かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

その他の高萩市の野外彫刻 彫刻放浪:高萩・水戸(4)

次へ
戻る

  • 高萩市森林公園を出て、おてまき交差点まで戻り、ここのバス停から高萩駅方面まで戻るつもり、バスは11:36発のはずと、バス停の時刻表を見ると、日曜運休となっている。そうだった、今日は日曜日だった、と遅まきながら思い至る。今回の旅行、当初、昨日の土曜日で予定を立てていたのだが、今日の日曜日に変更することになり、土日祝は同じダイヤだろうと思い込んで、確認しなかったのが、大失敗だった。来た時の茨城交通のバス停まで戻るのもめんどうだし、そもそも次のバスは13:05で、今からだと1時間30分近くもある。このあたりには、時間を潰すところもない。ということで、結局、次の目的地まで歩くことにした。今日が猛暑というほど暑くなかったのが不幸中の幸い。途中で、コンビニ休憩を挟みつつ、45分ほど歩いて、高萩市立図書館にたどり着いた。
  • 高萩市立図書館 図書館前に、山﨑猛作品が1基あった。また、写真は割愛するが、隣接する高萩市文化会館のロビーにもやはり山﨑猛作品が設置されていた。検索:山崎猛

f:id:pigmonm:20190825232626j:plain:w240f:id:pigmonm:20190826123701j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825232705j:plain:w240
山﨑猛《精華》(1978/1983.12.1設置)。高萩ライオンズクラブが寄贈。

  • 高萩市役所 図書館からすぐ近くの市役所に移動。市役所前の女性像を観覧。だいぶへばってきた…

f:id:pigmonm:20190825232733j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825232823j:plain:w240f:id:pigmonm:20190825232910j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825232943j:plain:w360
山﨑猛《愛の讃歌》(1974)

  • 高萩市総合福祉センター いったん高萩駅まで戻り、線路沿いの歩道を歩いて高萩市総合福祉センターに向かう。駅から10分弱といったところか。

f:id:pigmonm:20190825233107j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825233213j:plain:w240
山﨑猛《ふれあい》(1984/2001.1竣工)。高萩ライオンズクラブと高萩ロータリークラブによる寄贈。LCとRCが共同で寄贈している例って、初めて見た。

  • 高萩駅西口周辺 再び高萩駅に戻り、最後に駅周辺の彫刻を探る。

f:id:pigmonm:20190825233251j:plain:w240f:id:pigmonm:20190825233336j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825233422j:plain:w240
山﨑猛《はばたき》(1991.9設置)。高萩ライオンズクラブが結成25周年を記念して寄贈。郵便局寄りの駐輪場前に設置。


f:id:pigmonm:20190825234335j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825234407j:plain:w240
《地政學者 長久保赤水像》(2012.11.3設置)。長久保赤水先生銅像建立実行委員会による。現・高萩市出身の、伊能忠敬に先行する江戸時代中期の地理学者・地図制作者。

  • 高萩駅東口(この項、2020.6.18の追記)

f:id:pigmonm:20200618162317j:plain:w360f:id:pigmonm:20200618162334j:plain:w360
右側:山崎猛《形態A》(1968)、左側《形態B》(1968)。※タイトル板なし


f:id:pigmonm:20200618162351j:plain:w240
ロータリーの街灯


つづく
最初に戻る

高萩市森林公園(お手まき記念の森) 彫刻放浪:高萩・水戸(3)

次へ
戻る

  • 菊池寬実記念高萩炭礦資料館から徒歩で高萩市森林公園まで移動。歩いて、10分強といったところか。高萩市森林公園は、1976年開催の第27回全国植樹祭のお手まき行事の会場になったところで、森林公園として整備され、市民の憩いの場となっている。公園の遊歩道沿いの野外に8基の山﨑猛作品が設置されている。大まかに分けて、子ども像と女性像に分類できるか。検索:山崎猛

f:id:pigmonm:20190825231301j:plain
高萩森林公園・案内図

  • 子ども像

f:id:pigmonm:20190825231331j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825231354j:plain:w360
山﨑猛《木馬》(1982)


f:id:pigmonm:20190825231531j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825231603j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825231640j:plain:w360
山﨑猛《ひとみ輝く》(1989/1991.3設置)。高萩市による。


f:id:pigmonm:20190825232438j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825232502j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825232526j:plain:w240
山﨑猛《たくましく》(1991.12設置)。高萩市による。

  • 女性像

f:id:pigmonm:20190825231417j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825231443j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825231504j:plain:w360
山﨑猛《女の門》(1987)


f:id:pigmonm:20190825231705j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825231748j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825231859j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825231817j:plain:w360
山﨑猛《ふね》(1982/1998.3設置)。高萩市による。


f:id:pigmonm:20190825232008j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825231940j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825232041j:plain:w360
山﨑猛《いざない》(1981)


f:id:pigmonm:20190825232119j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825232147j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825232212j:plain:w360
山﨑猛《女の方舟・曙》(1987/1998.3設置)。高萩市による。


f:id:pigmonm:20190825232259j:plain:w240f:id:pigmonm:20190825232337j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825232401j:plain:w360
山﨑猛《かたつむりの女》(1998.3設置)。高萩市による。



  • 森林公園の一角に、たかはぎグリーンミュージアムがある。名前の通り、森や植生についての啓蒙的な展示をする施設(ただし、だいぶ廃れた感じだった)だが、奧の1室が山﨑猛作品の展示室になっていた。主に作者から寄贈されたと思われる大型作品の石膏原型を中心とした展示で、年譜などもあった。

f:id:pigmonm:20190825232557j:plain:w360
山﨑猛《女の方舟・曙》(1988)。


f:id:pigmonm:20190826202636j:plain:w360
向かって左から、山﨑猛《童子》(1967)、同《童女》(1967)、同《生》(1967)


f:id:pigmonm:20190826132805j:plain:w360
山﨑猛《沐浴》(1986)


f:id:pigmonm:20190826202701j:plain:w240
山﨑猛《ふれあい》(1984


f:id:pigmonm:20190826202723j:plain:w360
山﨑猛《沐浴 NIJUICHI》(1989)


f:id:pigmonm:20190826202751j:plain:w240
山﨑猛《形態B》(1968)


f:id:pigmonm:20190826202810j:plain:w240
山﨑猛《形態A》(1986)


f:id:pigmonm:20190826202829j:plain:w240
山﨑猛《クロソイドの女(A)》(1979)


f:id:pigmonm:20190826202847j:plain:w240
山﨑猛《はらから》(1961)。本作のみ、牛久市の個人からの寄贈。


つづく
最初に戻る

菊池寛実記念高萩炭礦資料館 彫刻放浪:高萩・水戸(2)

次へ
戻る

  • 続いて、菊池寛実記念高萩炭礦資料館へ向かう。歩いて5分ほど。ここももとは大心苑の一部で、以前は「大心苑の小さな美術館」だったらしい。その名残か、前庭に多くの野外彫刻が設置されている。具象の人物像が多い。菊池寛実記念高萩炭礦資料館は、無料だが、土日祝のみ開館なので、訪問には注意が必要。展示室では、高萩の炭鉱の歴史や文化などの他、高萩炭鉱株式会社の操業者、菊池寬実の生涯などについて、史資料やパネルやジオラマなどで紹介されていた。検索:山崎猛、六崎敏光、南安広

f:id:pigmonm:20190825224137j:plain:w360


f:id:pigmonm:20190825224041j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825224115j:plain:w240
石黒孫七《やすらぎ》。炭礦資料館に隣接する旧クラフト工房前に設置。


f:id:pigmonm:20190825224233j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825224255j:plain:w240
三谷慎《ケンタウロス》(1985)


f:id:pigmonm:20190826130651j:plain:w240f:id:pigmonm:20190826130721j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190826130754j:plain:w240
瀬戸剛《空へ》


f:id:pigmonm:20190825224316j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825224338j:plain:w240
六﨑敏光《香風》


f:id:pigmonm:20190825224421j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825224507j:plain:w240
遠藤幹彦《昂》


f:id:pigmonm:20190825224538j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825224600j:plain:w240
遠藤幹彦《昂》 ※前掲作と同題。


f:id:pigmonm:20190825224624j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825224645j:plain:w360
南安廣《歓喜


f:id:pigmonm:20190825224719j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825224739j:plain:w360
山﨑猛《憩》(1960)


f:id:pigmonm:20190825224803j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825224835j:plain:w240
山﨑猛《水の精》(1973)


f:id:pigmonm:20190825224904j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825224947j:plain:w240
増山俊春《燦》(1994)


f:id:pigmonm:20190825225018j:plain:w240f:id:pigmonm:20190825225045j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825225113j:plain:w240
山﨑猛《愛の道》(1979)


f:id:pigmonm:20190825225134j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825225159j:plain:w240
日野宏紀《創造》


f:id:pigmonm:20190825225223j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825225254j:plain:w240
《高萩炭礦創業者 菊池寛実翁》(1979.10設置)。レリーフの作者は不詳。


f:id:pigmonm:20190825225339j:plain:w360
昭和40年代(1965〜75)に使われた台車・炭車


f:id:pigmonm:20190825225312j:plain:w360


つづく
最初に戻る

大心苑 彫刻放浪:高萩・水戸(1)

次へ

  • 青春18きっぷを利用して、高萩と水戸へ行ってきた。今回のお目当ては、一つは高萩市内に多く設置されている彫刻家山﨑猛の作品を探ること、もう一つは水戸芸術館で開催されている大竹伸朗の展覧会を観ることである。高萩では、ミスもあり、ずいぶんと歩いてしまったが、おおよその目的は果たすことができ、まあまあ楽しい小旅行ではあった。
  • 今回の彫刻放浪の主人公、山﨑猛について。山﨑猛(1930-1988)は茨城県高萩市出身の彫刻家、大学教員。主に一陽会で活動。1954年茨城大学教育学部美術科を卒業した後、中学教師を経て、1963年から茨城大学教育学部美術科助手となり、以後、長く茨城大学の教員を務めた(1970年教授、1995年名誉教授)。高萩市をはじめ、茨城県内各所に多くの野外彫刻が設置されている(以上、主にwikiなど、ネットの情報よる)。なお、名前の表記については、今回の旅行記では、仮に「山﨑猛」に統一した(キャプション類だけはなく、作品サインにも「山﨑」「山崎」の両様あった)。検索:山崎猛。
  • では、出発。最寄り5:15発に乗車し、京葉線武蔵野線常磐線を乗り継いで、8:54頃、高萩駅に到着。途中、常磐線が安全確認のため15分ほど遅れたが、途中の停車時間短縮などで取り戻し、結局3分ほどの遅れで、高萩駅に到着。ここからはバスで、少し内陸に入った「大心苑」に向かう。目的地までは椎名観光バスと茨城交通バスの2路線があるが、椎名観光バスの方は日曜日は運休(これに気づいたのは、後のことなのだが…苦笑)。ということで、茨城交通バスの9:15発高萩協同病院行きに乗車。20分ほど、340円。
  • 大心苑 大心苑はかつて高萩市にあったレジャー・観光施設群で、現在は一部を除き、閉鎖されている(グラウンドが高校の施設として使用されているように、現在も一部が利用されている)。ざっくり言うと、高萩炭鉱が閉山になった後に、跡地をレジャー施設・宿泊施設に整備し、観光・レジャー産業を興し、一時活況を得るも、バブル崩壊後に経営難となり、2004年のホテルが廃業となったのを最後に閉鎖された、という経緯らしい。大心苑の名称は、高萩炭礦株式会社を設立した(1940年)実業家、菊池寬実(1885-1967)の戒名の一部から採られたもので、観光・レジャー産業への転身も菊池の遺志に基づいているとのこと。

>参考:ふるさとの歴史散歩(高萩市) 「炭鉱の町と大心苑」

  • svでこのあたりの様子を見ていたら、いくつか野外彫刻を確認できたので、とりあえず行ってみることにした。大心苑の名標のあるあたりが駐車場で、その周囲に幾つか野外彫刻が設置されていた。ほとんどは山﨑猛作品で、少し小高くなったところに、澤田政廣による菊池寬実の胸像も立っていた。今回は駐車場の周囲のみなので、ことによると敷地内に他にも像が立っているのかもしれない。

f:id:pigmonm:20190825223331j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825223401j:plain:w360
山﨑猛《とうりゃんせ》(1960)。「大心苑」の名標の上に設置されていたスモールダウンしたバージョン。《とうりゃんせ》は山﨑の初期の名作で、北茨城市磯原に大きなバージョンが設置されている。


f:id:pigmonm:20190825223426j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825223528j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825223455j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825223556j:plain:w360
山﨑猛《女の方舟・曙》(1988)。タイトル板なし。このタイトルでいいと思うが、要チェック。


f:id:pigmonm:20190825223636j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825223710j:plain:w240
山﨑猛《ふれあい》(1984


f:id:pigmonm:20190825223739j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190825223817j:plain:w240
山﨑猛《はらから》(1960)


f:id:pigmonm:20190825223847j:plain:w240
山﨑猛《はばたき》(1966)


f:id:pigmonm:20190825223916j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190825224004j:plain:w240
《菊池寬実翁》(1978.12.12建立)。制作は澤田政廣。

つづく

藤沢駅周辺 彫刻放浪:東海道線沿線・神奈川編(7)

戻る

f:id:pigmonm:20190821233605j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190821233635j:plain:w360
奥田公園(西側)の、熊坂兌子(なおこ)《平和の像》(1995.8.15設置)。ネットを調べていたら、今年の3月にワークショップで掃除したらしい。どうりできれいだった。


f:id:pigmonm:20190821233411j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190821233538j:plain:w240
奥田公園(西側)の、高田博厚《空》(1979.9設置※)。藤沢湘南ライオンズクラブの寄贈。※当初の設置場所は北口のペデ上だったらしい(裏取れていないです)。


f:id:pigmonm:20190821233706j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190821233842j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190821233909j:plain:w240
市民会館前の、親松英治《翔》。藤沢ロータリークラブ国際ロータリー第2780地区1991〜92年度地区大会を記念して寄贈。


f:id:pigmonm:20190821233926j:plain:w360
市民会館前の、《名誉市民 片山哲先生》(1972.5設置)。彫刻:菅沼五郎、石工:秋元大太郎。片山哲先生を顕彰する会による。


f:id:pigmonm:20190821233956j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190821234032j:plain:w240
旧近藤邸の、陶山定人《まごころ》。藤沢中央ライオンズクラブが創立10周年記念に寄贈。

f:id:pigmonm:20190821234055j:plain:w360
駅へ向かう途中で見つけたベンチ

f:id:pigmonm:20190821234121j:plain:w240
北口ペデストリアンデッキの、「藤沢市核兵器廃絶平和都市宣言」モニュメント。藤沢市の宣言は1982年6月21日に出されている。北口ペデは大改修中だった。


f:id:pigmonm:20190821234143j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190821234204j:plain:w240
銀座通交差点の北西側歩道上の、《海を望むオーケアニデス》。像に「もえみ」とサインがあったので、作者は児玉もえみか?


f:id:pigmonm:20190821234228j:plain:w240
FTビル前(藤沢市藤沢115)の、高田博厚《海》。


おわり/最初に戻る

茅ヶ崎駅周辺 彫刻放浪:東海道線沿線・神奈川編(6)

次へ
戻る



f:id:pigmonm:20190821233119j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190821233158j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190821233233j:plain:w360
茅ヶ崎駅南口ロータリーのモニュメント。タイトル、作者など不詳。


f:id:pigmonm:20190821233312j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190821233336j:plain:w240
幸町クリニックなごみ(茅ヶ崎市幸町16−2)前の、牛山一《春の調べ》


つづく

寒川町 彫刻放浪:東海道線沿線・神奈川編(5)

次へ
戻る

f:id:pigmonm:20190821230928j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190821231000j:plain:w240
原田純成《遥か》(1983.5.21設置)。制作チームは、彫刻:原田純成、鋳造:三浦七郎、台座:茅ヶ崎石材工業(株)。寒川ロータリークラブが、創立10周年記念に、台北士林ロータリークラブとともに寄贈。

  • 寒川町役場・寒川町町民センター周辺

f:id:pigmonm:20190821231034j:plain:w360
《翔》(1993.5.8設置)。作者などは不詳。寒川ロータリークラブが、創立20周年記念に、台北士林扶輪社とともに設置。


f:id:pigmonm:20190821231105j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190821231135j:plain:w240
原田純成《三つの意志》(1987/1987.7.13設置)。寒川町核兵器廃絶平和都市宣言(1985.6.13)を受けて、設置された記念碑。


f:id:pigmonm:20190821231240j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190821231200j:plain:w240
f:id:pigmonm:20190821231549j:plain:w360
原田純成《水辺》(1976.5設置)。制作チームは、彫刻:原田純成、鋳造:三浦七郎。寒川ロータリークラブが庁舎竣工記念に寄贈。


f:id:pigmonm:20190821231311j:plain:w360
原田純成《固まる》(1993)


f:id:pigmonm:20190821231339j:plain:w360
f:id:pigmonm:20190821231519j:plain:w240
原田暁《ダイサギ》(1993.5.23設置)。寒川ロータリークラブが創立30周年記念に寄贈。ダイサギは寒川町の鳥。

f:id:pigmonm:20190821231617j:plain:w240
水の広場の噴水塔


つづく