かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

豊島→生口島


土生港中央桟橋から対岸を望む。

  • 5:00過ぎに起床。身仕度をして、準備しておいたカップそばを食らい、朝食とする。6:00前にチェックアウト。三原港に向かう。土生商船の高速船で因島の土生(はぶ)港に向かう。6:20発で、通勤・通学の人が乗客のほとんど。船は鷺港、重井港に立ち寄って、7:00前に土生港に到着。途中、後ほど見にいく生口島「島ごと美術館」の岡本敦生作品が見えた。土生港で豊島行きの船に乗り継ぐのだが、それまでに1時間ほど時間がある。待合室で待っているのも、芸がないので、1kmちょっと離れたところにある大山神社を参詣してきた。往復で40分ほど。やっと目が覚めてきた。土生港まで戻ってきて、8:00発の上島町のニューうおしま2に乗船。途中、弓削島の弓削港に立ち寄り、豊島に到着。30分ほど。580円。


土生港にて。三原港からはこの船に乗ってきた。


大山神社。土生港から歩いて15分ほど。自転車神社があった。さすが!


こちらは豊島桟橋。ここまで乗ってきたニューうおしま2が港を離れるところ。

  • 豊島のゲルハルト・リヒター《14枚のガラス/豊島》(2015) 特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパンと特定非営利活動法人瀬戸内アートプラットフォームが協力して、愛媛県上島町の豊島にゲルハルト・リヒターの作品を設置・公開するプロジェクトを行っている。2015年に作品が設置され、2016年から(年ごとに)期間限定での公開が始まった。今年は、9月・10月の土日祝日の公開で、これを逃すと、いつ行けるかわからないので、いろいろと算段を付けて、行ってみることにした次第。


到着後、受付を済ませ、裏山の中腹、竹林に囲まれた作品が設置されている建物に向かった。写真がその建物。この中に、《14枚のガラス/豊島》が設置されている。ガラスに映るイメージの重層、視覚のゆらぎを鑑賞する作品なので、自然光を充分かつ有効に取り入れる建物になっている。一般には船便の時間によって、朝か、夕方に訪ねるしかないが、夕方ならまた違ったイメージが立ち現れることだろう。


桟橋に着いたら、二匹のやせ犬が出迎えてくれた。そのうちの一匹。


帰りの船まで、ちょっとだけ時間があったので、近くを歩いてみた。高台から弓削島を眺めた。


帰りも、ニューうおしま2に乗船。こうして見ると、けっこうかっこいい。

  • 帰りは9:47発のニューうおしま2に乗船。窓外から景色に見とれていたら、島の突端に大きな銅像が立っているのが見えた。さすがに途中下車、ならぬ下船して立ち寄るわけにもいかない。帰宅後に調べてみると、この銅像は生名島の濱田國太郎像とわかった。濱田國太郎(1873−1958)は日本海員組合の2代目会長を務めた人物で、1935年(昭和10)、その功績を称え、生名島の東の岬の丘の上に寿像《報海国 濱田國太郎寿像》が建立されたとのこと。ただし、例によって、1943年(昭和18)、像は供出されてしまい、オリジナルは残っていない。戦後も長い間、6mを超える大きな石の台座が残るだけだったが、2017年に、濱田國太郎を顕彰する会によって、写真などをもとに復元したFRP像がその上に立てられた。オレが船の窓から見たのはこれだな。まあ、そんなこんなしている内に、土生港に着いた。到着すると、他の乗客がダッシュでバス停に向かっている。はて、と思ったら、みな10:30発の尾道行きのバスに乗車していた。オレはファミマに寄って、昼メシを調達し、10:40発の本四バス瀬戸田港行きに乗車する。バスは因島に西側の海岸線を走り、生口橋を渡って、生口島の北側の海岸線に出る。オレは耕三寺バス停で下車。11:10頃、到着。580円。明日の10月28日になんでも自転車のイベントがあるらしく、そのため、生口橋が通行止めになり、オレが乗ったバスも明日は運休とのことだった。イベントが明日でよかった…ということで、なんとか到着。バス停のすぐ近くの、尾道観光協会瀬戸田支部(観光案内所)で、自転車を借りる。借りたのは普通車で、1日1000円。別に保証金1000円が必要(自転車を別のところに乗り捨てせず、同じところに返却すれば、戻ってくる。)電動自転車もあったが、島の周囲は平坦のようなので、普通車にしておいた。自転車はあまり新しいものではなかったが、よく整備されており、乗り心地は悪くなかった。土曜日のためか、けっこう混んでいたが、スタッフの方も親切で、野外彫刻を観て回ると言ったら、作品の写真の入ったマップを渡してくれた。ということで、さて出発。
  • 島ごと美術館 1989年に開催された「'89海と島の博覧会・ひろしま」に際して、旧・瀬戸田町(2006年に尾道市編入)が「島ごと美術館」瀬戸田ビエンナーレで参加。中原佑介酒井忠康、米倉守らの構想に基づき(ははあ、なるほどな、の人選)、現代彫刻家が設置場所を選び、サイトスペシフィックな作品を制作・設置するというもの。ビエンナーレの名の通り、2年ごとに数作ずつ?作品を増やし、生口島と高根島に合計17基の作品が設置されている。今回の訪問では、これを観て回ろうというのが大きな目的。ただし、17基のうち、瀬戸田小学校の中に設置されている福岡道雄《飛石》と、今は休館中(リニューアルのためらしい。作品自体は見ることができるようだ)のシトラスパーク瀬戸田の駐車場?に設置されている滑川公一《CATS DANCE》は割愛した。《飛石》は校門から一応遠目で見たが(じろじろ見ている不審者苦笑)、《CATS DANCE》の方は、山の中にあるので、上りを苦にして、あきらめた(SVでルートを事前調査しているうちに、行く気が萎えた。根性なしである苦笑 一応、時間の都合もあったのだが…)。生口島は1周23km、高根島にも立ち寄ったので、全部で25kmぐらいの道のりであったか。観覧の時間の含め、4時間弱の行程。さて、出発。

>参考:尾道市 島ごと美術館

  • 島の西北と高根島の作品 まず最初は観光案内所の周辺の野外彫刻から。この辺りには、耕三寺、平山郁夫美術館、ベルカントホール、瀬戸田図書館などの文化・文教施設が集まっているところで、数基の野外彫刻が近接して設置されている。まずはベルカントホール前に田中信太郎、西野康造の2基、道を挟んだ小公園に山本正道の1基がある。出発時はベルカントホール前は人もあまりいなかったが、島を1周して戻ってきたら、明日の自転車イベントのためにたくさんのテントが張られ、静かに彫刻を観るような雰囲気でなくなっていたので、先にに見ておいて、まあ、よかったなと。続いて、瀬戸田港まで行き、念のために帰りの船便の時間をチェック。土曜日ゆえか、商店街ではマルシェなども開催され、ジャズのライブなどもやっていた。次は高根島に渡る。が、ちょっと道に迷い、一度、沢港に出る道まで戻り、沢八幡神社の少し手前の道を西に折れて、高根大橋を渡った。ここが今日いちばんの急坂だった。ちょうど橋の改修工事中だった。高根島は橋の北側の海縁に保田春彦作品が設置されていた。(ちょっと失敗だったのは、全作品の銘板をきちんとメモしなかったこと。ネットや現地で入手したマップ類には作者・タイトルは明記されているが、制作/設置年は記されていないのであった…年も書いてあると思いこんでいた…)


田中信太郎《一羽の鳥の為に》(1989)



西野康造《風の中で(瀬戸田)》(1989)




山本正道《海からの贈物》(1993)



高根島から高根大橋を望む。高根大橋、ただ今改修中で、交互一方通行だった。




保田春彦《球を包む幕舎》

−島の西側・瀬戸田サンセットビーチ周辺 このあたりは向かい風のため、自転車で走るにはちょっと難儀だった。逆回りで島を一周するサイクリストたちはびゅんびゅん飛ばしているのに対し、こちらはふらふらと…途中、トイレに寄った際に鏡で見たら、髪の毛がすごいことになっていた笑 この周辺の作品は、海の中や海岸に設置されていた。今回はちょうど満潮の頃合いだったが、海の中に設置されている作品は潮の満ち干で見え方がずいぶん違う印象のようだ。

新宮晋《波の翼》(1991)



宮脇愛子《うつろひ》



山口牧生《ねぞべり石》



眞板雅文《空へ》



植松奎二《凪のとき 赤い形/傾》



松永真《千里眼

  • 島の南側 多々羅大橋を過ぎて、島の南側に出る。やはり海近くに、3作品がやや距離を置いて、設置されている(南側には、瀬戸田シトラスパークに1基設置されているが、今回は割愛)。道も多少アップダウンがあるものの、それほど苦にはならない。


海老塚耕一《空/海 YURAGI》。北川精機瀬戸田荘の前、海に突きでたコンクリートの上に設置。


海老塚作品の近くから、生口島大三島を結ぶ多々羅大橋を望む。


川上喜三郎《ベルベデール瀬戸田》。潮が引いているときは、作品まで歩いて行けるらしい。場所は萩バス停の手前の道を入ったところ。廃校になった小学校の隣の浜べ。


龍明神。場所は生口島開発総合センターの手前(西側)の道を入った海縁。


ご神体は、大きな岩。その上に木がこんもりと茂っている。


鳥居の右隣に、青木野枝《塩池》(1999)


左側の少し奥まったところに、もう一つの《塩池》

  • 島の北東側 青木野枝作品から先、島の半周分ぐらいは野外彫刻がなく、風の影響もほとんどないので、ここからは自転車を飛ばした。もっと時間がかかるかなと思ったが、30分ほどで生口橋に到達。生口橋の先に岡本敦生作品があった。このあたりは、午前中、土生港から瀬戸田に向かうバスでも走った道で、岡本作品を見たのは、早朝の船からと午前中のバスの窓からに続いて、今日3回目。今度は間近でじっくりと観る。バスは途中から人家のある少し海から離れた道を走ったが、自転車でこのままずっと海縁の道を走る。このあたりで、また向かい風が吹き、走りづらくなる。途中、B&G海洋センターに立ち寄り、前庭の崔在銀作品を観覧。これで、一応予定の作品はすべて観覧した。


因島生口島を結ぶ生口橋。こうして見ると、巨大な彫刻に見えなくもない。



岡本敦生《地殻》。銘板に「第16回現代日本彫刻展・神奈川県立近代美術館賞授賞作品」「瀬戸田町合併40周年記念」とある。



岡本作品の近くから生口橋を望む。



崔在銀《地上と地下の間で》。これだけ見ると、これはいったい何?という感じだが、中をのぞき込むと、その方向によって、周囲と同じ芝地に見えたり、あるいは、掘り込まれて、水がたまった穴に見えたりする。ちょっと不思議な感じだ。

  • ところどころの向かい風で、いくぶんへろへろになったが、まずまずの天気に恵まれ、無事に生口島を一周、多くの野外彫刻を観覧できた。ひとまず自転車を返却し、少し休憩してから、瀬戸田港に向かう。明日の自転車イベントの準備をそこかしこでやっていた。瀬戸田港15:05発の高速船に乗船。30分ほどで三原港に到着。820円。三原で、昼とも夜ともつかない適当メシを適当に食らい、残り時間を使って、三原の野外彫刻を少しだけ探る。
  • 三原の野外彫刻


城町公園近くの、《聖トマス小崎像》(1992.8/1993.1.17設置)。三原カトリック教会による。像の制作は沖田利紀。台座の説明板によると、聖トマス小崎少年は、1597年に長崎西坂の丘で処刑された殉教者26人の一人で、当時14歳だった。京都から長崎に護送される際に、少年は、この三原の城から伊勢にいる母に宛てて別れの手紙を書いた。このことに因み、城趾に近いこの地に像が建立されたとのこと。


JR三原駅北口前の、《小早川隆景公之像》(1961春/1966.3設置)。三原市による。像の制作は矢形勇。


心残りは今回もたこメシを食べられなかったこと笑

  • さて、帰路に着く。三原駅前16:40発の中国バス・広島空港行きに乗車。土曜日で少し車が多かったか、数分遅れの17:20過ぎに広島空港に到着。飛行機は、春秋航空IJ624便、広島19:25→20:55成田の予定。春秋は90分前から搭乗手続きが始まるので、1Fのコンビニでコーヒーを買って、一休みして、時間を潰す。チェックイン後、早々に保安検査場を通過して、本など読んで、搭乗開始を待つ。使用機材の到着遅れで、15分ほど遅れたが、無事に飛行機は飛び、遅れを取り戻して、予定時刻の20:55頃、成田に着陸。駐機場もT3近くで、21:05頃には到着ロビーに出た。21:25発の最寄り行きバスに乗車。22:30過ぎには無事帰宅したのであった。