けてみると、曇っていて、あまりぱっとした天気ではない。6:00前にチェックアウト。駅まで歩く。
- 駅前で、再び朝倉響子作品をしばらく観覧する。今日、最初の目的地は奈井江。もちろん初めて行くところ。実のところ、つい数週間前までは名前すら知らない町だった。北海道の野外彫刻のガイド本(原子修『北海道野外彫刻ガイド』北海道新聞社、1985.4)をめくっていて初めて知った。駅で言うと、美唄の2駅旭川寄りの駅で、始発で行けば、1時間ちょっとだが、予定に支障なく、歩き回ることができる。地図を見る限り、1時間ほどで、町の野外彫刻は、なんとか見て回れそうだ。なので、まあ、行ってみるかと。駅までぶらぶらと歩き、6:10頃、到着。どこかでコーヒーでも買ってこようか、と思ったら、始発(といっても、6:25発だが)の旭川行きの普通列車が1番線ホームにすでに入っていたので、改札を抜け、これに乗車した。奈井江には6:48着。540円。
- 奈井江の野外彫刻 奈井江駅前の彫刻を観てから、町役場→本町公園→公民館→道の駅と回る。地図で見る限り、公民館と道の駅が少し離れているので、時間がかかるようだったらパスしようかとも思っていたのだが、思っていたよりも近く、問題はなかった。秋の交通安全週間ということで、横断歩道のあるところなど、たすきをかけた人が立っていて、通りかかる人に声をかけていた。暖かいコーヒーでも飲みたかったのだが、コンビニが離れていたり、自販は冷たいのばかりだったりで、とうとう飲めなかった。
奈井江コンチェルトホール前の、浅井憲一《きまぐれな音符》(1993.11.3設置)
奈井江町役場前の、佐藤忠良《まげたポーズの子》(1975)。北門信用金庫の寄贈。
奈井江町役場前の、大貝滝雄《時の流れ》(1990.9.1建立)。奈井江町開基100年記念碑。台座裏面に「人の出会いと努力が和をなす 明日を願い熱く今を見つめる」と彫ってある。
奈井江町本町公園の、安田侃《無題》(1982/1982.10設置)。追記(2020.5.21):タイトルは《吹雪》。『KAN YASUDA Sculpture』 (イタリア版:Leonardo-De Luca Editori・1991、日本版:日経新聞社・1995)による。
奈井江町公民館前の、高橋剛《母と子の像》(1983.7.1建立)。株式会社砂子組の寄贈。台座裏面に「広大な沃野、輝く陽光、美しき自然に恵まれた、この大地に健やかに立つ、母と子の像は、永遠の平和の象徴である。」と書かれたプレートがついている。
道の駅ハウスヤルビ奈井江前の、笹戸千津子《若き立像'85》(1985)。北門信用金庫の寄贈。
- 「安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄」再訪 奈井江駅発8:14の岩見沢行き普通列車に乗車。美唄駅には8:22の到着。260円。8:35発の市民バス・東線に乗り、東明分団まで。15分・200円。市民バスは1乗車200円均一。このバスは、アルテピアッツァ美唄まで行かないので、途中の東名分団でバスを降り、歩いた。東名分団は消防団の分団の意らしい。10分ほどで、到着。
丘の上から水の広場を眺める。右の建物がアート・スペースで、左の木造の建物の2Fにギャラリーがある。建物の中にも作品が展示されている。もともとは、それぞれ旧栄小学校の体育館と校舎。
水の広場の《天氵禾》。前回来た時は、降り積もった雪の中で、大理石の作品には保護シートが被せられていた。
裏山に散在する作品を見るためにクマザサの茂みの中の道を歩く。
と、開けた場所に出て、作品が設置されている。《意心帰》。右の写真には、クマザサの奧に《天秘》が小さく見える。
《天聖》(手前)と《天氵禾》(奧)。8月にヒグマが出たようで、山の奥、森の奥は、立ち入ることができなかった。写真には写っていないが、手前にロープが張ってあり、立ち入れない。この2作品は遠望できたが、見られない作品もいくつかあった。
音の広場の《真無》。前回、3月に来た時は音の広場も雪で覆われており、《真無》も保護シートがかけられていた。
《胸いっぱいの呼吸(いき)を》。他の作品とタイトルの趣きが違うなと思っていたら、近くに碑文を彫ったプレートがあり、この作品はじん肺患者の足跡を忘れぬためのモニュメントであることを知る。
胸いっぱいの呼吸を
かつて発起道には、数多くの金属鉱山、炭鉱があり、日本の近代化、戦後の復興、高度経済成長を地底から支えてきた。そこで働いた人々は、粉じんを吸い、肺は石のようになり、いのちと健康を奪われた。
その犠牲は長い間かえりみられることなく、放置されてきた。人間の尊厳の回復とじん肺の根絶を希求して立ち上がったじん肺患者の足跡を残すために、この碑を建立する。
2011年10月2日建立
北海道じん肺基金
北海道金属じん肺訴訟原告団・弁護団
北海道石炭じん肺訴訟原告団・弁護団」
中央の塔の先端みたいなものは、掲揚台で、旧栄小学校の碑を兼ねている。
これはギャラリーの中に残っていた小学校の記憶。教室の出入り口のところにものさしがついていた。それから、ギャラリーには、大岡信と谷川俊太郎の詩が展示されていた。
少しだけ色づいている。もっと紅葉している木もあり、もう間もなく秋という気配だった。
- 美唄の野外彫刻 アルテピアッツァ美唄11:22発の市民バスに乗車。市役所で下車。15分ほど。200円。3月に美唄を訪ねたときは、中央公園のあたりも雪が積もっていて、立ち入れず、野外彫刻の類も保護のブルーシートが被せられ、観ることができなかった。市役所前→中央公園と回り、最後に美唄市郷土史料館に立ち寄った。前回来た時は、これまた冬期休館中で、観覧できなかったところ。時間の都合もあり、ざっとであるが、ひとわたり観て回った。炭鉱関係など、興味深い。
美唄市役所前の、《飛翔》(1975/1991.9.8設置)。作者は、像の足下に「1975 功 作」とあるので、田畑功か。美唄ライオンズクラブが認証30周年記念に設置。
中央公園の、小川清彦《よろこび》(1980.7.15建立)。美唄商工会議所が、創立30周年、会議所落成を記念して寄贈。
中央公園の、津幡智《はぐくみ》(1990.9設置)。峰延運輸株式会社社長の寄贈。裏面に、市長の名で「この彫像は、美唄市2世紀への輝かしい旅立ちと、悲惨な交通事故から市民を守るという願いを母と幼子の姿に託して建立しました。」とある。
- 岩見沢の野外彫刻再訪 美唄駅発13:05の岩見沢行き普通列車に乗車。岩見沢駅には13:24着。360円。駅にある観光協会で、自転車の貸し出しをしているので、今回はこれを利用して、自転車で回ることにした。借りたのは、ふつうの自転車で、料金は500円/日だった。ただし、時間は、観光協会が閉まる17:00まで。1Fの観光案内所で受付を済ませ、スタッフとともに駅舎3Fの駐輪場まで自転車を取りに行く。返却も3Fの駐輪場に自転車を置き、スタッフに自転車の状態を確認してもらう必要がある。このあたりはちょっとめんどうくさい。さて、出発。と、早速駅近くのコンビニに立ち寄り、コーヒー休憩。もう休憩かよ笑 今回は3月に来た時と逆回りで野外彫刻を観て回ることにした。岩見沢市絵画ホール・松島正幸記念館→岩見沢市役所→鳩が丘記念緑地→東山公園→はぎその緑地、市民会館周辺→中央公園というルート。相変わらず予習が微妙に足りず、自転車で回るのなら、行けそうなところを見落としてしまった。ダメだ苦笑
>参考:岩見沢市 Fine Museum〜晴れの日の美術館
- 岩見沢市絵画ホール・松島正幸記念館 1990年8月オープン。建物は、旧岩見沢警察署(1932竣工)を再利用したもので、1Fに松島正幸作品の常設展示室、2Fに企画展示室と岩見沢ゆかりの作家のコーナーがある。松島正幸(1910-1999)は、現・深川市出身の洋画家。北海道教育大学岩見沢分校で非常勤講師を勤めていた縁で、岩見沢市に絵画など作品を寄贈した。1Fで松島正幸作品を観覧した他、北海道教育大学岩見沢分校の学生の作品(模写・写生など技術習得のために制作した作品)、2Fの企画展示室では中村まり子という若い画家の作品などを観覧。観覧料210円。入口や廊下など、いささか雑然と彫刻作品なども置かれていた。その中から以下の2基を掲載。
鈴木吾郎《爽》(1983.10.1寄贈)。岩見沢市役所職員福利厚生会の寄贈。
峯田敏郎《核家族のためのモニュメント》(1970)
- 岩見沢市役所前の肖像彫刻
《髙柳廣蔵翁像》(1953.8.7建立)。岩見沢市開基70周年・市制10周年を記念して建立。前回来た時は、雪で近寄れなかった。作者は不詳。
- 鳩ヶ丘記念緑地
手前の石の彫刻が関根伸夫《遺跡回廊》(1994)、奧の塔が関根伸夫《和を捧ぐ》(1994)。《遺跡回廊》は緑地全体に設置されている。《和を捧ぐ》は市開基110年記念として設置。
- 東山公園の野外彫刻
安田侃《天秘》(2002)。3月に来た時は雪に覆われていて、まったく見えなかった。
山田吉泰《母子像》(1973.8製作)。岩見沢市開基90年・市制施行30周年記念。スポーツセンターの東側の広場に設置。
山下嘉昭《大地への讃歌》(1973.8製作)。岩見沢市開基90年・市制施行30周年記念。スポーツセンターの東側の広場に設置。
峯田敏郎《風と女》(1973.8製作)。岩見沢市開基90年・市制施行30周年記念。スポーツセンターの東側の広場に設置。
坂本雅子《ふるさと MY HOME TOWN》(1999)。東山公園庭球場前に設置。
- はぎその緑地 岩見沢市民会館・まなみーるの南側、利根別川の南側にある緑地公園。
高橋昭一《大地》(1973)。岩見沢市開基90年・市制施行30周年記念。
小野寺紀子《母と子》(1994.3設置)。岩見沢市開基110年・市制施行50周年記念。
鈴木吾郎《星をのぞむ》(1986.6.1/1986.7設置)
笹戸千津子《髪》(1994.3設置)。岩見沢市開基110年・市制施行50周年記念。
- 萩園橋の鈴木吾郎作品 駅前どおりをまっすぐ南下し、利根別川にかかる萩園橋の橋上に設置されている。
鈴木吾郎《愛》(1983/1983.11設置)。ライオンズクラブ国際協会331-A地区・第28回年次大会記念(1982.5.23)として寄贈。
鈴木吾郎《和》(1983/1983.11設置)。ライオンズクラブ国際協会331-A地区・第28回年次大会記念(1982.5.23)として寄贈。
小野寺紀子《希望》(1989設置)。ライオンズクラブ国際協会331複合地区、331A地区・第35回年次大会記念として寄贈。こぶし広場に設置。後ろに見えている赤い自転車が岩見沢・稲妻号!
秋山沙走武《泉》(1988)。北門信用金庫の寄贈。こぶし広場に設置。
- 岩見沢中央公園
鈴木吾郎《子どもの情景・夏》(1979/1979.9設置)。1979年国際児童年記念像。
山田吉泰《母と子》(1975)。岩見沢市社会福祉協議会の寄贈。
- 予定より少し早めだが、目的はだいたい果たしたし、ちょっと疲れても来たので、ここまでとして、空港に向かうことにする。岩見沢16:05発の函館本線・区間快速いしかりライナーに乗車、札幌の一つ手前の白石で下車。16:37着。白石から千歳線で北広島まで行き、快速エアポートに乗り換えるつもり。車内アナウンスで、次の千歳行きは16:49発と言っていてこともあり、これに乗ろうと思い、白石で降りた。乗り換えの番線で待っていたら、地震の影響で、千歳線上りは16:49発と次の17:04発は運休との放送がある。う〜む、やられた。地震の影響で、千歳線に運休する列車があり、また、主に下り列車の一部区間で徐行運転しているため、15分程度遅れが出ていることは前もって知ってはいたが… 油断した。30分以上も待つことになりそうなので、待ちの苦手なオレは、結局、次のいしかりライナーで札幌に出て、快速エアポートで新千歳空港まで出たのであった。18:00過ぎに到着。
- 春の北海道シリーズで、ジェットスターには機材繰りドタキャンに遭っている。それが頭にあり、ちょっと落ち着かない気分だ。なので、カウンターにちゃんと飛行機が飛ぶかどうか確かめに行ってみると、案の定、オレの乗るGK124は、機材繰りのため、45分遅れの20:40発に変更になっている(メールをチェックしたら、16:00前にジェットスターから飛行機が遅れるというメールが来ていた。理由は使用機材の到着遅れとしか書いていなかったが)。えっ、終バス、間に合わないじゃん。でも、まあ、欠航じゃないから、ラッキーということにしよう苦笑 ちなみに、帰りの便の、機長挨拶で、成田空港の滑走路が1本閉鎖された影響で、遅れが出て…と到着機材遅れの理由を言っていた。ジェットスター、地上のスタッフは、基本的に機材繰りによる欠航/遅延の場合、その原因について詳細に説明しないから、この機長の一言はよかったと思う。幾分、得心もいくし。(帰宅後、検索してみると、マレーシア航空の飛行機がA滑走路で、11:00頃、機体トラブルで離陸できずに、滑走路で立ち往生し、1時間ほど滑走路が閉鎖されたとのこと。これが遅延の原因らしい。)
- 話を戻すと、飛行機までだいぶ時間がある。その時間を潰そうと、夕メシを食らうことにする。で、新千歳空港でわりとよく入る某ラーメン店に行ってみたら、メニューが微妙に変わっている。となりのエビそばの店の大行列に比べると、がらがらだ。いやな予感しかしない。いつも食べる味噌ラーメンを注文したのだが、なんだか味が落ちているし、ヴォリューム感も違う気がする…あれれ。気分的な問題かもしれないが、もうこの店には行かないなぁと。残念。
- オレの搭乗するGK124の使用機材は、19:50頃、到着。予定よりも早く来たようで、20:05から搭乗を開始し、搭乗が終了次第、出発すると言っている。まあ、ちゃんと飛ぶのだから、それだけでもよしとしよう。20:40離陸、21:55着陸、22:05降機。2台目のバスで、到着ロビーに向かう。22:12頃、到着ロビー。どうしようと一瞬躊躇したが、ここから全力でダッシュ。ということで、終バスにぎりぎりで間に合ったのであった。めでたしめでたし笑 …が、息が切れて、気持ちわりぃ〜苦笑。23:30過ぎにはなんとか無事に帰宅できたのであった。