かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

高松


  • 高松に行ってきた。成田-高松の往復チケットをバーゲンで入手したので、これを使って、高松空港から行けるところに行こうと思った。行く場所については、坂手や丸亀、岡山あたりも含め、いろいろと検討したのだが、結局、高松に行くこととし、1日は高松市内に、もう1日は小豆島に渡ることにした。目的としては、高松の街中の野外彫刻を探ること、あじ竜王山公園へ行くこと、そして、小豆島の北村西望作品を探ることの3点である。ただ、このうち、最初の高松市街の野外彫刻以外の2件は、残念ながら、目的を果たすことはできなかった。あじ竜王山公園については、レンタサイクルで行くので、行程のハードさから、もともと行けたら、ラッキーぐらいのつもりでいたのが、行程のハードさに加えて、猛暑で、あえなく挫折してしまった。(もっとも、行けたところで、先だっての豪雨のため、公園自体が閉園中だったようだ。)2日目の小豆島については、行きは高松東港から坂手港にフェリーで渡る予定だったのだが、船のエンジントラブルで、小豆島に渡ることができず、これまた、挫折してしまった。といういう次第で、今回の旅行では、予定の3件のうち、1件しか目的を果たせなかったが、船の件など、なかなかおもしろい体験もでき(少し負け惜しみ)、それはそれで楽しい旅行ではあった。
  • 最寄り5:30発のバスで成田空港へ向かう。ほぼ定時の6:35頃、T3に到着。出発まで間があるが、早々に保安検査場を通過して、出発ゲートに向かう。ゲートは161だが、もう少し奥の方の静かなところで一寝入り。このあたりはいつものとおり。行きは、Jetstar GK411便で、成田8:50→10:15高松の予定。8:20頃、搭乗が始まり、9:06に成田空港を離陸、10:10頃高松空港に着陸。10:15頃に到着ロビーに出た。
  • 高松空港の野外彫刻 今回は、バスにはすぐに乗り込まず、空港入口に設置のイサム・ノグチの野外彫刻《time and space》を観に行く。高松空港付近のイサム・ノグチ作品は、この石組み彫刻の他に、空港から行ったら、最初の交差点の北東側に壁面彫刻がもう一つある。意識して観ないと、見逃してしまいそうだが、こちらも、高松行きのリムジンバスの車窓から観ることができた。



イサム・ノグチ《time and space》(1989)。イサム・ノグチの遺作となった、庵治石をつかった巨大な石組み彫刻。前方後円墳ならぬ、前三角後円墳という感じか。空港側から見ると、モスラ感も…


空港には、もう一つ、野外彫刻があった。濱野年宏《響き Dual Energy》(2013.7.3設置)。2013年3月に高松空港の国際線Tの増築が完成した記念に、メセナかがわ・浜野年宏芸術交流協会が寄贈した。濱野年宏(1937〜)は高松市出身の美術家。

  • 高松市のレンタサイクル 空港に戻り、JR高松駅行きのリムジンバスに乗車。10:30過ぎに発車し、11:20頃に到着。760円。駅の地下駐車・駐輪場で、高松市のレンタサイクルを借りる。今日は、天気もいいので、自転車に乗って、高松の野外彫刻を探る。地下の受付で一時利用の申し込みをし、利用案内のビデオを観て、利用方法を頭に入れる(一度利用すればどうということもないの)。自転車はすっぴんのママチャリで、変速機もついていないが、きちんと整備されていて、乗り心地は悪くない。大量にある自転車から自分で適当なものを選び、自転車の状態をチェックして、借り出す。出入り口は機械対応で、利用者カードを使って、料金を支払い、出入りする。ポートは市内に何ヶ所かあり、借り出し、返却はそのどこでもOK。利用時間は7:00もしくは7:30から22:00までで(ポートにより開始時間が異なる)、料金は、6時間まで100円、オーバーしても、もう100円で当日終了まで乗ることができる。便利で格安である。


高松稲妻号。リュックを搭載するので、かごの大きなやつを選んだ。ファミリーマート古高松店駐車場にて。

  • 高松市立美術館の彫刻 まず高松市立美術館に立ち寄った。展覧会ではなく、館内に設置されている佐藤忠良《バレーの女》という作品がお目当て。市美には何度も来ているが、この作品を観たという記憶がない。なので、ちょっと確かめたくなった。エントランスロビーの流政之作品など、いくつかの彫刻はすぐに目に入ってきたけれど、《バレーの女》はなかなか見つからない。1Fから2Fにあがるスロープを歩くと、その途中の壁面の上の方に《バレーの女》はいた。あまり大きな作品ではなく、ちょっと見づらい位置だ。もっと間近に観られるように展示すればいいのに…館内なので、写真は遠慮した。ところで、ここのところ、高松へは瀬戸内国際芸術際とそれに関連する展覧会などの観覧が中心で、他に観光などもしなかったせいもあるが、高松市内にこんなに流政之作品が設置されているとは知らなかった。市美のエントランスロビーで観た《ナガレバチ》は、今回の高松旅行で出会った最初のものだが、以下続々と流政之作品に出会うことになろうとは…
  • 高松市中央公園とその周辺の野外彫刻 続いて、高松市中央公園へ。事前のリサーチによると、ここにはたくさんの野外彫刻が設置されている。ただ、彫刻公園と呼ぶには、顕彰系の肖像彫刻やら、記念/祈念系の具象・抽象彫刻やら、イサム・ノグチの遊具やら、いささか雑然とした設置ではあるが… まあ、こういうのもおもしろいかも。


高松市中央公園の案内図。地図中に、野外彫刻の位置と作品名が明示してある。

自由広場。以前は地面は土のままだったらしいが、今は芝生がはられている。


では、具象・人物像から。菊池一雄《平和の群像 あけぼの》(1986.4設置)。平和の群像建設期成会による寄贈。1980年高松市で、市民の総意として制定された「高松市民のねがい」のシンボルとして建立されたもの。高松市役所前に、高松市民のねがいを記した銘板を備えた台座の上に、この像の小像を据えたものがあるのだが…

行ってみたら、メンテ中か、保護シートが被せてあり、観られなかった。ちなみに、翌日も立ち寄ったが、ダメだった。残念。




阿部誠一《女の子二人》(向かって右が1987、左が1988/1989.10設置)。高松屋ライオンズクラブが結成25周年を記念して寄贈。少し弓なりになった石のベンチの左右に少女の裸像が設置(こういうのはもう設置できないぃ)。阿部誠一(1931-)は愛媛県今治市出身の彫刻家。佐藤忠良に師事、主に新制作協会で作品を発表。愛媛県に野外彫刻が多くあるようだ。



池川直《大気》(1987)。池川直(1958-)は、高松市出身の彫刻家・大学教員(鹿児島大学教育学部)。主に日展、白日展、日彫展で作品を発表。1987年当時は高松工芸高校の教員で、本作で県展の知事賞を受賞したとのこと。


続いて、抽象彫刻を。山田正治《源泉》(1989設置)。香川銀行の寄贈。像の上部から水が流れ出ている。


速水史朗《サヌキ 一九八八》(1988)


三枝惣太郎《伸》(1989設置)。ライオンズクラブ国際協会336-A地区・第35回地区年次記念事業として設置。


寺田武弘《裸の王様》(1988)



イサム・ノグチの遊具。上が《オクテトラ》、下が《プレイスカルプチュア》。


次は顕彰系の肖像彫刻。まずは、水原クンと三原クン。《水原茂》・《三原脩》(1993.12.4建立)。制作は渡辺庄三郎。水原・三原銅像建立委員会による。


《玉楮象谷先生》(1958.4.20設置)。制作は新田藤太郎。玉楮(たまかじ)象谷先生顕彰委員会による。新田藤太郎(1988-1980)は香川県出身の彫刻家。主に官展で活動。戦後は香川県に戻り、制作を行うとともに、香川県美術展の創立に尽力。東京青松寺にあった爆弾三勇士像の作者。空襲で戦前・戦中の作品のすべてが失われ、150基あった野外彫刻/銅像の類も供出でほとんどが溶かされてしまった。


《國東照太翁像》。制作は新田藤太郎。国東照太翁顕彰銅像建立会による。


《菊池寬》(1956.10建立)。制作は新田藤太郎。菊池寬顕彰会による。


《小河謙三郎翁寿像》。作者は不詳(未確認だが、新田藤太郎作か?)。高松市立中央球場建設に際し、多大な寄付をした縁で、はじめ同球場に設置された(同球場は1957年5月完成なので、設置はその頃か?)。同球場跡地に中央公園が整備されたのに伴い、1985年12年に現在地に移設された。


流政之《雨ごいジシ》


そして、最後は、《ハゲさん》。


中央公園の花壇の花々


最後に中央公園周辺の野外彫刻を。まずは、中央公園南側(菊池寬通りの駐車場の一角)の、流政之《大黒天》(2017)。設置者:公益財団法人 流財団、土地所有者:第一法規株式会社。銘板に「この地に菊池寬の生家があった 世に福多きことを願い 大黒天をおくる 2017年 流政之」とある。


香川県文化会館前の、流政之《おいでまあせ》(1966)


高松市役所前の、渡部順子《昊に舞へ》。高松市主催の(第7回石のさとフェスティバル)石の彫刻コンクール2006優秀賞。



高松市上下水道局前の、萬木淳一《水邊》(1981.3設置)。高松市水道局庁舎落成記念。萬木淳一(1936-)は香川県出身の彫刻家で、主に二科展で活動。最初チラ見したときには、水道局だけに《水道》かと思った笑



香川銀行本店前(工事中!)の、《父帰る像》(1995.2設置)。高松市が菊池寬通りを印象づけるために菊池寬の代表作の一つ「父帰る」の一場面を元に制作した群像。像の制作は池川直。

  • 中岡慎太郎の彫刻がマイブームというのは何回か言っているが、あじ竜王山公園内の彫刻広場に、その中岡慎太郎《セレナード》(同タイトルの異なる作品がいくつかある)があるとのこと、他にも野外彫刻もあるようだし、眺望もいいらしいので、行ってみようか、と思ったわけだが、ここはマイカー利用以外にほとんど交通の便がない。無理にでも行くとしたら、ことでんバスの庵治線でできるだけ近くのバス停まで行き、あとはタクシーか歩くしかない(4km強の上り道)。あるいは、自転車利用か…自転車といっても、ネットを検索する限り、小野田坂道か真波山岳でもないと、ちと無理という雰囲気。ましてや、すっぴんのママちゃりでよたよた上るというのはいかにも暴挙…という次第で、あじ竜王山公園はあくまでも行けたらラッキーぐらいのつもりにして、ずっと手前にある石匠の里公園と高松市石の民俗資料館をとりあえずの目的地にすることにした。ここにも、石の彫刻作品がたくさん設置されているらしい。(そもそも中岡慎太郎《セレナード》は、石匠の里公園→高松サンポート・アート広場→あじ竜王山公園・彫刻広場と移設されたもののようだ。)※帰宅後に見たのだが、あじ竜王山公園の公式サイトに、7月7日付で、先日の大雨で道の状態が悪いため、閉園している、とのお知らせが出ていた。15日現在で変更されていないので、もしチャレンジしても、そもそも行き着けなかったみたい。
  • ということで、中央公園から志度街道をひたすら西進する。琴電志度線とつかず離れずという感じ。詰田川を渡って、少し先の道ばたにコンクリート彫刻が立っていた。もちろん立ち寄り、これを観覧。その後、再び西へと走り、琴電古高松駅近くで、県道36号線に折れる。どこかで、昼メシなぞ食らおうと思っていたのだが、県道に折れたとたんに、それまで数珠なりだった飲食店がまったくなくなってしまった。コンビニがあったので、やむなく、立ち寄り、一休みし、地図などで位置を確かめる。王墓の交差点で左に折れ、スーパー(マルナカ八栗店)前の交差点で右に折れ、いよいよ上りに入る。このあたりから、道の両側は石材店ばかりになり、店の前や空き地には、見本とおぼしきさまざまな石彫が置かれている。これが量的に(一部は質的にも)なかなかすごいものがあった。そろそろ石匠の里公園に着いてもいい頃なのだが、上っても上ってもそれらしきところが見えてこない。道に迷ったか…と焦る。もう暑いし、汗でどろどろだし、引き返しちゃおうかなと思い始めた頃に、公園らしきところが見えた。さらに少し上がり道なりに曲がると、左手に八栗ケーブルの八栗登山口駅があった。さらに進み、やっと公園の入口に到着。自転車の駐車場の片隅に停めて、一息つく。それにしても、暑い。いろいろと野外彫刻らしきものが多く見えるが、暑さに耐えかね、冷房を求めて、先に石の民俗資料館に行くこととする。


途中の道ばたにコンクリートの野外彫刻があった。手を挙げた母子像(横断歩道を渡るところなのか?)で、交通安全のためのものと思われる。作者など詳細はわかならい。


左手に屋島が見えてきた。


石材店の店先や空き地には、石彫の作品、とおぼしきものがごろごろ…


石材店の店頭にて、えっ、中岡慎太郎作品!?…よく見ると…違うか…これは帰り道で見かけたものだが、他には、空秋充風のものがわりと多かった気が…


で、とあるマンション前にて、またしても空秋充風…よくできているな、と思って、自転車から降りて観るに、ほんとうに空秋充作品だった、という…空秋充《出会い》(1977)。

  • 高松市石の民俗資料館/石匠の里公園



  • よれよれとはいえ、石匠の里公園までは来ることができた。進むにしろ、戻るにしろ、一度、海辺の県道まで戻る必要があるが、今度は下り道だ。どうするべえとばかり、今少し先に進むことにした。来た道を下るのもしゃくなので、別の細い道を選び適当に道を下っていく。次は城岬公園を目指すことにした。ここにも石彫作品がいくつかある模様。さて、県道に出ると、道の左右は大規模な石材店/工場が続く。これがなかなかの壮観。作品!?もでかいやつが多い。牟礼町・庵治町が、石材としてよく使われる庵治石の産地であることはなんとなく知っていたのだが、これほどとは思わなかった。なんでも大小200の石材店があるそうだ。丁場(石切場)も遠くに見える。


  • しばらく海辺を走り、屋島などを遠望したり、石材店で野積みされた石の山に目を驚かせたりしていたのだが、しばらくするとだらだらと上りが始まり、一挙にやる気が萎えてしまった。ダメダメだ。もう少しで城岬公園までたどり着けたようだが、いい加減バテバテなので、ここらで引き返すこととした。
  • ここに来るまでにも、野外彫刻が設置してある公園がいくつかあったようだが、予習不足で見られなかったのは失敗。まあ、そのうち、再戦に臨みたい。ちなみに、ネットで検索した限りだが、以下の情報を得た。牟礼町と庵治町が主催して、1988年からトリエンナーレ形式で「石のさとフェスティバル」を開催、そのメインプログラムとして石の彫刻国際シンポジウム(招待作家による石彫作品の制作)と公募による石の彫刻コンクールが行われる。牟礼町と庵治町は2006年に高松市と合併するが、その年は高松市が主催となって、第7回石のさとフェスティバルが開催された。2009年からは、高松市が主催して、石のさとフェスティバル "瀬戸の都・高松" 石彫トリエンナーレと名を変えて開催。2009、12年開催の第8、9回は、招聘作家+コンクール受賞者による作品制作が行われたが、2015年からは招聘作家による制作のみとなり、ジュリアン・オピー作品が制作された(瀬戸内国際芸術祭によるものばかりと思っていたが、正確にはそうじゃないのね)。今年、2018年は開催年にあたるはずだが、情報が出てこないところを見ると、2015年で終了になったのかもしれない。なお、フェスで制作された作品の多くは、牟礼町、庵治町を中心に高松市内各所に展示されているとのこと。また、未見だが、2015年にカタログ「石のさとフェスティバル・"瀬戸の都・高松"石彫トリエンナーレ : 1988-2015」が実行委員会から出されていることも知った。
  • 追記:国立新美術館アートライブラリーに所蔵されていたので、六本木に行ったついでに閲覧してきた。カタログではなく、記録集で、第1回から第10回までのトリエンナーレの記録の他、巻末には、2015年現在のトリエンナーレで設置された石の彫刻の一覧とマップが掲載されていた。それによると、97作品が現在設置されているとのこと。なお、中岡慎太郎作品は、あじ竜王山公園の《セレナード》(第2回のシンポジウム招待作品)の他にも、庵治浄化センターに《Castele de paredo》(2003)が設置してあるようだ。牟礼や庵治を中心に多くの作品があるようなので、次回があるのなら、ばっちり準備をして、行くぞと。(2018.7.25記)
  • 屋島ケーブル 帰りは大きな道をたどらず、気の向くままに適当に道を折れ、ふらふらと高松方面に戻ることにした。琴電八栗駅あたりまでは県道を辿ったが、そのあたりで道を折れ、もう少し屋島寄りの道を自転車で走った。しばらくすると、既視感のある通りに出て、ふらふらと上っていくと、屋島ケーブル跡地に出た。実は小さな子どもの頃、何度か、この屋島ケーブルに乗ったことがあるのだった。屋島ケーブルは2005年8月31日付で廃止された。屋島山口駅は解体されたが、ホームはそのままで、2両の車輌がそのまま留め置かれている。


車輌のガラスが割れるなど、廃墟感が漂っている。車体はグリーンに塗られているが、これは2015年の錆落としされた後、再塗装されたものだとのこと。

駅名標なども残っていた。


香川県ミュージアムの北隣の、高松市立城内中学校閉校記念モニュメント「披雲」(2009.3設置)。高松市立城内中学校PTA、高松市立城内中学校同窓会「披雲会」、高松市塩屋町連合自治会による。制作はアキホタタ。銘板に「高くひろがる雲をきりひらく 創造開拓・発展の精神よ 永遠に」とある。


玉藻公園前の、井上麦《地表よりー森》(2000.10.19設置)。高松紫雲ライオンズクラブCN30周年記念に、高松紫雲ライオンズクラブ、京都紫明ライオンズクラブ、台湾市光明獅子会が寄贈。

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同、ジュリアン・オピー《Banker, Nurse, Detective, Lawyer》(2015)。制作協力:株式会社和泉屋石材店。“瀬戸の都・高松”石彫トリエンナーレ2015。(2018.7.12早朝撮影)。

〈Banker〉 ※大理石に黒いペイントの描線

〈Nurse〉 ※庵治石に金箔で象嵌

〈Detective〉 ※モカクリームに赤いペイントの描線

〈Lawyer〉 ※黒御影石に白いペイントの描線


大巻伸嗣《Liminal Air -core-》。瀬戸内国際芸術祭作品。すっかり高松港の顔になっていた。






リン・シュンロン《国境を越えて・海》。瀬戸内国際芸術祭作品。これが残っているとは…よしよし。


流政之《MATAKITENO》。


流政之《SUNSET of SETO》(2011)


JR高松駅構内の、流政之《DAITEMMAI》(2001)。「抱いてんまい」は香川方言で「抱きしめてごらん」の意。


高松港から見た女木島、重なるように右側に小さく男木島、さらに奧に豊島。