小豆島(2)道の駅 小豆島オリーブ公園 彫刻放浪:小豆島と高松(2)
- オリーブバス12:00発の臨時便の坂手東行きに乗車。30分弱で、オリーブ公園口バス停に到着。300円。オリーブバスは300円が上限(補助が出ているのか)。今回は2回以上バスに乗らない予定なので(結局、ここでしかバスに乗らなかった)、パスは買わなかった。
>参考:小豆島町 石彫作品
1968年 第1回日本青年彫刻家シンポジウム
1972年 小豆島彫刻シンポジウム72
1973年 小豆島彫刻シンポジウム73
1991年 '91小豆島国際石彫シンポジウム
- 道の駅 小豆島オリーブ公園
山本忠司《オストラコン》(1991)
酒井信次《百へ》(1991)
ハン・サイ・ポー(シンガポール)《童年的夢》(1991)
ヨルク・エンデルル(ドイツ)《14 Happy Days》(1991)
政義昌俊《自然のうた》(1991)
「明日へのメッセージ《友愛》」(1990.4設置)。制作・デザイン:木村光佑。オリーブ公園建設にあたり、姉妹都市の茨木市が寄贈。
北村西望《母子像》(1990.4設置)。長崎県南高来郡南有馬町(現・南島原市)の寄贈。南有馬町は西望の生地。小豆島の北村西望①
渡辺俊蔵《挙》(1968)
VK・ラージャン(インド)《ガヴァディ》(1991)
これは彫刻ではなく、オリーブオイルをとるための石臼。
- オリーブビーチ
曽根皋子《Paradise Gate》(1991)
小豆島(1)土庄港周辺 彫刻放浪:小豆島と高松(1)
- 小豆島に行ってきた。小豆島には多くの野外彫刻がある。というのも、1968年の第1回日本青年彫刻家シンポジウムにはじまり、小豆島で何度か石彫シンポジウムが開催され、そのときに制作された作品や、それがきっかけに制作された作品が設置されているからだ。他にも、モニュメントやブロンズ像などもいろいろとある。ということで、主に野外彫刻を観ようと出かけた次第。実は、これまでにも、何回か、彫刻を目当てに小豆島を訪ねようと計画を立てたことがあるのだが、フェリーが事故を起こして小豆島に渡れなくなったり、荒天であきらめたり、となかなか果たせないでいた。今回は、いい天気にめぐまれ、やっと「彫刻放浪:小豆島編」を実現できたのであった(その代わり!?、2日目は本降りの雨となり、予定を変えざる得なかった…泣)。
- 最寄り5:20発の始発バスで成田空港T3。Jetstar GK411便、成田7:50→9:15高松。順調なフライト。空港連絡バスに乗車。1台目、9:20過ぎに満席になったので、出発。40分ほどで、高松築港に到着。740円SUICA。小豆島フェリーの高速船、土庄港行き10:40発に乗船。11:15頃、到着。1190円。同じ10:40発のフェリー便もあったが、30分でも時間に余裕をもたせたかったので、奮発して(って、ほどでもないが)高速船に乗った。
- 早速、土庄港周辺の野外彫刻を観覧。小豆島オリーブバスの通常の時刻表で予定を立ててきたが、瀬戸内国際芸術祭期間中で、臨時バスも併せて走っていて、一瞬、バスの時間を間違えたかと思い、少し焦るなど笑 以下、今日のルートなど
(1)土庄港周辺→(2)道の駅 小豆島オリーブ公園周辺→(3)鬼ヶ崎・小豆島オリーブユースホステル・島醸→(4)草壁港・草壁児童公園→(5)清見寺・小豆島町役場→(6)内海総合運動公園周辺→(7)坂出港
高松港にて。行きは高松港発の高速船スーパーマリンで小豆島の土庄港まで行く。
ジョゼ・デ・ギマランイスのウェルカムボード《ハッピースネーク》。瀬戸内国際芸術祭・T2。
《愛》(1979/1980.3.27建立)。作者は不詳(○に「K」のサインあり)。国際ロータリー創立75周年記念、小豆島ロータリークラブ創立20周年記念。
《平和の群像》(1956.3.21設置)。制作は矢野秀徳。
矢野秀徳《オリーブの女神》。説明板があるわけでもないので、詳細はよくわからないが、「オリーブの歌」碑とともに、小豆島の別のところから移設されたものらしい。
《堀本文次翁》(1997/1997.9建立)。制作者は、像に「寛山」のサインがあるので、原寬山か。社団法人小豆島観光協会による。
「オリーブの歌」碑(1985.3.15建立)。作詞:河西新太郎、作曲:服部良一、歌手:二葉あき子(1957年)。小豆島バス株式会社による。
www.youtube.com
ということで、二葉あき子歌唱の「オリーブの歌」を貼っておく。
尾崎放哉句碑/「俳人尾崎放哉上陸地」碑(1993.4.7建立)。土庄町と放哉南郷庵友の会による。放哉の句は「眼の前魚がとんで見せる 島の夕陽に来て居る」。
インドラ・ミロサヴィエヴィチュ《CHIEN ROUGE 赤い犬》(1993)。NPO法人オリーブ生活文化研究所などにより実施されているアーティストインレジデンス事業での滞在制作。
キム・キョンミン《再び・・・》。瀬戸内国際芸術祭2019・sd03。かどやの工場がすぐ目の前で、ごま油の匂いが強く漂ってきたよ。
チェ・ジョンファ《太陽の贈り物》(2013)。瀬戸内国際芸術祭2019・sd01。オリーブの葉1枚1枚に、土庄町の小学6年生102名(2013年1月現在)の海へのメッセージが記されている。
帯広(2) 彫刻放浪:十勝(7)
- 十勝バス・60・広尾線、道の駅なかさつない14:55発の帯広行きのバスに乗車。幸福で下車して、帯広空港まで歩く、というプランもあったが(だいたい5kmぐらい)、空港での待ち時間が長いので、これは止めておいて、一度帯広市市街まで戻ることにする。16:00過ぎ、帯広バスターミナルに到着。空港行きのバスまで、市内を少しうろうろし、いくつか野外彫刻を観覧(ほとんど再訪)。
帯広市役所ロビーの、平馬學《時の道標》(1992.7設置)。市役所庁舎の建設を記念して、開拓姉妹都市の松崎町から寄贈されたもの。検索:平馬学
- 十勝バスの空港連絡バス、NHK前17:28発(少し遅れてきた)に乗車。帯広BTからだと混むので、いくつか手前のNHK前から乗車した次第。ほぼオンタイムの18:18頃、帯広空港に到着。早々に保安検査場を通過して、出発ゲート付近で一息つくなど。
- 帰りの飛行機は、Air Do 68便、帯広19:10→20:55羽田の予定。機中、少し揺れたが、だいたい予定どおりのフライト。バス移動で到着ロビーへ。21:20発の最寄り方面行きのバスに乗ることができた。22:30頃、無事に帰宅。
おわり/最初に戻る
中札内村(2)六花の森 彫刻放浪:十勝(6)
- 中札内美術村12:32発、十勝バス・広尾線・帯広駅行きに乗車。数分で道の駅なかさつないバス停に到着。数分だが、4,5kmくらいの距離があったはず。道の駅で一休みして、六花の森まで歩いて向かう。道の駅の裏手の団地?を抜け、畑の中の道を歩く。15分ほどで到着。
- 六花の森は、名前の通り六花亭製菓による庭園。三番川という小川の沿った約10haの敷地内にはいくつかの小美術館、ミュージアムショップ、カフェ、製菓工場などがあり、十勝六花をはじめとした季節の花々が植えられている(残念ながら、花のシーズンは大方終わっていたが…)。2007年の開園。入園料は一般600円。庭園内には、先にも記したように、安西水丸作品館、坂本直行記念館、百瀬智宏作品館、池田均作品館、小川游作品館、花柄包装紙館、サイロ五十周年記念館といった小美術館が配置され、自由に観覧することができる。個人的には、南側の丘の上にある板東優作品が目玉かな。この他にも、園内には、青木三四郎の小動物や鳥の彫刻が散在し、また、「座ってみたい北の創作椅子展2008」の入選作(だと思う。ほとんどのものにキャプション類がないのでよくわからない)などが設置されていた。
六花の森・案内図
板東優《THINKER 考える人 ロダンより》(2007)
板東優《HEART》(2013)
園内の各所に置かれていた椅子たち。一番下の椅子だけタイトル板があった。それによると、手塚敦史《Clover》という椅子。「座ってみたい北の創作椅子展2008」の入選作ともあった。他の、個性的な椅子たちもおそらく同展関連のものだと思う。「座ってみたい北の創作椅子展」は、中札内美術村が主催して開催するコンクールのようだ。
三番川の流れ。
青木三四郎の彫刻。他にもいくつか設置されていた。
坂本直行記念館の入口のドアハンドル。おそらく板東優作品。
花柄包装紙館の内部。六花亭で使われている花柄包装紙で埋めつくされている。
カフェ/工場前の広場。
マスキングテープのオブジェ。カフェ入口付近に置かれていた。
中札内村(1)中札内芸術村 彫刻放浪:十勝(5)
真ん中の山は、たしか十勝幌尻岳。
美術村前のバス停を降りたら、こんな感じ。
- 帯広駅バスターミナル9:35発の十勝バス・60・広尾線・広尾行きに乗車。10:40頃、中札内美術村バス停に到着。この路線は襟裳岬に行くとき利用したことがある。路線バスなので、帯広市内や沿線の町の市街を回るので、けっこう時間がかかる。中札内美術村まで1時間以上かかった。
- 中札内美術村は、敷地内に柏林や芝生広場、美術村庭園が広がり、その中に、北の大地美術館(1992開館)、相原求一朗美術館(1996開館)、小泉淳作美術館(2002開館)、真野正美美術館(2017開館)などの美術館とレストランなどが散在する。野外彫刻は板東優によるモニュメントや具象の人物像が設置されていた(タイトル板が設置されていないので、下記掲載作品の作者や制作年は主に作品に書かれた「サイン」による。)
>参考:MASARU BANDO(公式)。
板東優《RAIL》(2007)。レールのモニュメント。
中札内芸術村・案内図。この案内図には、野外彫刻は森の中の2基、《鐘をならせ》と《二人》が記載されているだけだが、芝生広場や美術村庭園などにも主に板東優の彫刻が設置してあった。これはうれしいところ。板東優作品をこれだけまとめて観ることができるのは、あとは箱根のポーラ美術館ぐらいか。
板東優《PASSIONE》(1992)。枕木のモニュメント。
正面入口付近。
敷地内の遊歩道など、JR広尾線でかつて使われていた枕木などが利用されている。
相原求一朗美術館。美術村の東側。美術館の建物は、1995年まで営業していた公衆浴場、帯広湯を移築・復元・増築改修したもの。1996年に美術館として開館。画家・相原求一朗(1918-99)の作品、なかでも北海道の自然を描いた大作などを観ることができた。小美術館かなと思っていたら、思っていた以上に規模の大きな美術館で、画家の全体像を知ることができた。
西側の柏林
板東優の彫刻小品。おそらく《Byou Byou》(1994)という作品。正面入口から西側の柏林の中に入ってすぐ、左手に設置されていた。細く、やや背の高い木の台座の上に立っていた。
板東優《鐘をならせ》(1989)
板東優《二人》(1989)
芝生広場の、青木三四郎《MEMORY》
美術村庭園の、板東優の、おそらく《緑のメモリー》(1998)という作品。
美術村庭園の木立の真ん中に、八木重吉の詩碑があった。
草に すわる
わたしの まちがひだつた
わたしのまちがいだつた
こうして 草にすわれば それがわかる
美術村庭園の、板東優による女性像(1988)
枕木と釘の椅子
美術村庭園の、板東優による小さな女性像(1987)
美術村庭園の、板東優による女性像(1987)
真野正美作品館前の、板東優による女性像
美術村東側の丘の上から美術村庭園を望む。
丘の上の、板東優による女性像(1985)
美術村東端の、枕木の塔。おそらく板東優作品?
小泉淳作美術館。ここも思っていた以上に大きな規模で、オレ的にはけっこうぐっときてしまった。3室あり、いちばん奧の展示室には、建仁寺法堂の双龍図天上画の小下絵や、東大寺本坊の障壁画の下絵や障壁画の配置を示した模型など。
真野正美小館。帯広市内で農機具や建築・土木用品の販売を営んできた三井金物店(現在、六花亭サロンになっているところ)の敷地内に1924年に建てられた石蔵を移築したものとのこと。現在は真野正美の小品が展示されていた。
北の大地美術館。自画像の公募展「二十歳の輪郭」入選作が展示されていた。
帯広(1) 彫刻放浪:十勝(4)
- 6:00過ぎに起床。身仕度をして、7:00から朝食。いったん部屋に戻り、一息ついてから、8:00頃チェックアウト。
- 中牟礼内村に向かうバスの時間まで、帯広市街の少し歩く。六花亭サロン→西四条橋→中央公園→平原通りといった感じ。
大通南5・南6交差点・北西の、六花亭サロン kyu。元・三井金物店の建物を活かした六花亭のサロン。コンサートなどに利用されているらしい。非公開なので、今回は外観のみ観覧。内部には板東優の彫刻もあるようだ(ぐるっと1周したら、1基、ちらりと見えた)。
帯広川にかかる西四条橋の、《翔》(1982)。作者は不詳。西四条橋ブロンズ像作成委員会が設置。
中央公園の、《育くめ青少年》(1988.10.23設置)。再訪。帯広ライオンズクラブが創立30周年を記念して、寄贈。前回、来た時は、公園内には入れたものの、改修中だったが、それも終わり、ずいぶんときれいになっていた。追記(2020.11.1):作者は北村誠峰。
その中央公園、ちょっと作品っぽい石がところどころに置かれていて、楽しい(!?)。
で、オレ的に豚丼以上の帯広グルメはここ、という感じのカレーショップ・インデアンのまちなか店。帯広に来ると、最低1食は食べる。釧路にも支店があるので、釧路に行ったときも最低1回は行く笑
帯広駅北口前広場の、《穹(そら)を擴(ひら)く》(2003)。再訪。帯広商工会議所創立80周年、とかち国際現代アート展「デメーテル」(2002.7-9)の記念モニュメントとして建立。制作は「帯広商工会議所駅北広場モニュメント制作委員」。委員は、池添博彦、池田緑、瀧川秀敏、中谷有逸、宮沢勝忠。
で、帯広といったら、これ。帯広駅北口前広場の、坂坦道《大地》(1969.10.15建立)。再訪。
新得町 彫刻放浪:十勝(3)
- 神田日勝美術館前13:55発の北海道拓殖バス・51・南新得行きに乗車。30分強乗って、14:26頃、新得橋バス停で下車(新得駅前のいくつか手前のバス停)。駅前まで行かなかったのは、新得橋の東詰に野外彫刻があり、これを観ようと思ったから。以下、新得橋→新得駅前→新得町役場と、新得町の野外彫刻を観て回る。
新得橋バス停
新得橋東詰の、横田裕美《ひびき》(1985.11建立)。新得橋の架け替え記念として、新得町ジュニア吹奏楽団をモデルに制作。作者の横田裕美は、新得中学校の美術教師、後に校長を務めた方だとか。
新得駅前の、やじろべえのモニュメント(1993.12設置)。1993年3月、建設省国土地理院が北海道の重心が新得町にあることを発表したことに基づき、町が町内の小学生にデザインを公募し、選ばれたデザインをもとに、制作・設置された。
新得駅前の、《希望》(1978.10/1987.10.20設置)。作者は不詳(足下にサインあり。解読中…)。平和の像として、個人が寄贈。
新得駅前の、横田裕美《火夫の像》(1982.2.17設置)。
新得町役場前の、《讃歌》(1979.12設置)。制作チームは、彫刻指導者:横田裕美、制作協力:新得中学校、屈足中学校の1・2年生、台座寄贈者:新得町土建協会。
- 帰りも少し時間がかかるが、電車ではなく、バスを利用。新得役場前15:27発の北海道拓殖バス・帯広行きに乗車。17:00過ぎに西二条4丁目バス停で下車。帯広市内の野外彫刻を少し回ったが、日が暮れてきたので、明日改めて立ち寄ることにした。例によって、カレーショップ・インデアンのまちなか店でカツカレーなどを食らい、ホテルへ向かう。