かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

芽室→帯広


  • 6:30起床。身仕度をして、1Fの食堂で、朝食バイキング。品数も多く、なかなか美味しい。合格点。一度部屋に戻り、パッキングして、8:00前にチェックアウトする。


駅前の噴水モニュメントって、水は湧き出しているけど、噴き出してはいないから、噴水じゃないかあ。前日に帯広に着いたときは、おじさんが一人で調整していた。夕方、行ったら、雨の中、水が溢れ出ていた。

  • JR帯広8:06発の芽室行きに乗車。3両編成で、通学の高校生で少し混んでいたが(ラッシュというほどではない)、芽室の一つ手前の大成という駅でみんな降りていった。終着の芽室駅には8:28に到着。260円。芽室で下りたのはオレを含め2人だけだった。



3両編成。先頭車両がオレンジ色だった。

  • 芽室でのお目当ては、総合体育館前にある本郷新《リズム》。他に、公立芽室病院に鈴木吾郎作品があることは知っていたので、これにも立ち寄るつもり。他にもあるかな?などと思って、歩いていたら、意外にたくさんの野外彫刻を観ることができた。
  • 芽室駅前の野外彫刻


生命の樹木》(1999.10.1設置)。芽室町開町記念シンボルモニュメント。芽室町が1900年(明治33年)に戸長役場が設置されてから100年経つのを記念して建立された。後方の時計塔のある建物が、芽室駅駅舎。


《轉禍為福》(1965.9.25設置/1999.7.1現在地へ移設)。大火復興記念碑。1964年3月22日に発生した大火からの復興を記念して建てられた。デザインは富谷道信、制作は森石材店が担当。


銘板が見当たらず、作者・タイトルなど不詳。「1999」と「San」のサインあり。この他にも駅前通りにいくつか野外彫刻もあったが、掲載は割愛。追記(2019.10.11):作者は青木三四郎か?

  • 芽室町図書館周辺の野外彫刻 続いて、役所や図書館・公民館などの集まっている地区へ行ってみると、周辺にモニュメントや野外彫刻がいくつか設置されていた。特に図書館の周囲が目立った。その中からいくつかを掲載。


1984年10月に制作・設置された、芽室町図工サークルによる野外彫刻。タイトルは不詳。


《愛》(1995.8.6設置)。被爆50年に、「世界の平和と緑豊かな自然を未来あふれる子どもたちへ」受け渡すことを祈念して建立された、平和祈念像。作者は銘板に「Y.Sugawara」とあり。追記(2019.6.22):「Y.Sugawara」は、菅原義則、とわかる。


佐藤範夫《青春》(1990)。真っ赤な裸婦。錆びている?


岡沼淳一《TOMORROW》(1992)。後ろの建物が、芽室町図書館。


公立芽室病院前の、鈴木吾郎《生きる》(1995/1995.3.31設置)。


柏木児童公園の恐竜たち。ブランコはキリンだけど。トリケラトプスのジャングルジムがかわいい。

  • 芽室町総合体育館の本郷新《リズム》






本郷新《リズム》(1978.3.31設置)。

  • 芽室公園の野外彫刻


芽室公園にあったレリーフ。作者など不詳。


小山田菊太郎《風雪》(昭和62年度設置)。芽室の股間若衆。みごとな曖昧もっこりぶりである笑


横田裕美(昭和60年度設置) だいぶ痛んでいる。 ※タイトル失念。「〜をふく少女」


  • 芽室公園から芽室駅まで歩いて戻る。JRで、芽室駅10:06発に乗車。1両編成でワンマン運転。帯広には10:25に到着。260円。ダッシュで、バスターミナルに向かい、十勝バス・21南商あかしや線十勝バス本社行き10:28発に乗車。20分ほど乗って、西16条5丁目バス停で下車。220円。


帯広に戻る電車は1両編成だった。

  • バス停のすぐ北側の緑道の中にめざすものはあった。



鈴木吾郎《未来への風・かたらい》(2001.10.13除幕)。北海道帯広南商業高等学校校舎跡地(帯広市西17条南5丁目5番地。現在地への移転は1989年)前の緑道の中に設置。同窓会40周年記念事業として、記念碑の一部として建立。他に、校歌や沿革などの彫られた石碑がある。

  • 次の目的地、緑ヶ丘公園を目指して歩く。春駒通りの緑道を西に歩き、小さな川に行き当たったところで、川沿いを歩く。昨日とうってかわって暖かないい陽気だ。15分ほどで、公園の入口(美術館口?)にたどり着く。



左手の林の中に見えるのが帯広市児童会館、右手が北海道立帯広美術館。

  • 緑ヶ丘公園の野外彫刻① 帯広市児童会館と北海道立帯広美術館の野外彫刻。帯広美術館ではコレクションギャラリー(260円)を観覧した。展示室は1室のみで、「奇想天外 プリントアートの世界」というタイトルで、コレクションから現代美術の展示が行われていた。料金をとる展示としては、質的にはともかく、量的にはちょっと物足りなかったかな。


帯広市児童会館正面入口。科学系の展示施設とプラネタリウムなどがある。季節柄、鯉のぼりが飾ってあった。

帯広市児童会館前の、本田明二《青空にかぎりなき夢を》(1969.10.22設置)。帯広中央ライオンズクラブが8周年を記念して寄贈。




北海道立帯広美術館前の、エミール・アントワーヌ・ブールデル《勝利》(1923)。これで道立美術館4館にあるブールデル像を制覇笑。


帯広市児童会館裏の、《おびひろっ子の像 大きくはばたけおびひろっ子》(1971.8.22)。帯広市青少年委員連絡協議会により設置。制作は中村俊昭と小室吏。

  • 緑ヶ丘公園の野外彫刻② 帯広百年記念館周辺の野外彫刻 美術館を出たあたりから、北風が強くなり、天気はいいものの、いささか寒くなってきた。防風林のあるわけが少しは体感できた気がする。そんな中を記念館の周囲を散策しつつ、野外彫刻を探る。


開拓記念碑《拓く》。銘板にはタイトルの前に「開拓に尽された多くの先人のご労苦をたたえて」とある。また、銘板の下に、帯広市が開基100年市制施行50年を迎えるにあたって制定した「帯広市民憲章」(1982年6月17日制定)が書かれた銘板がつけられている。後方の建物が帯広百年記念館。




板東優《大地と夢想》(1982.10.24設置)。帯広市開基100年、市制施行50年記念として、帯広、帯広北、帯広西の各ロータリークラブが寄贈。


松井裕康《躍進》(1982)。帯広市開基百年を記念して、開拓姉妹都市松崎町から寄贈されたもの。松崎町静岡県賀茂郡松崎町)は、依田勉三の出身地。(2018.10.9、作者名追記。)


百年記念館ロビーの、創原環境芸術研究会《のぞみ》(1982.10設置)。帯広中央ライオンズクラブが創立20周年記念に寄贈。

  • 緑ヶ丘公園の野外彫刻③ 彫刻の径 1970年、彫刻家 本郷新の提案で、若手作家による十勝御影石を素材にした彫刻を制作する現代彫刻シンポジュウムが開催されることになり(現地で公開制作された)、以後、1973年までの4年の間に18名の作家による21基の彫刻が、その成果として公園内に設置された。


彫刻の径。道の左右に十勝石の彫刻作品が21基設置されている。手前に見えている作品は、中井延也《望郷》(1970)。

小室吏《水原の詩》(1973)

高嶋文彦《閉じ込められた魂 III-2》(1973)

中井延也《S-軌》(1972)

>参考:「彫刻の径」リーフレット(pdf)

  • 緑ヶ丘公園・その他






  • だらだらと帯広駅前まで歩いて戻る。駅の南口側の野外彫刻をちょっと探るなど。



帯広駅南口・十勝ぷらざ・1Fロビー、板東優《フロンティアの像 —透明な夢を見た日に—》(1995.11.1設置)。個人の寄贈。


帯広駅南口・長崎屋の西側、宮澤光造《大地》(1990.11設置)。宮澤光造(1958-)は東京出身の彫刻家。主に御影石を素材にした作品を制作。二科展などで活動。現在、尚美学園大学教授。

同、宮澤光造《雲に乗って》(1990.11設置)

同、宮澤光造《思いひそめつ》(1990.11設置)

  • 駅の北口側へ出て、十勝バスの案内所で、空港連絡バスのチケットを購入する。1000円。なんと硬券だった。その後、改めて、南口広場の野外彫刻を観て回る。
  • 坂坦道《大地》(1969.10.15建立) 台座裏の銘板に次のようにある。「この像は帯広・十勝を 象徴して たくましい開拓精神と 限りない発展とを 表現したもので あります 実り豊かな大平原に ちなんで「大地」と なづけました」。国際ロータリー創立60周年記念として、帯広、帯広北の両ロータリークラブが寄贈したもの。作者の坂坦道(1920-1998)は、石川県生まれの彫刻家。1930年に札幌に移住し、主に日展・日彫展で活躍。北海道に多くの野外彫刻を残している。また、北海道女子短期大学で長く教員を務めた。2008年親族より出身地の能登町に作品が寄贈され、2009年から能登町内浦庁舎内の常設展示場で作品が公開されている。







  • 空港連絡バスに乗る前に、夕飯でも食っておくべえ、と思うものの、どうしたものか? 今一度、豚丼いきますか、とも思うが、目の前にカレーショップ インデアン まちなか店があったので、帯広の地カレー?というか、基準カレーらしいので、これを食べてみることにする。マイ鍋を持って、買いくる人も多いとか。たしかに見ている前で美人の奥さんが鍋持ってカレー買いに来ていた。インデアンカツを注文。691円。ごはんの量も辛さも普通にしたが、普通はほとんど辛みがないので、中辛とかにした方がよかったかも。滋味豊富なれども、それほどスパイシーでもなく、少々もっさりした感じだったが、これはお腹がふくれる、という満腹感はあなどれないなとか。悪い癖で、福神漬けをもりもり食ってしまった。ダメだ。


駅前で、鹿を観て

カツカレーを食らい、

また、鹿を観た。

  • 腹ごなしに、帯広中央公園再訪。



よっ、また会ったな。ちなみに隣の茶色い柱は電柱、ではなくて、時計が上についている。

  • 市役所前を探った後(成果なし)、駅に向かって、ぶらぶらと歩いていると、セントラル十勝ビルというオフィスビル前に、坂坦道の作品があるのを見つけた。これが今回の旅行の最後の野外彫刻。


坂坦道《家族》(1990)

  • さて、ぼちぼち帰る。とかち帯広空港行きのバスは、そもそも飛行機の本数が少ないので、それぞれの便に対応して、バスが出発する。帯広駅BT17:40発の連絡バスに乗車。来るときのバスは空いていたが、帰りのバスは満席近くの乗客。オンタイムの約40分で帯広空港に到着。すぐに保安検査を済ませ、出発ゲートの2(3つしかない)ゲート近くで一休み。帰りの飛行機は、AirDo 068便、帯広空港19:10→20:55羽田T2の予定。飛行は順調で、予定より10分ほど早く到着。20:55には到着ロビーに出ることができた。バスカウンターに行って見ると、21:00発のバスのチケットを発券してくれた。これに乗って、22:00過ぎには無事に帰り着いたのであった。これで負け癖はなくなったかな苦笑 いや、まだまだ油断ならない。