かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

稚内・第1日

  • 春の北海道シリーズ第9弾、いよいよ最終回である。今回は、稚内に行ってきた。お目当ては、稚内の本郷新作品を訪ね、併せて、稚内の町を歩き、野外彫刻を探ること、日本の最北端である宗谷岬やノシャップ岬を観てくること、などである。天気予報ではあまりいい天気にならないとのことであったが、幸いにもそれほど雨も降らず、荒天になることもなく、ひととおりの予定をこなすことができた。そうそう、一番の不安の種は、往復の飛行機。ここのところ、機材繰りによる欠航に何回か遭っていたし、今回は新千歳でジェットスターANAを乗り継ぐプランだったので、飛行機が遅れることも不安材料だったのだが、往復とも、やればできるじゃん、とでも言いたくなるように飛行機は飛んでくれて、不安一拭、無事に行って帰ってこられた。楽しい旅だった。
  • 最寄り4:15の始発バスに乗車。成田空港T3に定刻の5:10に到着。少し早いが、次のバスだとぎりぎりになるので、このバスに乗った。まず成田空港から新千歳空港に向かう。搭乗するのは、Jetstar GK103便、成田7:05→8:45新千歳の予定。保安検査場を通過して、出発ゲートの161付近に行き、ベンチで一寝入り。飛行機はほぼ定刻通りの運行、新千歳には少し早めの到着。満点である。飛行機会社の違う乗り継ぎなので、一度、到着ロビーに出て、ANAの出発ゲートに向かう。次に乗るのは、ANA4841便、新千歳10:20→11:15稚内の予定。これがまた、ANAの出発ロビーは、国内線ターミナルの反対側なんだよな苦笑 再び保安検査場を通過して、出発の0ゲート付近で飛行機を待つ。0ゲートって、一番端っこなんだよな。朝っぱらから国内線Tの端から端まで歩いたぜ笑 稚内行きの飛行機は、正確にはANAウイングスの運航で、使用機材はボンバルディアDHC8-Q400。ターボプロップ機だった。機体の高さが低いので、ボーディングブリッジではなく、一度地上に下りてから搭乗。ANAの方も、ほぼ定刻どおりの出発、11:15ジャストに稚内空港に着陸した。機内はあまり広くはなく、搭乗時間も短かったのが、それでもちゃんとドリンクサービスがあった。雲が多い中での飛行だったが、思ったほど揺れない。ただ、稚内付近は、雲が低く、そのため何回か着陸をチャレンジすることになるかもしれない…と、機長からアナウンスがあったので、ドキッとしたが、無事に到着した。続いて、空港連絡バスで、稚内市内に向かう。バスは飛行機の到着に対応していて、11:35頃の出発だった。稚内駅前BTには30分ほどかかるとのことだったが、12:00前には到着していた。600円。


新千歳空港にて。ターボプロップ機に乗るのは初めてのこと。揺れると聞いていたが、それほどでもなかった。

  • 駅周辺の土地勘をつかんで、稚内の駅前BT・2番乗り場から、12:08発のノシャップ行きの宗谷バスに乗車。5分ほど遅れてやってきた。ノシャップまでは20分ほど。220円。駅からノシャップまでは、1時間に4本ぐらいバス便がある。バスの中から窓外を何をするでもなく眺めていたら、突然、大きな雄のエゾジカがゆうゆうと現れ、道を横切り、家が建ち並ぶその間に消えていった。いや、びっくりした。そうか、いるのか…いるんだよな。稚内ではエゾジカだけではなく、キタキツネもうろうろしているのをよく見かけた。バス停から恵山泊漁港公園/ノシャップ岬までは5分強歩く。左手の丘陵には、自衛隊稚内分屯地のレーダーサイトが見える。


ノシャップバス停からノシャップ岬方向を見る。


自衛隊のレーダーサイト。


恵山泊漁港公園の「ノシャップ岬」標。ここからの夕陽が美しいそうだ。


シンボルのイルカ時計塔から、灯台方向を臨む。


稚内灯台稚内灯台は1900年(明治33)に点灯を始めた。現在の灯台は、1969年に現在地に移転・改修されたもので、高さは地上から43m。全国で2番目、北海道で1番高い灯台(全国でいちばん高い灯台は出雲日御碕灯台の43.65m)。赤と白に塗られた稚内灯台が見える。隣接の水族館や科学館の外観と相まって、なんだか工場の煙突に見えなくもない。

  • 少し距離はあるが、戻りは歩いて、途中、何ヶ所かで野外彫刻を探ることにした。海岸から少し離れたところに波止めのテトラポットが設置され、岸辺近くには小型船が舫ってある。カモメがときどき鳴き声を上げる他は、とても静かだ。雲は低く、鬱々としていたが、この頃になると、晴れ間も多く見えてくる。暖かくも寒くもないいい感じの陽気だ。しばらく、海岸沿いの道を歩き、県道に折れる。小腹が減ったので、見かけたセイコーマートに入り、パンとコーヒーを買った。今回の旅行で感心したのは、セイコーマートの存在。他のコンビニが皆無だった一方、一町に一軒という感じで、ちゃんとセイコマはあった。地域に密着しているのが如実にわかる。



  • 宝来公園 道道254をしばらく南へ歩き、宝来公園に着いた。ここに、本郷新《太陽の母子》像が設置されている。像を観覧した後、ベンチを借りて、先ほどの買ったパンなどを食べる。空の青い部分がだいぶ多くなってきた。宝来公園は、あまり大きな公園ではないが、いい感じのベンチもあり、気持ちのいい公園だった。オレ以外、誰もいなかったけど…





本郷新《太陽の母子》(1976/1993.3設置)。稚内市による設置。(写真上)家と家の間から海が見える。(写真下)後方に見えるのは、稚内市体育館。


ベンチと、

消火栓。

  • 稚内公園 再び南に歩き、道を折れ、稚内公園のある丘陵へ向かう道を上る。稚内公園は、1954年に開園。市街地を一望できる丘陵の上にあり、隣接の森林公園も含め、市民の憩いの場となっている。碑やモニュメントがいくつか設置されており、ここを訪れる観光客も多い。かつてはロープウェイもあったようだ(1975〜2006年)。麓から《氷雪の門》のあるあたりまで、左右に短歌や俳句を記した駒板を配した遊歩道があり、ここを歩いた。以下、お目当ての本郷新制作の2碑と、いくつかの碑・モニュメントを掲載。


公園へ向かう道の途中から。遠く、宗谷丘陵が見える。





《氷雪の門》(1963建立)。制作は本郷新。もう帰ることのできない樺太への望郷の念、樺太で亡くなった多くの人々の慰霊のために建立された。高さ8mの門、黒大理石の台座、2.4mの女性像からなる。天気のいい日には、門の間から、樺太を見ることができるが、この日は雲で固く閉ざされ、何も見えなかった。



《九人の乙女の碑》(1963建立)。制作は本郷新。終戦時、樺太の真岡郵便局で通信業務を死守しようとした9人の電話交換手の女性たちの慰霊碑。1945年8月20日、彼女たちはソ連軍が迫る中、碑にある「皆さんこれが最後です さようなら さようなら」の言葉を遺し、青酸カリを飲み、自ら命を絶った。





樺太犬訓練記念碑》(1960設置)。日本学術振興会南極地域観測後援特別委員会による。樺太犬の像、レリーフの制作は加藤顕清。1956年、南極地域観測に参加するにあたり、北海道各地から集まった樺太犬31頭がこの地で、約8ヶ月間、橇の訓練を受け、その中の22頭が極地に渡り、昭和基地建設や調査探検に活躍した。その功績を称えるためにこの記念碑が建立された。



《南極地域学術観測隊樺太犬供養塔》(1961建立)。レリーフの作者は不詳。



《測量の碑》


稚内公園のベンチ

  • 稚内市北方記念館・開基百年記念塔 稚内公園の碑が多く置かれているあたりから、約1.5km歩いたところにある。上りが多く、ちょっときつい。欧米系の男性が一人、大きな荷物を担いで、猛然と歩いて行く、その後を追うように歩いたが、すぐに引き離されてしまった。ここまで歩いてくるヤツらは、彼とオレだけ…多く人は自動車でやってきていた。碑のあたりは観光バスで団体も多かったが、ここまでやってくる観光バスは少ないようだ。人は少ないながらも、途切れずにやってきていた。稚内市北方記念館・開基百年記念塔は、1978年稚内開基100年市制施行30周年を記念して建設された。基部の1、2Fは、稚内市北方記念館となっていて、稚内に関わる考古資料・歴史資料、あるいは樺太関連の展示を見ることができる。その上は高さ80mの稚内市開基百年記念塔になっており、エレベーターで高さ70mのところにある展望室まで上ることができる。ここが360°の絶景で、この日は雲がいくぶんかかっていたが、利尻・礼文まで見渡すことができた。高いところは苦手だが、ここは必見。入館料400円。


稚内市北方記念館・開基百年記念塔



稚内市北方記念館・開基百年記念塔前の、峯孝《出》(1978.7.1設置)。稚内市開基百年・市制施行30年記念に、稚内市町内会連絡協議会と民生委員協議会の寄贈。当時の市長、浜森辰雄の銘文(台座正面)によると「稚内二世紀創造の歴史を若者に期待するその姿を檜舞台の出番を待つ若きバレリーナに託しこの像を建立する」とある。作者の峯孝は特に稚内にゆかりはないようだが、宗谷岬も含め、稚内市内で、いくつかその作品を見ることができた。1Fの北方記念館にも、峯孝による《間宮林蔵立像》(宗谷岬のものと同じ)が展示してあった。

  • 市役所と稚内総合文化センターの野外彫刻 観覧後、来た道をふたたび戻る。実は碑のところに忘れ物をしたのだが、無事に回収することができて、ちょっとうれしい。さらに遊歩道を下り、途中から道を変え、北門神社の方向に下りる。道道254→106を南下し、稚内市役所まで。いささか歩き疲れた。市役所前に、稚内市2代目市長、浜森辰雄の胸像があったので、これを観覧。続いて、隣接の稚内総合文化センターも探る。センター前に野外彫刻が1基あった他に、写真は撮らなかったが、エントランスロビーに、峯孝《春》や、絵画などが、大ホール・ホワイエに、佐藤忠良《早蕨》があった(大ホール・ホワイエ内はガラス越しに遠望したのみで、作品には近づけなかった)。


稚内市役所前の、《稚内第二代市長 浜森辰雄の像》(2000.11設置)。浜森辰雄(1916-2009)は、8期にわたり稚内市長を務めた人物。同氏の功績を称え、浜森辰雄氏の功績を称える会が設置。生前だから、寿像ですな。なお、像の制作は笹戸千津子(像に「CHIZUKO」のサイン)。ちなみに、初代市長の西岡斌の胸像も稚内公園にあるようだが、これは見落としてしまった。追記(2021.1.25):稚内公園の西岡斌顕彰碑の制作は佐藤忠良とのこと。観ていないんだけど…


稚内総合文化センター前の、アリ・トラオレ《アフリカ》。作者は1964年セネガル生まれの彫刻家。国際ソロプチミスト稚内の寄贈。


稚内駅と「日本最北端の線路」。


稚内駅構内の、流政之《カネポッポ》(2012設置/コールテン鋼)。JR北海道文化財団による。樺太が日本領土だった時代に、機関車の汽笛の代わりに鐘が使われていたという。日本とロシアの鉄道友好の証として設置。


稚内港北防波堤ドーム。戦前、稚内樺太間の定期船発着所として、1931年(昭和6)着工、1936年(昭和11)完成。老朽化のため、1978〜1980年にかけて、改良工事が行われた。古代ローマの柱廊を思わせる外観から「ドーム」と呼ばれている。土木学会選奨土木遺産、北海道遺産に指定されている。



「稚泊航路記念碑」(1970.11建立)。1923年(大正12)鉄道省により、稚内樺太の大泊間に連絡航路が開設され、1945年(昭和20)8月に閉鎖されるまで、稚泊連絡航路を定期船が行き来した。その22年間の業績を記念して、有志により、建立された。


「C5549」。宗谷本線で活躍したC55型49号機蒸気機関車の主動輪一対。この機関車は、1945年までは、稚泊連絡線への接続列車を、戦後は、急行利尻号などを牽引していた。以前は、機関車自体も保存されていたが、塩害腐食のため、1996年に解体された。

  • 今日の観光は、このあたりで終わり。南稚内のホテルに向かうことにする。稚内周辺のホテルは、南稚内周辺に比べると、宿泊費がやや高めで、南稚内のホテルを予約したが、早朝散歩、というか、早朝徘徊?を考えると、多少高くても稚内周辺のホテルにした方ががよかったかも。それはそれとして、南稚内には、JRで向かうことにした(バス便もある)。ただ、列車の本数が少ないので、注意が必要。18:04発に乗車。1両編成のワンマン列車。3分ほど。南稚内までは170円だった。




  • 天北緑地の野外彫刻 南稚内で、ちょっとスーパーにでも立ち寄って、ホテルにチェックインするつもりだったのだが、西條という地元のショッピングセンターまで歩いたところ、明日立ち寄るつもりだった天北緑地がすぐ近くなのを思い出す。天北緑地に、1、2基、野外彫刻があることはGMで知っていたので、ちょっと偵察がてらに立ち寄ってみることにした。この緑地は末広町の3丁目から5丁目にかけて、丁目ごとのブロックが横に連なっている細長い公園で、全長が1kmちょっとあり、ふらっと行って、すぐに野外彫刻を見つけることができるか、どうか、いささかおぼつかなかった、ということもあった。そんなわけで立ち寄ってみた次第。と、最初に入った、いちばん西側のブロックでまず1基発見。次のブロックに行くと、また1基。念のため、次のブロックは…また1基、という具合に…そろそろ暗くなりかけているし、いい加減疲労困憊だし、あと1ブロックだけ…が、いつの間にか、毒食わば皿まで…になってしまい、結局、端から端まで歩いてしまい、全部で6機の野外彫刻を観ることができた。緑が多く、芝生も瑞々しい、気持ちのいい公園だった。では、天北緑地の野外彫刻を西側から順に掲載。



本間武男《追憶》(1992.3設置)。本間武男(1929-2006)は、北海道余市町出身の版画家、イラストレーター。彫刻作品も数は少ないながら制作しており、北海道内にいくつか設置されている。これまでに、恵庭で2基、釧路で1基、そして、ここ稚内で2基と、これまでに5基観ている。



高橋洋《このはずく》(1986/1992.3設置)



矢野秀徳《光》(1992.3設置)


佐野文夫《飛翔》(1987/1992.3設置)



佐藤範夫《躍動》(1990/1992.3設置)


本間武男《大地》(1992.3設置)


  • 例の西條まで戻り、飲み物とお菓子などを買って、ホテルに向かう。歩いて10分強といったところ。本日宿泊したのは、ホテルニューチコウというビジネスホテル。4Fのシングル。設備は古かったが、アニメティも含め、大きな難点はなし。Wi-Fiも、シャワートイレもちゃんとあった。ただ、窓が汚れていて、せっかくの眺望がだいなしだったのと、枕元に電源がなかったのは残念。素泊まりで、5600円。観光客もいたが、仕事関係の人が多いようだった。風呂に入り、今日撮った写真を眺めているうちに、寝入る。