竹田市(3) 竹田市・豊後大野市(4)
- 朝6:30頃、起床。身仕度をして、出発の準備。朝食付きではないので、昨日買い込んでおいたカップ麺などを食べ、朝食とする。8:00前にチェックアウト。すぐ近くの廣瀬神社などに立ち寄りつつ、駅前まで歩く。
- 廣瀬神社 検索:広瀬神社
廣瀬神社鳥居前の、《廣瀬武夫像》(2010.10建立)。制作は辻畑隆子。タイトル板には「明治の国際人」とも。また、台座正面には、ロシア駐在時代に知り合ったアリアズナ・アナトーリエヴナ・コワリスカヤとのツーショットのレリーフも。本作は、当初は竹田市立歴史資料館前に設置されたが、歴史資料館が竹田市歴史文化交流センター(仮称)に建て替えられるために、現在地へ移設された(ちなみに歴史文化交流センターは隈研吾建築)。
廣瀬神社境内の、《阿南惟幾像》(2015/2015.8設置)。制作は原田裕明。阿南惟幾(1887-1945)は終戦時の陸軍大臣で、1945年8月15日未明に自決した。戦後70年(阿南大将70年忌)に際し、中津市の個人の寄贈により、胸像の建立、周囲の環境整備が行われた。写真3枚目の奥に見える「阿南惟幾大将顕彰碑」は1965年8月に開催された「阿南大将を偲ぶ会」(自衛隊協力会主催)の際に設置されたもの。なお、阿南大将自身は竹田市の出身ではないが、父親が竹田市の出身で、阿南自身も幼少期の一時期を竹田で過ごしている。
境内より竹田市街を望む。
廣瀬神社境内(本殿横)の、《広瀬中佐像》。オリジナルは渡辺長男が1905年に制作した立像で、竹田市の山下公園に設置されていた(1935年設置)が、例によって大戦中に供出された。この像は供出の際に石膏で複製された胸像部分をもとに、戦後制作され、廣瀬神社の石段下に設置されたものとのこと。辻畑・廣瀬像移設にともない、現在地に設置されたようだ。
廣瀬神社・本殿
- 寺町いこいの広場(愛染堂石段下)
《子育観音像》(1912/1971.7建立)。制作は渡辺長男。長男の従兄弟らにより寄贈された。