かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

横浜 彫刻放浪:横須賀→逗子/葉山→横浜(3)

承前

  • 藤沢に行くか、横浜に立ち寄るかで、迷っていたのだが、電車で座れたので、逗子から横浜までそのまま列車で行くことにした。JR横須賀線で30分ほど。電車の中ではうつらうつらと。寝不足が効いてきた。横浜でいったん下車し、駅近くを少し探り、再び電車で関内に移動し、馬車道から県庁、横浜公園、中華街を経て、元町あたりをふらふらとし、一通り目的を果たした後、石川町から帰路についた。さて、今回の、このエリアでのお目当ては、藤原吉志子作品である。
  • 横浜周辺の藤原吉志子作品 まず今日観ることができた藤原吉志子作品をまとめて掲載。

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藤原吉志子《赤い長靴をはいた猫》(1992)。横浜駅東口駅前広場公衆トイレ(外)に設置。


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藤原吉志子《財布をくわえた犬(どうしようかな?)》(1995/1996.2.6設置)。横浜中ユース会議の寄贈。作品集(『藤原吉志子』[ドメス出版・2007.5])掲載の作品リストでは、《コーギー犬の資本主義的慣性について》というタイトルになっている。商工中金横浜ビル(横浜市中区北仲通4-40)前に設置。


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元町・谷戸橋公衆トイレ32のスクリーン(1985)。もちろん、男子トイレのみ、ですが… 上が男子トイレ入口上方、下が入ったところの窓についている。


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街路灯についている「馬車道」名標。


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関内ホールの、マルタ・パン《平和 I》(1986)。「平和とは 静かな時と運動からなる絶えざる均衡の追求である  マルタ・パン」とあった。


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関内ホールの、朝倉響子《ニケとニコラ》(1986)


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関内ホールの、マルタ・パン《平和 II》(1986)


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馬車道・横浜馬車道ビル前の、時計塔、兒玉慎憲《浜の時守》(1988)


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馬車道馬車道スクエアビルの、「日本写真の開祖 写真師・下岡蓮杖顕彰碑」(1987.6設置)。制作は田辺光彰。建立実行委員会による。


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馬車道・ルネ横浜馬車道前の、ヴェナンツォ クロチェッティ《CAVALLO》(1975)


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横浜第一ビルの、加藤敬將《阿母》(1992)


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ここからは、馬車道を離れるが、ニュースパーク/日本新聞博物館前の、《新聞少年の像》(2004.6.5設置)。制作は翁朝盛(複製第1号)。社団法人日本新聞販売協会が創立50周年を記念し、新聞博物館の地に寄贈。


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横浜公園の、《リチャード・ヘンリー・ブラントン》(1991)。制作は澄川喜一。R・H・ブラントンは、1968年(明治元)、明治政府の招聘により来日したイギリス人土木技師で、日本沿岸各地に灯台を建設する一方で、滞日中の拠点とした横浜で、日本大通り横浜公園の設計を行うなど、横浜の近代的なまちづくりに大きな足跡を残した(説明板による)。


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横浜元町商店街のウェルカムゲート。「フェニックスアーチ」というらしい。それにしても、元町商店街、防犯カメラがめちゃくちゃ多かったな。




おわり/はじめに戻る

逗子/葉山 彫刻放浪:横須賀→逗子/葉山→横浜(2)

承前

  • JR東逗子駅前広場 行きに横須賀に向かう電車の中から駅前に彫刻があるのを見かけた。18きっぷ利用なので、せっかくだからと東逗子駅で下車して、駅前彫刻を観覧。横須賀線は、まあまあ本数が多いから、東逗子で寄り道できた、ということもある。

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岩田実《友情》(2003/白御影石)。2003年10月、JR鎌倉駅東口に設置(2016年9月まで。その間、改札口に4年、駅ビル・エントランスに9年間設置されていた)。駅ビル改修に伴い、2017年3月に現在地に移設。友情をテーマにした少年像だから移設できたんだろうなあ、裸婦像だったら、どうなっていたことやら…。

  • JR逗子駅前 ということで、次の横須賀線で、逗子まで。逗子からはバスに乗り換え、美術館に向かう。いい天気の日曜日、ということで、とても人が多い。美術館までだいたい20分ほど。車中で、某現代美術家を見かける(どういうわけか、彼、偶然見かけることが多いのである笑 今までに、大分とか、岡山とか、京都とか…)。彼も美術館へ行くようだ。

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永井鐵太郎《延清風》(1995.3設置)。タイトル板に「船であり、帆であり、波頭であり、また緑の山であり、すべて逗子を象徴する。」とあった。

  • 神奈川県立近代美術館葉山館の野外彫刻 ※印を付したものは、2016年夏に、閉館した鎌倉館から葉山館に移設された作品。

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清水九兵衛《BELT》(1978)※


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小田襄《円柱の展開》(1983)


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中島幹夫《軌 09》(1966)※


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李禹煥《項》(1985)


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若林奮《地表面の耐久性について》(1975)


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ホセイン・ゴルバ《愛の泉》(1993-1997/2004)

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保田春彦《地平の幕舎》(1993)


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眞板雅文《天地の恵み》(2003)


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富樫一《ハーモニーII》(1972)


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西雅秋《イノセンス−火》(1991)※


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アントニー・ゴームリー《Insider VII》(1998)※


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これは作品じゃなくって…


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西雅秋《大地の雌型より》(2003-2005)


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山口牧生《棒状の石あるいは Cosmic Nucleus》(1976)※


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空充秋《揺藻(ゆれも)》(1985)※


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木村賢太郎《作品-55》(1961)※


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柳原義達《裸婦 座る》(1958)


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「石人」(1966複製)※。古墳時代の6世紀後半の、扁平石人の複製(福岡県・岩戸山古墳出土。オリジナルは、現在、大分県日田市に設置)。


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イサム・ノグチこけし》(1995)※


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彫刻の他にも、鈴木昭男による《「点音」プレート・葉山》(2012)が3点、設置されていた。写真は海辺近くのもので、木の切り株に腰掛けて、耳を澄ます。波の音、木々のざわめき、あるいは、人々の歓声などが聞こえてきた。


  • 神奈川県立近代美術館:企画展「堀内正和展 おもしろ楽しい心と形」、コレクション展「モダンなフォルム」。古い図録のセールをしていて、安かったので、つい散財してしまうなど。荷物になるのに…苦笑

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「堀内正和展」展示の一部。


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今日は天気がよく、美術館の裏手の海岸から富士山が見えた。いくぶん雲にかくれているけど。






つづく

横須賀 彫刻放浪:横須賀→逗子/葉山→横浜(1)

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早朝、出かけるとき、近所の桜が咲いていた。

  • 神奈川県立近代美術館で開催している堀内正和の展覧会はいつまでかな…って、明日までじゃん! と、前日気づき、慌てて出かけることにした。青春18きっぷを利用するので、せっかくのことなので、横須賀や横浜などの気になっていた野外彫刻も併せて観てくることにした、というのはいつものごとし。
  • まずはじめに横須賀を目指す。横須賀の野外彫刻を探るのは、今回が2回目。前回来訪時には知らなかった野外彫刻の類を、その後、ネットなどで知り(先達に感謝!)、これらを訪ねる機会を伺っていた。逗子/葉山に行くので、この機会に横須賀を再訪することにした次第。JRで最寄り→東京→戸塚→逗子→横須賀と移動。JR横須賀駅からは、京急バスに乗って5分ほどで横須賀中央駅前に到着。175円SUICA
  • 横須賀中央駅東口Yデッキの黒川晃彦作品 Yデッキは、横須賀中央駅東口ペデストリアンデッキの愛称とのこと。なるほどgmの空中写真で見ると、Yの字に見える。いかにも人通りの多そうな場所なので、野外彫刻の写真を撮るなら、休日の朝がいいかなと、まず訪ねた次第。8:30頃に到着。それほど人通りは多くなかったので、無事写真を撮ることができた。小ぶりなサックスおじさんの像が3基、花の中に設置されていた。

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黒川晃彦《見上げる》(1997)


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黒川晃彦《歩く》(1997)


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黒川晃彦《吹く》(1997)

  • 続いて、駅前通りを米が浜通り入口交差点まで、ほんの数分歩く。この交差点の歩道に、キーチマンと小田襄の作品が設置されている。

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澄川喜一《譜》(1990)。米が浜通り入口交差点の北西、CoCo壱横須賀中央駅前店の前。

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小田襄《風景の記憶》(1990)※タイトル板なし。 こちらは米が浜通り入口交差点の南東に設置。


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交差点を左に折れ、三笠公園に向かう途中、市役所公園があった。公園を抜けようとすると、広場に鳩の群れ。中を突っ切ると、普通ならばっと飛び立つはずなのだが、やつら、全然動じず、そのまま羽繕いしていやがる笑

  • 三笠公園通りの野外彫刻 米軍基地入口近くから三笠公園までのアプローチが、三笠公園通りという流水路のある遊歩道になっており、数基の野外彫刻やモニュメントなどが設置されている。今回は野外彫刻を西から順に掲載。

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井上武吉《my sky hole 87-3》(1987) ※タイトル板は「MY SKY HOLE」とのみ。


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湯原和夫《未来への六分儀》(1987)


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山本正道《水辺にて》(1987)。少女と鴨は、流水路沿いに少し離れて設置されていた。


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雨宮敬子《出合い》(1987) ※タイトルの表記はタイトル板のママ。


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湯原和夫《豊饒への増殖》(1987)

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東郷平八郎像》(1967)。制作は清水多嘉示。


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で、(今は復元されて、記念館ならぬ)記念艦・三笠。


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三笠公園の高さ18m・ステンレス製の「メインモニュメント」。作者は不詳。

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建畠覚造《波貌 WAVING FIGURE》(1993)

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これは、近くにあった作品らしきもの。タイトル板が見当たらなかったので、詳細は不明。これの前でなにやら作業中だったおまわりさんにどいてもらって(というか、写真を撮りたそうの雰囲気を出したら、どいてくれた)写真を撮ったので、記念に?載せておく笑

  • ヴェルニー公園 ついで、ヴェルニー公園も通り抜け、せっかくなので、小栗上野介とヴェルニーの胸像も観てくる。

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右が小栗上野介像、左がヴェルニー像。

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小栗上野介忠順像。この像は、以前から市役所前公園にあったセメント像をもとに、1952年に内藤春治(胸像裏に、「春治作」のサイン)が再制作し(、セメント像と置き換えて?)、臨海公園に設置されたものが、平成12年度のヴェルニー公園整備の際に現在地に移設されたものとのこと。台座裏に「大正十一年九月二十七日除幕」とあるので、初代のセメント像はその頃、制作・設置されたものか。>参考:横須賀市ヴェルニー公園の小栗像の設置した年度を知りたい。


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フランソワ・レオンス・ヴェルニー像。小栗像と同じく、像裏に「春治作」のサイン、台座裏に「大正十一年九月二十七日除幕」とあるので、小栗像と(参考にした横須賀市の記事には小栗像しか言及されていないが、)だいたい同じ経緯で設置されたと思われる。


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つづく

彫刻放浪:新百合ヶ丘→町田→狛江→調布→府中

  • 今日のお目当ては、町田市国際版画美術館の「長谷川潔展」と府中市美術館の「へそまがり日本美術」。もともとは別々に行くつもりだったのだが、行けそうな日があまりないので、思い切って、一日で両展とも行くことにした。併せて、沿線の野外彫刻で、気になっていたものを観てくることにしたのだが、朝6時に家を出て、帰ってきたら夜の8:00過ぎだったいう…あ〜う〜笑

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新百合ヶ丘駅・南口ペデストリアンデッキの、山下恒雄《ふるさとの詩》。やっぱり怪作だった。


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新百合ヶ丘・エルミロード入口前の、三坂制《佇》


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川崎市麻生区役所前の、《平和の調べ》(1990.6.8竣工)。制作は小沢勇寿郎。えっ、ユージオだって!?笑 1982年6月8日付でなされた川崎市核兵器廃絶平和都市宣言のモニュメント。


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川崎市麻生区役所裏/麻生文化センター前の、圓鍔元規《明日に》(1982.7.1)。これは予習では気づかなかった作品。

  • 町田 新百合ヶ丘から町田へ小田急で移動。急行で1駅。9:00過ぎに到着。美術館開館まで1時間あるので、前回人が多くて撮れなかった黒川紀章の《シティ・ゲイト》を観に行った。

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町田ターミナルプラザ前ペデ上の、黒川紀章《シティ・ゲイト》(1983.10)。日曜の朝なので、さすがに人はまだ少ない。ということで、なんとか写真が撮れた。

  • 芹が谷公園の野外彫刻 町田市国際版画美術館のある芹が谷公園に、見落としていた平野杏子の作品があることを知り、ついでにこれを観に行く。シーソーの向こうにあった。他の野外彫刻も改めて掲載しておく。

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井上武吉《my sky hole 88-4》(1988)


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高橋清《開かれた宇宙》(1990)


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飯田善国《彫刻噴水 シーソー》(1989.4.15設置)


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平野杏子《トキオコシ》(1990)

  • 町田市国際版画美術館:企画展「長谷川潔展 はるかなる精神の高みへ」、ミニ企画展「浮世絵と百人一首

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  • 狛江 町田から小田急で狛江まで移動。駅前の山本正道作品を観た後、少し歩いた多摩川沿いにある西河原公園に向かうが、道に迷って、だいぶ大回りしてしまった。疲れがどっと出て、もう帰ってしまおうかと思ったのだが、まあ、なんとか、着いた。着いてしまったので、引き続き、彫刻放浪。

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狛江駅北口の、山本正道《たまがわ》(1996.3設置)。万葉歌「多摩川に さらす手作り さらさらに 何ぞこの児の ここだ愛(かな)しき」にちなんだ乙女像。

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西河原公園(西側入口)の、常松大純《TO THE SKY '90》(1990)。タイトルがタイトルだったので、てっきりキーチマンの作品だと思っていたのだが、違っていた。それにしても、張り紙が貼られていたり、電線が這わせられていたり、で、ちょっと残念な状況だった。

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調布市多摩川近く、川に並行して走る桜堤通り沿いの、約1kmの遊歩道に9基の野外彫刻と1基のモニュメントが設置されている。調布市のサイトでは、彫刻のある散歩道として紹介されているが、もともとは、「彫刻のある街づくり」事業として「自然と彫刻との出会い」をテーマに設置されたものとのこと。1991〜94年に設置されたようだ。以下、観覧順(東→西)に掲載。
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平井一嘉《Nymph》(1994)


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鈴木徹《大地の使者》(1994)


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前田忠一《プリアテル(友達)》(1994)


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宮澤光造《童の夢》(1992)


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須藤博志《風のフォルム》(1992)


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調布市「町村制100年・平成元年記念」モニュメント(1989.12設置)。調布市の前身である調布町と神代村の生誕100年を記念し、「すてきにくらしたい・愛と美のまち調布」をテーマに制作されたものだとか。


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天野裕夫《リバイアサン》(1992)


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平山隆也《花の柱》(1992)


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松本雄治《生命の樹と授かりものたち》


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松本憲宜《Harmony》

  • 府中市美術館:企画展「へそまがり日本美術」[前期] 14:30過ぎに府中の森公園に到着。ベンチで、途中のコンビニで買ってきたおやつなどを食らい、少し休憩。だいぶ復活した。公園内の野外彫刻をいくつか再訪してから、美術館へ向かう。始まったばかりだから、それほど混んでいないだろうと思っていたが、けっこうな人気で、だいぶ混んでいた。休日に来たことも何度かあるが、これほど混んでいたのは初めてかも。近世絵画ばかりではなく、近代や現代の作品、アンリ・ルソー三岸好太郎とか、湯村輝彦や蛭子さんとか。それにしても、観たことのない絵が相変わらず多い。長澤蘆雪なんて、初めて観るやつばかりだ。作品がすっかり入れ替わるので、後期展も観に行っちゃうんだろうなあ…

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美術館の喫茶店の入り口付近に初めて観る野外彫刻があった。久保制一《なつ》(1989)。もともとは府中グリーンプラザ(1980年開館の公共ホール)にあった作品で、2018年3月31日の閉館にともない、移設されたとのこと。この他のグリーンプラザの彫刻や絵画なども移設・移管された。>参考:府中市 旧府中グリーンプラザ美術作品の移設について

  • 府中市の野外彫刻 美術館から北府中駅まで歩く。その道筋で、少しずつ探ってきた府中市の野外彫刻を今回もいくつか観て回った。北府中駅まで歩いたので、帰りは北府中から電車に乗る。経路は、最安値ルートということで、北府中→西国分寺荻窪とJRを利用し、荻窪から東京メトロ経由で、最寄りまで戻ってきた。

>参考:府中市美術館 パブリックアート
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府中公園(西側)の、黒川晃彦《木陰にて》(1995設置)


桜通り広場公園の、籔内佐斗司「童々広場」(1996.3)※彫刻のあるまちづくり10(1996.3)
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《走る童子
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《カエル》と《蓮の池》
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《桜の童子
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《こぼすなさま》


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府中市市民プール前の、久保孝雄《少女像》(1956作、1987鋳造)

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中島幹夫《繭のかけ橋》(1994.3)


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北府中公園の、バリー・フラナガン《ロバと象》(1998設置)。タイトル板は破損して失われていた。※彫刻のあるまちづくり13(1998.3)

佐世保 長崎・佐世保[第2日]

  • 6:00過ぎに起床。カーテンを開けて、天気を確かめる。薄曇り。雨は降らなかったが、一日中、こんな天気だった。身仕度をして、9Fの朝食会場へ向かう。朝食は品数が多く、なかなか美味しかった。これで1泊5000円以下というのはかなりお得感あり。部屋に戻り、一息ついて、準備してから、チェックアウト。まずはいつもの彫刻放浪:佐世保編である。佐世保市では、特に計画的な事業として野外彫刻の設置は行っていないようで、ネットを検索したり、gmで探ったりして、見つけた野外彫刻/モニュメントを観て回ることにした。ということで、最初の目的地は佐世保中央公園。ホテルからは歩いて向かう。10分ほどで、到着。
  • 佐世保中央公園 道路沿いを東西に広がる細長い公園で、一部山側にも広がっている(山側にはそれほど行かなかった)。広い園内には野球場や武道館、交通公園などもあった。ぶらぶらと道沿いに歩きながら、彫刻を探る。主に、平和祈念のモニュメントや市制施行の記念モニュメントなどが、佐世保中央公園に集中して設置されているようだった。

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「憩いの森大噴水」(1972.11.3設置)。市制施行70周年を記念して設置。噴水塔の彫刻、3人の踊り子は、高橋剛の制作、佐世保重工業株式会社が寄贈した。


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佐世保空襲犠牲者慰霊塔(鎮魂慰霊平和祈願の塔)(1977.6.29設置)。制作チームは、本体:佐世保重工業株式会社、台座:前田石材、浮彫:株式会社松永鋳造所、基礎:有限会社柚木永渕組。


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「市制施行五十周年記念平和像」(1952.12設置)。1952年4月1日に市制50周年を迎え、併せて平和条約が締結されたのを記念して、佐世保市議会議員一同が寄贈。像の裏にサインあり。男性像の台座に「昭和廿七年十月」嘉純」(陽)」(「(陽)」は、○の中に「陽」)と、母子像の台座に「嘉純」(陽)」とある。作風も似ているので、作者は横江嘉純かなと。 


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佐世保市武道館前の、《太陽の娘》(1968.10建立)。制作は滝川美一。明治百年記念事業の一環として建立された。正面に樹が植えられていて、よく見えないぞ!


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公園内のステンレスのオブジェ。公園内に2基あった。動いているようには見えなかったが、本来は風で動くのか? 動け! 作者など不詳。

  • 弓張岳展望台 さて、本日のメインイベントの弓張岳展望台である。展望台の柱の一部が本郷新による彫刻が施されている。これを観ようというのが今回の旅行の大きなの目当ての一つ。ただ、弓張岳展望台はマイカーがデフォで、何度も旅行のプランニングをしているのだが、公共交通機関利用だと、うまく計画が立たない。で、どうしたものかと頭を悩ませていたわけである。一応、展望台までバスが走っているのだが、本数が少ない。このバスは、到着して10数分後に折り返しで、佐世保駅前行きとなる。10数分あれば、景色をぱっと眺めるて、そのまま、駅前まで戻ることもできなくはないが、いかにもせわしない。しかも、彫刻鑑賞が目当てなので、10数分では、時間が足りない。ちょっと無理! 逆に次のバスまでは、2、3時間も間が開くので、展望台で時間を潰すというのも、ちょっと無理! ということで、往路はバスで行き、帰りは、歩いてみることにした。佐世保駅前まで戻るのではいかにも遠いので、次の目的地に向かうバスが停まる最寄りバス停を目指すことにした。いろいろと調査の末、展望台から4kmほどの神島町バス停から次の目的地に向かうこととし、そこまで歩くことにした。gmによると、50分ぐらいの距離だという。ということで、まずはバスで展望台に向かう。乗車するのは、佐世保市交通局・Y1バスで、島瀬町9:16→9:35弓張岳展望台の予定。佐世保駅前始発で、数分遅れてきたが、だいたい予定どおりの運行で、9:35過ぎには無事に到着。途中からは延々と山を登る。乗客は山の麓で全員下車し、終点まで行った乗客はオレ一人だった。340円。(今月いっぱいで、佐世保市交通局が解散し、西肥バスが路線を引き継ぐ、と現地で知った。)弓張岳展望台は、第一展望台の「弓張展望所」と、少し下方の第二展望台の2ヶ所からなる。また、周囲には多くの文学碑が設置されていた。

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「弓張展望所」(第一展望台?)は西海国立公園指定10周年を記念して、佐世保市により設置された。竣工は1965年3月31日。制作チームは、設計:坪井善勝、彫刻:本郷新、施工:株式会社梅村組。

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本郷新の彫刻は後方の柱に彫られていた。

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第一展望台からの眺め。佐世保港

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第二展望台からの眺め。九十九島。第二展望台は、第一展望台の少し下、山から張り出すように設置されていた。こちらの方が、九十九島など、いくぶん近くに見える。

  • 鵜渡越園地 さて、弓張岳展望台から神島町バス停に向かう。ルートはgmが示した最短ルートを選んだ。かなり細い道も歩くようなので、svなどで詳細に確認しておいた(といっても、当然自動車の通れない道は確認できない)。まず、バスで来た道をうどごえバス停まで戻り、ここから細い道に入る。少し歩くと、鵜渡越園地に到着。一角にある、鵜渡越展望台で眺望を楽しみ、すぐ近くの小高い丘の上にある「第四十三潜水艦慰霊碑」を観覧。もう少し先、道をそれたところに親鸞像があるようだが、これは見落としてしまった。

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鵜渡越展望台と展望台からの眺め。九十九島

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すぐ近くの小高い丘の上に、「第四十三潜水艦慰霊碑」が立っていた。第43潜水艦は、1924年(大正13)3月19日、佐世保港外で、軽巡洋艦接触事故を起こし、沈没した。45名の乗組員は全員死亡した。潜水艦は24日後に引き上げられ、艦内には遺体とともに多くの遺書が残されていた。その後、沈没海面の見える、鵜渡越にこの慰霊碑が建てられた。艦は修理の後、1936年(昭和11)に除籍されるまで、再び使用された。

  • さて、この鵜渡越園地から先がsvで確認できなかったのだが、それもそのはず、まじな登山道なのである。道は整備されているし、ところどころに道筋を示す案内板もあったが、なかなかハードな行程となった。下りではなく、上りだったら、完全にへばった笑 まあ、膝は死んだけど。30分ほどもよたよたと山を下ると、少し大きな道に出て、人家も増えてきた。このあたりから、svで予習できた見覚えのある道となった。これで一安心。鵜渡越園地に寄り道した時間も入れて、神島町バス停まで、ちょうど1時間ほどでたどり着いた。

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登山道だった笑 ふらふらと歩くにはけっこう険しく、危険だから歩道をはずれるな、だとか、イノシシに注意、などの注意書きがあった。


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やっと町中に降りてきたが、まだまだ下る。


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とある家の壁の上、ねこが居眠りをしていた。オレも寝不足気味なので、並んで居眠りしたい笑


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で、1時間ほど歩いて、神島町バス停に無事に到着。今日は道に迷わず無事に下山できた。やったね笑


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神島町バス停近くから弓張岳を望む。写真ではわかりづらいが、展望台も見えた。

  • 石岳展望台 次は、展海峰か、石岳展望台、あるいは両方に行こうと思っていたのだが、バスの時間が合わなかったりや、弓張岳下山で膝が半殺しになったりで、結局、近いほうの石岳展望台に行くことにした。神島町バス停11:30発の佐世保市交通局・G8・展海峰行きに乗車する。15分ほど乗って、動植物園前バス停で下車。190円。ここから歩いて石岳展望台に向かう。1kmほど自動車道を歩き、そこから遊歩道を5分ほど歩くと展望台に着いた。展望台からの景色を楽しみ、来た道を引き返し、バス停まで戻る。ここには「九十九島動植物園森きらら」があるのだが、今回はパス。12:51発の佐世保駅前行きのバスに乗る。

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  • 佐世保公園 20分強バスに揺られて、佐世保公園の最寄りバス停の島瀬町バス停で下車。360円。すぐ近くの一つ前のバス停、中央公園入口だと290円だったので、そちらで下りればよかったかな笑 バス停から東に歩き、佐世保川にかかるアルバカーキ橋を渡り、佐世保公園に入る。公園の東側はアメリカ軍の敷地(グラウンドになっている)だ。お目当ての彫刻は、川沿いの遊歩道に、3基の人物具象像、そして、公園内に他にもう1基、合計4基あった。小代猛と橋本寿の作品がそれぞれ2基ずつ。二人とも初めて知る彫刻家だが、ともに佐世保ゆかりの彫刻家だろうか? グーグル先生に尋ねたところ、小代猛は佐世保在住の彫刻家で、高校の先生をしつつ、主に日展で活動しているらしいとわかった。他に、時計塔があり、3体の子ども像が据えられていた。

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小代猛《若い樹》


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橋本寿《平和を呼ぶメロディ》


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小代猛《水辺の詩》


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橋本寿《思い出の楽園》。少女と仔牛(、それと鶏)の像。よく観ると、本体は破損して失われたのだろうか、鶏は足の一部だけが残っていた。


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佐世保公園の時計塔。1981年3月設置。旧軍港市転換法施行30周年記念。西九州倉庫株式会社の寄贈。3方に同じ子ども像が設置されている。像の作者などは不詳。後方に見えるアーチ橋がアルバカーキ橋。

  • シーサイドパークさせぼ これで予習で場所を知っている野外彫刻はひとわたり見終わった。まだ時間に余裕があるので、佐世保駅方面にぶらぶらと向かう。あっちへふらら、こっちへふらふらといういつものパターン。駅まできたので、今一度、港の方へ出て、シーサイドパークさせぼに行ってみることにした。お腹が空いたので、途中の、ショッピングモールで、遅い昼食を適当に食らった。最後にシーサイドパークさせぼを散策し、佐世保での観光は終了。

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シーサイドパークさせぼの入り口。


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噴水塔のくじら。

  • 佐世保バスセンター16:20発の長崎空港行きに乗る。長崎空港までは、ハウステンボスなどに立ち寄り、普通道を行くこともあり、1時間45分かかる。1本後の17:50発でも、時間通りに走るなら飛行機に間に合うのだが、まあ、佐世保での目的も果たしたので、このバスにした次第。車中は、ほとんど寝入っていたのだが、目が覚めると、大村湾沿いの道を走っていた。次第に暮れる海の景色が美しい。バスは定刻より少し遅れて、長崎空港に到着。帰りの飛行機は、JAL616便、長崎20:25→22:00羽田の予定。搭乗開始だいぶ時間があるので、空港をふらふらしたり、静かなところで本を読んだりして、時間を潰した。フライトは、だいたい予定どおりで、22:00頃には到着ゲートに出た。22:20の最寄り行きバスに乗車することができた。前回は満席だったが、今回はわりと空いていた。23:00過ぎには無事帰宅できたのであった。

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夕暮れの長崎空港

長崎→佐世保 長崎・佐世保[第1日]

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鍋冠山展望台から

  • 長崎と佐世保に行ってきた。お目当ては長崎県美術館で開催中の展覧会「青木野枝 ふりそそぐものたち」、併せて、長い間、行ってみたかった佐世保の弓張岳展望台の本郷新作品を観てくることにした。両日とも天気は上々で、無事に旅行の目的を果たすことができた。それでは出発!
  • 最寄り始発バスで羽田に向かう。順調で、定刻の5:50より数分早く、羽田空港T2に到着。早々に保安検査場を通り、出発ゲートの51に移動する。行きの飛行機は、ソラシドエアSNA031便、羽田6:55→9:00長崎の予定。出発はだいたい予定どおりだったが、長崎到着は予定より少し早く8:45過ぎに着陸、前方席だったこともあり、8:55頃には到着ロビーに出た。なので、予定より早い空港9:00発の出島道路経由のノンストップ便に乗ることができた。9:40頃、新地バスターミナルに到着。
  • 長崎県美術館 まず美術館を訪ね、お目当ての青木野枝展を観ることにする。湊公園でトイレを借り、美術館まで歩く。美術館は10:00からなので、展覧会の前に、ダリの彫刻作品を観ることにする。長崎県美術館の野外彫刻は、これまで屋上庭園の野外彫刻ばかりに目が行き、美術館の裏手に設置されているこのダリ作品をすっかり見逃してきたのだった。美術館周りも見学したつもりでいたが、こんな大きな作品、どうして見逃していた?と、反省しきり笑 10:00を過ぎたので、美術館へ。今回は忘れずに前売り券を買って置いた。1000円。早速、展示室に向かう。2012〜13年にかけて豊田市美術館名古屋市美術館で同タイトルの展覧会が開催されているが(観に行ったよ!)、もちろん同一のものではなく、バージョンはそれぞれ異なっている。今回の展覧会の出品作も、ほとんどが新作の長崎バージョン。一応の鉄を中心とした彫刻作品だが、1室1作品の設えも含めた空間全体が作品となっている。つまるところ、物質感も含めた細部の造型から、展示室全体に広がる巨大な空間性まで興味が尽きないわけだ。などなど。ひとわたり観覧の後、続いて、コレクション展も観覧する。コレクション展は下記の内容。中でも、奈良原一高「人間の土地」から軍艦島に取材した「第2部 緑なき島」と桜島に取材した「第1部 火の山の麓」を紹介した展示がよかった。>参考:AOKI Noe(公式)

常設展示室・第1室 「奈良原一高 人間の土地」
常設展示室・第2室 「長崎ゆかりの美術 日本画
常設展示室・第3室 「須磨コレクション3」
常設展示室・第4室 「富永直樹 陶板の仕事」


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新地中華街南門(朱雀)


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サルバドール・ダリ《ガラのニュートン》(1985鋳造)。絵画《Fosfene de laporte》(1932)の中の人物を彫刻作品にしたものとのこと。ダリのドローイングとデザインに基づき、ダリの監修により制作されたワックスモデルから鋳造された12体のうちの一つ。


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「青木野枝 ふりそそぐものたち」会場入口付近


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「青木野枝 ふりそそぐものたち」、1. 《雲谷/長崎》(2019/鉄)


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「青木野枝 ふりそそぐものたち」、2. 《水のとどまるところ/長崎》(2019/鉄、水)


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「青木野枝 ふりそそぐものたち」、3. 《ふりそそぐものたち/長崎》(2019/鉄、ガラス)


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「青木野枝 ふりそそぐものたち」、4. 《Untitled》(1992/鉄、卵、銅線)


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「青木野枝 ふりそそぐものたち」、5. 《立山/長崎》(2019/鉄、石鹸)


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「青木野枝 ふりそそぐものたち」、6. 《曇天 1》・《曇天 2》(2019/石膏、麻布、新聞紙、鉄)


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「青木野枝 ふりそそぐものたち」、7. 《水のとどまるところ/長崎》(2019/鉄、水)

  • 続いて、鍋冠山の展望台に行ってみることにした。その前に、お腹も空いたこともあり、先に昼メシにとんかつを食らう。なんだか無性に食べたかったのよ。食後、少し歩いて、新地中華街電停から5系統の路面電車に乗り、終点の石橋まで行く。120円。4月1日からは10円値上げされ、130円になるらしい。さて、石橋からグラバースカイロード(斜行エレベーター)で、グラバー園の第2ゲートに出て、ここからは歩いて鍋冠山を登る。展望台までのルートは入り組んだ細い道だが、そこかしこに展望台までの道のりを示す標識が設置されているので迷うことはない。きょろきょろしながら歩いたので、多分に時間を要したが、石橋電停から15分もあれば展望台に着くだろう。天気はいいのだが、風が少しあり、今回は春仕様の服装で来たこともあり、これが冷たくて、少しまいった。

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もう少しで展望台というあたりで、不思議な六角塔に出会う。なんでも、聖徳院(六角塔)というらしい。隣に立っている石塔には、「大正十二年十月立報恩会」とあった。

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鍋冠山展望台からの眺め。女神大橋の方向を遠望。うっすらとだが、遠くに端島/軍艦島も見えた。展望台は2016年4月1日にリニューアルオープンしたもので、360°の景観を楽しむことができる。


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こちらは長崎市街方向。


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対面の立神のドックを少しアップで。

  • 小曽根乾堂翁像 旅行前にグーグルマップを眺めていたら、鍋冠山の西の麓に、「小曽根乾堂翁像」と記載があった。「像」か、では、立ち寄ってみようかと、ということにしたのだが、地図で経路を確かめると、直線距離で行けるわけでもないので、それほど近いわけでもない。来た道を戻って、グラバー園の西側を抜け、グラバー通り経由で行くルートもあるが、戻るというのが癪なので、鍋冠山の南側に降りるルートで行ってみることにした。予習ではどちらも同じくらいの距離、時間で行けそうだったが、近道に細い道を抜けようとしたら、やっちまいました。道に迷って、どこがどこだが…わからない笑 だいたいの方向はまだわかるので、それを頼りに歩を進めると、ますます山中の迷い込んでいくような気もする。う〜む、どうしたものか? と歩いているうちに、二本松アパートというところに出た。まあ、長崎駅方面に向かうバス停もあるので、いよいよのときはバスに乗ればいいやと、この団地?を抜け、さらに方向感覚だけを頼りに歩いて行くと、再び山中に分け入るような…今度こそ、絶体絶命か笑 と、迷子を楽しむこと、小一時間、大きな道に出ることができた。バスも走っているようなので大丈夫だろうと、この道を北に歩いているうちに、やっと海沿いの大通りに出て、なんとか目的地にたどり着く。小曽根乾堂翁像は金比羅社の参道を上がった、途中の小公園にあるようで、再び坂を上がるのかと思うと、ちょっとくじけそうになったが、まあ、行ってみることにした。ということで、ずいぶんと遠回りをしたが、今回の旅行の最大の危機は無事に脱したのであった苦笑

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《小曽根乾堂翁像》(1958.11.23建立)。乾堂翁銅像再建委員会による。像の制作は田中雷名。「再建」とあるので、初代像はおそらく昭和18、9年に供出されたのだろう。小曽根乾堂(1828-1885)は、幕末・明治期に長崎で活動した事業家、書家、文人画家、篆刻家。幕末に坂本龍馬亀山社中海援隊を支援したことでも知られる。また、明治期には勅命により御璽・国璽を刻している。


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乾堂像のある小公園から、長崎市街方面を望む。


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バテバテなので、今度こそバスに乗る。乾堂像のある小公園から海沿いまで5分ほど歩き、浪の平バス停に出る。ここから、長崎バス・4・下大橋行きで、市役所前まで移動。20分ほど。190円。

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諏訪神社五の鳥居近くの小祠、祓戸神社の狛犬。ハイハイしたり、逆立ちしたり。たしか、木下直之が著書で紹介していたと思うが、ここにあったのか!


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で、今回の諏訪神社のお目当ては、祓戸神社前の、山本健吉文学碑「母郷行」(1984.11設置)。表面には山本健吉による「母郷行」が、裏面には井上靖による碑文が彫られている。碑には何も書かれていなかったので、よくわからないが、舟越保武が設計した山本健吉文学碑はこの碑のことかな? なお、五の鳥居付近には、向井去来の句碑など、いくつか文学碑あった。


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諏訪神社では、いつも、北村西望の大きな神馬像の写真を載せているが、今回は、月見茶屋近くにあった小ぶりな神馬像を掲載。作者などは不詳。

  • この後、長崎公園・どうぶつひろばを見学し(『動物園巡礼』の影響笑)、長崎歴史博物館を抜け、聖福寺、福済寺を再訪し、長崎駅前まで歩く。予定より少し早いが、先ほどの鍋冠山彷徨で疲れ果てたので、長崎観光はここまでとし、佐世保に向かうことにする。

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以前の長崎訪問の際にも載せたが、長崎歴史博物館・東側の、《長中健児ここに在り》(1984.11.11設置)。制作は富永直樹。台座横の碑文は山本健吉が書いている。


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その隣にあるきつね像? 正体不明。

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聖福寺山門。1703年(元禄16)竣工。国指定重要文化財


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聖福寺惜寺亭。経文をはじめ、寺内の不要になった文書類を燃やすための炉。赤煉瓦造り・漆喰塗りの六角形で、1866年(慶應2)7月の築造と言われている。


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聖福寺天王殿。仏殿と門を兼用する独特の形式をもつ建物で、天王殿という名称は中国伝来のもの。1705年(宝永2)竣工。国指定重要文化財
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天王殿の外側に祀られている弥勒菩薩(布袋)像(外側)と韋駄天像(内側)が祀られている。


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聖徳寺大雄宝殿。本尊の釈迦を祀る仏殿。1697年(元禄10)竣工、1715(正徳5)改築。国指定重要文化財


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聖徳寺の魚板。

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聖福寺鐘楼。1716年(享保元)竣工。国指定重要文化財

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聖福寺石門。

  • 福済寺 続いて、福済寺の万国霊廟長崎観音を再訪する。福済寺は、1628年(寛永5)福建省出身の覚海禅師が来日、庵をこの地で結んだのを始まりとし、1649年(慶安2)に来日した蘊謙戒琬禅師が正式な諸堂を創建した。大雄宝殿など、戦前には国宝指定を受けたが、1945年の原爆投下により、諸堂はことごとく灰燼に帰した。1979年11月、大雄宝殿の跡地に、原爆被災者と戦没者の鎮魂と平和祈念のため、万国霊廟長崎観音が建立された。

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福済寺の門。門の上の鐘は、原爆犠牲者慰霊のための鐘。毎日11時2分(長崎に原爆が投下された時間)に、一打一万人の霊を慰める意で、七打打ち鳴らされているとのこと。

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万国霊廟長崎観音。建設チームは、謹立:分紫山福済寺30世住持沙門徹義義光、設計監理:(株)土屋巌建築設計事務所、(有)宮本建築設計事務所、施工:(株)鉄川工務店

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万国霊廟長崎観音の地下に設置された「フーコーの振り子

  • いささか歩き疲れたので、今回の長崎観光はここまでとし、佐世保に向かうことにする。長崎バスターミナルから、16:00発のスーパーノンストップ便で佐世保の向かう。長崎・佐世保間の高速バスは、長崎県営バス西肥バスの共同運行で、16:00の便は長崎バスによる運行だった。終点の佐世保BTまでは1時間30分強、料金は1500円。スーパーノンストップ便の経路は、 ながさき出島道路長崎自動車道西九州自動車道佐世保大塔IC→国道35号を経て、佐世保BTがこのバスの終点だった。高速道路を下りてから、少し道が混んでいたので、若干遅れたが、大過なく17:30過ぎに佐世保BTに到着。車中、ほとんど、気を失っていた… まだ明るいので、駅の周辺を少し探ってから、今日宿泊のホテルに向かう。途中、アーケード街などをふらふらと歩いたのだが、いわゆる佐世保バーガーの店頭には、「艦コレ」の皆さまが立っていた笑 まあ、佐世保だからなぁ。

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佐世保駅のコンコースを抜け、港口を出ると、すぐ海だった。

  • 今回宿泊したのは、サンウエストホテル佐世保というビジネスホテル。部屋は8Fのシングルで、それほど広いわけではないが、バスタブも大きめ、備品やアニメティも充実しており、なかなかよかったかと。Wi-Fiもしっかりと入ったし、枕元に電源もあった。朝食ありで、1泊4600円だったのだが、これは格安でかなりお得だったと思う(ちなみに、朝食は品数も多く、美味だった)。ということで、風呂に入って、体をほぐし、早々にベッドに横になる。

鹿児島→湧水町 鹿児島・湧水町[第2日]

  • 6:00過ぎに起床。6:30、1Fの食堂に降りて、朝食を食らう。まあまあおいしかった(ちなみに、オレはとてもおいしい、まあまあおいしい、おいしくない、の3段階評価です)。部屋に戻り、一休みしてからチェックアウト。昨日は雨に加えて、夕闇が迫ってきたので、宿題とした、大久保利通像をまず再訪する。

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甲突川にかかる高見橋の東詰上流側に設置されている、《大久保利通像》(1979.9.26設置)。大久保甲東百年記念顕彰会による。像の制作は中村晋也。さて、昨日、中村晋也美術館で知ったのだが、

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像の裏、台座のところに、一人の男と馬が彫り出されている(銅像なんで、正確には「彫り出す」ではないんだけどね…)。これは、1978年(明治11)、暗殺された大久保利通と運命をともにした、御者と馬なのだとか。検索して知ったのだが、御者は中村太郎という名で、幕末の頃、大久保が引き取って養育した孤児なのだとか。長じて、大久保に仕えていたとのこと。大久保利通の墓の近くに、この御者と馬の墓もあることを知った作者が、御者と馬の像もともに造りたいと思っていたところ、(反対されると、造れなくなるので、)塑像の完成を観に来たお歴々の観覧を経た後に、ぱっと造って、付け足したそうだ。この逸話を好ましく思い、ちょっと確かめに来た次第。遠くからなので、わかりづらいが、確かにあった(って、昨日、美術館でも観ているのだが…)。除幕の後、ばれて、話題になったらしい。

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同じ広場の植え込みの中の彫刻らしきもの? 特に銘板の類もなく、正体は不明。こういうのがけっこう好きなんだよな笑

  • 昨日の宿題を果たしたので、鹿児島中央駅から栗野駅に向かうことにする。鹿児島中央駅8:09発の国分行きで、終点のひとつ手前の隼人まで行く。8:46に到着。ここで、隼人の吉松行きに乗換。9:03発の予定だが、10分遅れの特急待ちで、発車が10分遅れる。途中、遅れを少し取り戻し、栗野には9:58分頃、到着。1290円。きっぷは鹿児島中央駅の券売機でSUICAで購入。栗野駅前の湧水町ふるさとバスのバス停と時間を確かめ、栗野駅周辺の野外彫刻を探る。
  • 栗野駅前と丸池湧水公園 湧水町では、「芸術があるまち」事業として、町の各所に、彫刻家・美術家やその卵(美術大学の学生ら)の作品を数多く設置してある。けっこうな数があるみたい… とりあえず見かけたものは、一応(!?)、掲載しておく。

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栗野駅前の、宮薗広幸《てき てき》(2013)。


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栗野駅の反対側に、丸池湧水があり、周囲が公園になっている。池の中で、水がこんこんと湧き出していた。そして、公園の各所に彫刻がいくつか設置してあった。


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竹迫美貴《撫で○》(2016)


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原正憲《宵》(2006)


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越智彩《yu-fu》(2008)


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西村充《slab works》(2015)


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阪梨渡《cloth》(2007)


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原正憲《生々流転》(2006)


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師岡千穂《Tsu-rara》(2010)


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石川しょうこ《熊》(2016)

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それから、住民らによるお祭りの際に制作されたつくりものもいくつか設置されていた。というか、こちらのほうが目立っていた。これは、その一つのバルタン星人。

  • 霧島アートの森

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草間彌生《シャングリラの華》(2000)


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西川勝人《ほおずき・コブシの森》


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アートホール(美術館)へのアプローチ


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植松奎二《浮くかたち−赤》(1999)


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草間彌生《赤い靴》(2002)


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ジョナサン・ボロフスキー《男と女》(1999)


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フィリップ・キング《サン・ルーツ》(1999)


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ダン・グレアム《反射ガラスとカーブした垣根の不完全な平行四辺形》


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八田隆《プライベート・ガーデン》(2000)


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竹道久《ひだまり》(2000)


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福元修一《アース・レッド&ブラック》(2000)


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通畠義信《時の巣》(2000)


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タン・ダ・ウ《薩摩光彩》(2004)


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マルコ・カサグランデ&サミ・リンターラ《森の観測所》(2004)


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木道を降りていく。

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と、まばらに木の生えた場所に出る。ここに、5体の彫刻が木立に隠れるように立っている。

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アントニー・ゴームリー《インサイダー》(1999)


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ルチアーノ・ファブロ《イザナミイザナギ・アマテラス》(1999)


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ダニ・カラヴァン《ベレシート(初めに)》(2000)


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チェ・ジョンファ《あなたこそアート》(2000)


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ウルリッヒ・リュックリーム《ストーン・セッティング》(1999)


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若林奮《4個の鉄に囲まれた優雅な樹々》(2000)


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西野康造《気流−風になるとき》


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椿昇《"RIGHT SHEEP" 2012》(2012)


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牛嶋均《キリシマのキチ》。敷地内に設置してある一連の彫刻遊具。多くはアートホール近くの芝生広場に設置されていたが、森の中にもいくつかあった。


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福澤エミによる石のベンチ、《インターリンク》。森の中も含め、園内のいろいろなところに設置されていた。全部で23ヶ所とのこと。


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内倉ひとみによる水飲み場、《天使のみずのみ》。駐車場を含め、3ヶ所に設置。


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そして、最後に、藤浩志のやせ犬、《犬と散歩》。園内8ヶ所でうろうろしているらしい。

  • 帰りのバスまで、まだ2時間近くある。さて、どうしたものか? バスの都合で、4時間30分ほどの滞在時間があったのだが、さすがにこれでは時間が余るので、はじめの予定では、二つ手前のバス停の栗野岳温泉で下車し、「栗野岳八幡大地獄」(噴気口ね)を見学し、その後、霧島アートの森までぶらぶら歩いてくる(2kmちょっとある)つもりだったのだが、栗野駅でバス待ちしている間に、急に雨が降り出し、しばらく止みそうもないので、地獄見物は取りやめとして、バスでそのまま霧島アートの森までやってきたのであった。しばらく、降ったり止んだりが続いていたのだが、13:00を回った頃から、どうやら晴れ間が見えだした。ただ、北風が強く、寒い。ぼっーと待っているのも、しゃくなので、一つ手前のバス停、栗野岳展望台まで歩いてみることにした。県道103号を北に10分ほど歩くと、バス停に到着。名前のとおり、バス停の近くに、県道から山腹の斜面に突き出すように展望台が設けてあった。残念ながら、今日は雲が多く、かすんでいて、あまりぱっとした景色ではなかった。また、ここまで来る途中に「日本一の枕木階段」というのがあり、あきらかに膝殺しの物件(笑)なので、どうしたものかとも思ったのだが、まだだいぶ時間に余裕があったので、これを上ってみることにした。

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展望台への道筋の途中に、野外彫刻が設置してあった。鏑木康之《ナノハナとチョウチョ》(1998)。ここだけではなく、帰りのバスで栗野岳を下る際の道筋にも数基の野外彫刻を見かけた。

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1988年1月31日付で廃止された旧国鉄山野線(水俣と栗野を結んでいた)の、旧栗野町内にあった線路の枕木を使って、1990年に設置されたものだとか。階段の下からは見えないが、上りきると、展望台があり、天気がよければ、桜島なども見えるらしい。

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さて、上り始める。中央が植え込みになっていて、その左右に枕木階段がある。ところどころ、植え込みに切れ目があり、ベンチが置かれている(たいはんが破損していたが…)オレ的には枕木の高さがあっているのか、存外、上りやすかった。が、油断してはならない。

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振り返って見ると、県道の反対側は牧場のようで、数頭の馬がのんびりと草を食んでいた。後で知ったのだが、競走馬などを引退した馬たちが暮らしている牧場だった。

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しばらくすると、展望台が見えてきた。

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展望台から、上がってきた枕木階段を眺める。枕木階段はこれだけではなく、さらに先にもずっとつながっている。

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こちらは、霧島アートの森の方。かすんでいなければ、桜島まで見えるらしい。

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眺望の場所を示すブロンズ板があった。

  • 枕木階段を上がりきったあたりには、横に伸びる道があって、こっちへ来いと、オレを誘っている笑 また、栗野岳の頂上へ登る道(頂上まであと1.8kmとあった)もあり、これまたこっちへ来いとオレを誘っている。どちらも、未知の道でどこに続いているのだかわからないし、また、膝もやばいし、時間も心配なので、今回はおとなしく引き返すことにする。そのつもりだったが、枕木階段を1/3ほど下ったあたりに、横に逸れる道があった。この道はアートの森に隣接する栗野岳レクリエーション村の上の方の広場に続いているようなので、ふらふらとこの道に逸れてしまった。ところが、それみたことかといわんばかりに、目の前に見える広場にはなかなか至らない。というか、広場の外縁、笹原を隔てて、延々と向こうへ伸びているじゃないか。う〜む、引き返すのめんどうだな。と、広場にいちばん接近しているあたりで、思い切って笹原を突っ切ることにした。オレの背よりも高い笹原だったが、無事に横切ることができて、ほっと一安心。広場の下の斜面にあった椋鳩十の文学碑などを眺め、無事に霧島アートの森のバス停まで戻ってきた。

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野岳レクリエーション村の上の方の広場。山の中腹に、先ほどまでいた展望台が小さく見える。

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椋鳩十先生著「栗野岳の主」文学碑。栗野岳を舞台に「栗野岳の主」と呼ばれるイノシシの一家を描いた物語とのこと。大きな岩に碑板をつけただけだけど。

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バス停付近。湧水町ふるさとバスは、バス停もバスの塗装もあわい水色で統一されている。

  • さて、霧島アートの森15:45発のふるさとバス・東回りで、終点のいきいきセンターくりの郷まで。乗客はオレ一人。乗車時間は20分ぐらいか。200円。いきいきセンターで約1時間の待ち合わせ。ここで、南国交通の鹿児島空港行きのバスに乗り換える。時間があるので、近くのコンビニでサンドイッチとコーヒーを食らい、その後、いきいきセンター周辺の野外彫刻を探った。

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いきいきセンターくりの郷の、田中謙太郎《sunset》(2003)

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いきいきセンターくりの郷の、関祐美子《寄りかかる女》(2007)。いきいきセンターの軒下に、この2作とともに、たくさんのチェーンソーアートも並んでいた。湧水町では、いろんなところで、チェーンソーアートを見かけた。けっこう盛んらしい。

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くりの図書館前の、石彫の女性像。タイトル板は見当たらず。詳細は不明。

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いきいきセンターくりの郷・駐車場付近の、上藤晴子《Melt away》(2007)

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駐車場にふるさとバスが停まっていたのだが、オレの乗った「東回り」号はいなかった。

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  • いきいきセンター17:07発の南国交通バス・鹿児島空港行きは、数分遅れでやってきた。これに無事乗車。なにせ水俣からえんえんと2時間近くかけてくるバスなので、数分の遅れはほとんどオンタイムと言っていいと思う。いきいきセンターで2人降り、オレが乗車。鹿児島空港までの乗客はオレを入れて3人。30分ほどで、難なく鹿児島空港に到着。620円。車中、ほとんど気を失っていた。ジェットスターのカウンターでちゃんと飛ぶか確認し、適当な夕食を適当に食らい、保安検査場を通り抜け、静かなところで本を読む、といういつものパターン。飛行機に乗る前にデヴィッド・トゥープフラッター・エコー』を読み終え、機中ではPKDの文庫本を読み継ぐ。帰りの飛行機は、ジェットスターGK628便、鹿児島19:50→21:30成田の予定だが、本を読んでいると、アナウンスがあり、使用機材の到着遅れで、35分出発が遅れるとのこと。ダメじゃん。ぎりぎりで終バスに間に合わないってやつだよ、これ(笑) 今日は絶対に走らないゾ(笑) で、飛行機は、アナウンス通り、きっちり35分遅れでの運行。成田には22:05頃、着陸。バスでの移動で、到着ロビーには、22:15を回った頃に出たのであった。ということで、帰りはリムジンバスではなく、京成電鉄を利用した。空港バスでT2に移動して、空港第2ビル駅22:42発(先頭車両にいつもいる騒々しいおばさん2人組が今回もいたゾ!)で京成津田沼を経由して京成の最寄り駅まで。あとは歩いて帰宅。24:00前には家にたどり着いたのであった。