かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

鹿児島市(2)  彫刻放浪:鹿児島(4)

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  • 7:00過ぎに起床。身仕度をして、1Fのレストランで朝食。セミバイキングの和定食だったが、豚しゃぶと具だくさんの味噌汁がとてもおいしい。格安料金で泊まったので、なんだか申し訳ないくらい朝食は充実していたのであった笑 8:00過ぎにチェックアウト。
  • 中央公園の堀内正和 ホテルから歩いてすぐなので、何度か来ているところだが、今日はここから。

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堀内正和《ま四角三つ》(1993/1994設置)。鹿児島市による(ロマンチックオブジェ事業 第2作)。

  • 照國神社/探勝園 続いて、照國神社を参拝し、境内と探勝園に設置の島津3銅像を観覧。いずれも1917年に朝倉文夫が制作した。(第2次世界大戦末に供出されたか? 原型に基づき戦後に再建か? 要調査。なお、現地の説明板の類には「供出」「戦後の再建」を匂わす記述はなかった。)

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《贈正一位島津齊彬公之像》(1917)。制作は朝倉文夫照國神社のご祭神の、島津家28代当主、島津斉彬(1809-1858)の像。検索:島津斉彬


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従一位島津久光公之像》(1917)。制作は朝倉文夫照國神社隣接の探勝園内に設置。島津久光(1817-1887)は、島津斉彬の異母弟で、斉彬の遺言により、久光の子の忠義が藩主になると、国父として藩政を支えた。


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従一位島津忠義公之像》(1917)。制作は朝倉文夫照國神社隣接の探勝園内に設置。島津忠義(1840-1897)は、最後の薩摩藩主で、藩政改革と陸海軍の充実のため、人材育成と殖産興業制作を率先して行った。

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かごしま近代文学館・メルヘン館。まだ開館時間前だったので、ちょっと周囲を見学したのみ。


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鹿児島県立図書館前の、「薩摩辞書之碑」(1981.3設置)。制作は中村晋也。何度か観覧しているが、これも中村晋也の作だったのね。鹿児島市による。


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鹿児島県立図書館前の、川村秀彦《風の芽》(2004)。再訪。


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ここのところ、いつ来ても工事中で、いったい何時終わるのかと思っていたら、今年の3月で終わるようだ。御楼門を再建していたのね。


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天璋院》(2010.12.19建立)。制作は中村晋也。再訪。2008年に放送されたNHK大河ドラマ篤姫」の放送にあわせ設置した「篤姫館」に66万人の入館者があり、その収益をもとに、天璋院の功績を顕彰するために建立された。大河ドラマ恐るべしだな。なお、篤姫の少女時代の像が、ゆかりの地、今和泉島津家別邸跡近くの海浜に立っているとのこと。


つづく
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