江差 彫刻放浪:上ノ国・江差と函館(3)
- 上ノ国学校15:25発の函館バス・621系統・江差ターミナル行きに乗車。10分ほどで、江差Tに到着。ここで624系統・熊石行きに乗り換え。プランニングの際に、乗り換えの時間があまりなく、大丈夫かなと思っていたのだが、上ノ国学校バス停の時刻表に、熊石行きに乗り継ぎと明記されていたので、ほっとした。江差T15:39発の熊石行きに乗り換え、10分強で姥神町フェリー前に到着。ここでバスを下車する。夕方になって、風が猛烈に吹いてきた。
- 函館行きのバスが18:48発で、その時間まで、短い時間ながら、江差を観光することにした。まずはかもめ島に行ってみる。
かもめ島の案内図「かもめ島お散歩MAP」。入口付近に立っていた。
掲載が前後するが、かもめ島への道の途中にある開陽丸記念館(復元・開陽丸)。開陽丸は幕末期にオランダで建造された江戸幕府軍の軍艦。慶応4年(1868)11月、旧幕府軍が江差を攻撃する際に、江差沖で座礁・沈没した。1975年沈没船の遺品回収が本格的に行われ、多数の遺品が引き上げられた。これらは、1990年に復元が完成した開陽丸(開陽丸記念館)内で、その多くが展示されているとのこと。今回は時間の都合で、外観のみさっと見学。
瓶子岩
《初代浜田喜一師之像》(1987.9建立)。初代浜田喜一師顕彰像建立実行委員会による。像は「立体写真像」。
youtu.be
ということで、初代浜田喜一歌う江差追分を貼っておく。
こちらは浜田喜一像の隣にたっている「小路豊太郎翁之碑」(1989建立)。江差追分を尺八で伴奏することを創始した人だとか。
鷗島灯台。江戸時代にあった灯明台を原形に、1889年に木像の灯台が建てられ、さらに1951年に現在の鉄筋コンクリートの灯台に建て替えられたとのこと。
「江差追分節記念碑」(1937建立)
島の北側。少しくぼんで黒くなっているところが「弁慶の足跡」。
開陽丸が見えた。
- 江差いにしえ街道
いにしえ街道沿いの町並はこんな感じ。17:00を過ぎていたので、どこもかしこもみんなしまっていて、ふらふら歩いただけ。
- 暗くなってしまったので、結局、18:00前に観光を切り上げ、姥神町フェリー前バス停でバスを待つことにする。近くにロがあったので、ちょっと時間つぶしに行ったりもする。。ベンチに座っていると、急に雷が鳴り出し、ざあっと雨が降り出した。バス停のある北電の軒先を借りて、やりすごす。20分もすると小降りになり、もうしばらくすると雨は止んだ。この時期はまだそれほど寒くないので、助かる。定時の18:48に函館BT行きのバスが来たので、これに乗車。ほぼ時刻表どおりの運行で、21:00前に昭和橋バス停で下車した。途中のスーパーに立ち寄り、飲み物など買って、ホテルにチェックインする。
- ネットで五稜郭公園前電停近くのホテルを予約していたのだが、急な給水設備の故障のため、前日にキャンセルになってしまった。ただホテルの方が別のホテルを準備してくれたので、そこに泊まることにした。設備は古かったが、ツインのシングルユースで部屋も広かった。ちょっとフロントでドタバタしたが、価格面も含めて、悪くはなかった。