赤坂→大濠公園 彫刻放浪:福岡市[第1日]
福岡市交通局前の、豊田豊《無限空間'93》(1993/1993.3.2設置)。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。
中央区役所交差点・北西の、安川民畝《風景門》(1990/1990.3.19設置)。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。
飯田覚兵衛屋敷の大銀杏。福岡市の保存樹に指定され、現在、再生治療中。
あいれふ前の、キース・ヘリング《無題》(1994.11.8設置)。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。
あいれふ前の、草間彌生《三つの帽子》(1996)
あいれふ・1Fの、母里聖徳《ドラムマン》(1994)
- 大濠公園周辺 続いて、大濠公園まで歩く。地下鉄空港線の上にある通り沿いの道を歩くが、周辺の企業ビルにパブリックアートの類がいくつかあった。「ガイド」には某社ビル前の高田洋一作品が掲載してあったが、行ってみると、上部が失われ、台座部分だけになっていた。ちょっと残念(写真は省略)。
大手門パインビル(中央区大手門1丁目)の、竹中正基、吉塚隆一《慈極》(1985.4)。冨永朝堂の監修による。
FFG本社ビル・ピロティの、菊竹清文《Double Fantasy Outside-In》(2008)[写真1枚目]と同《Double Fantasy Inside-Out》(2008)
荒戸交差点の、クレメント・ミドモア《スウィング》(1991/1991.3.20設置)。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。
大濠公園能楽堂前の、山脇正邦《母子像》。小野田セメントK.K.の寄贈。セメント像。
大濠公園(スタバの北側)の、原田新八郎《DEMETER》(1975)。このデメテル像は、1975年に新幹線の博多乗り入れを記念して開催された「新幹線博多開通記念・福岡大博覧会」(福岡県・福岡市・西日本新聞社共催)開催に際し、制作されたもの(原田新八郎は他に5基制作している)。大濠公園は、1927年に福岡市が開催した東亜勧業博覧会の跡地を整備し、1929年3月に公園として開園した。もともと博覧会と縁があった場所のようだ。1966年3月には公園の東側で「明日をつくる科学と産業・福岡大博覧会」が開催され、その跡地に福岡市美術館などが整備されている。この1966年の博覧会のときも、原田新八郎は像を6基制作している(そのうちの1基が中比恵公園の《明日を創る人》)。今回は観に行けなかったが、1975年の博覧会の際に制作された原田新八郎作品が、他に室見団地入口に残されている。それが《SANTOL and EROS》(ケンタウロスとエロス)(「ガイド」他)で、他に参考に挙げた「原田新八郎氏の年譜」によると、アポロ像もあったようなので、1975年の博覧会の6基はおそらくギリシア神話の神々をテーマにしたもののようだ。
>参考:糸島市 原田新八郎氏の年譜