かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

彫刻放浪:人形町→大手町

  • 本日の梗概 埼玉県立近代美術館で開催中の「辰野登恵子 オン・ペイパーズ」はいつまでだったかしらん? って、今日までじゃないか! ということで、慌てて、観に行くことにした。せっかくなので、最近知って、気になっていた野外彫刻のいくつかを併せて観てきた。立ち寄ったのは、人形町駅に程近い堀留児童公園と赤羽駅近くの赤羽スズラン通り商店街などなど。
  • 堀留児童公園の2基の石彫 最寄り→西船橋茅場町人形町と移動。人形町からは歩いて5分ほどで、堀留児童公園に到着。公園の北側に日本橋保険センターなど中央区のいくつかの施設の入ったビルがあり、そのビルの公園に通じる入口のところに、お目当ての彫刻が設置されている。向かって左側に頬杖をついて佇む女性像、右側に母子像の2基の石彫が設置されている。画像検索をしていて、この2像のことをたまたま知り、気にかかっていた。というのも、先日、松戸に行ったときに(→ここ)、観てきた三坂制《夢佇》(や、ネットで知った三坂制のその他の作品)によく似ている像だったからだ。作者やタイトルについての情報は検索では得られなかったが、実物を見に行けば、何かわかるかもしれないと思い、訪ねた次第。残念ながら、両像とも、銘板もなく、サインなども確認できなかったが、実際に見た像の様子から両像とも三坂制の作品でいいと思うが、どうだろうか? 三坂制の作品については、もう少し追いかけてみたい。

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  • 堀留児童公園から大手町まで歩き、その途中で、いくつかの野外彫刻/パブリックアートをいくつか観覧した。

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三菱UFJ銀行日本橋支店前の、建畠覚造《瑞徴》(1979)


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常盤橋公園の、《青淵渋沢栄一》(1933建立/1955再建)。この像は2代目で、初代は、例によって、第二次世界大戦中の金属供出で溶かされてしまったが、初代と同じ位置、同じ台座に再建された。制作は初代・2代目とも、朝倉文夫。初代は渋沢青淵翁記念会、2代目は渋沢青淵記念財団龍門社による。台座の表面仕上げが変な感じで、おもしろいなと。


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NTT DATA 大手町ビルの、蓮田修吾郎による鋳金造型作品(1974)。タイトルは不詳。鋳造は西村工場K.K. 解説板があったので、以下に掲載。

通信技師山田守が分離派様式により設計した東京中央電信局の局舎は 大正14年完成し 昭和43年までこの地にあった
この鋳金造型は大正期の名建築とうたわれた同局舎を記念して その主要なテーマである抛物線をとり入れて制作されたものである
                            昭和49年

東京中央電信局の局舎は、検索すると、画像がいろいろ出てくるので、建物の様子がわかりますね。