鹿児島市(3) 彫刻放浪:鹿児島(5)
駅前広場のカリヨン。「レインボーベル」というそうだ。
- 石橋記念公園/祇園之洲公園の甲突川五石橋 JR鹿児島駅から石橋記念公園まで歩く。15分ほど。甲突川五石橋は、江戸時代末期に甲突川に架けられた5つの石橋のことで、幕末期の薩摩藩の藩政改革の成功を背景に、肥後から招かれた石工の岩永三五郎によって架橋された。五橋は上流から玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋だが、1993年8月6日の集中豪雨による洪水で、新上橋と武之橋の2橋が流出してしまった。その後、歴史的な文化遺産として、残りの3橋を保存するため、河川改修に合わせて、2000年に現在地に移設された。石橋記念公園には、石橋記念館があり、甲突川五石橋の歴史や架橋技術に関する常設展示を観ることができる。
石橋記念公園に移築された西田橋
- 祇園之洲公園
「西南の役官軍戦没者慰霊塔」(1977)。制作は中村晋也。西南の役の最後の決戦地となった鹿児島で戦死した官軍将兵1270余人全員がこの祇園之洲に葬られたとのこと(西南の役における両軍の戦死者は13240余人)。当初は官修墓地として墓石が整然と並んでいたが、その後、荒廃が著しくなり、1955年に地下納骨堂に合葬、西南の役100年に際し、この慰霊塔が建てられた。
西南の役官軍戦没者慰霊塔《和》(1977)。制作は中村晋也。
西南の役官軍戦没者慰霊塔《悶》(1977)。制作は中村晋也。
西南の役官軍戦没者慰霊塔《苦》(1977)。制作は中村晋也。
西南の役官軍戦没者慰霊塔《悲》(1977)。制作は中村晋也。
祇園之洲公園の、《岩永三五郎之像》(1990.10.5設置)。私が甲突川五石橋を造りました。像の作者は不詳。やっぱり石工なので、石像にしたのかな?
祇園之洲公園の、「薩英戦争記念碑」(1917[大正3].3設置)
祇園之洲公園の、「ザビエル上陸記念碑」(1978.4.23設置)。制作はルイ・フランセン(ベルギー)。ザビエル上陸記念碑建設委員会による。
東口の、《若き薩摩の群像》(1982)。制作は中村晋也。1865年[慶応元]藩命で、海外渡航の禁を犯し、ロンドンに留学した19名の若者達の群像。
東口の、《床次竹二郎之像》(1978.10.11建立)。制作は朝倉文夫。床次竹二郎顕彰碑建立推進会による。(この《床次竹二郎之像》は前日の19日に撮影。)
西口(新幹線口)の、《小里貞利先生》(2007/2007.10.14設置)。ミスター新幹線なんだそうです。制作は中村晋也。
西口の、「切子燈」(2004.3.6)。もちろん薩摩切子をモチーフにしたもので、鹿児島市により、九州新幹線開業に合わせて設置。。