鹿児島(2) 鹿児島・枕崎[第1日]
- 鴨池公園周辺の野外彫刻 続いて、文化公園の西側の鴨池公園に立ち寄る。本郷新によるモニュメント《太陽の賛歌》を再訪するつもりだったのだが、園内は(2020年秋開催の第75回国民体育大会、第20回全国障害者スポーツ大会のための)施設再整備のために、いたるところで工事が行われており、公園内には立ち入ることができなかった。
ということで、公園の外から、本郷新《太陽の賛歌》(1972)を望む。1巡目の第27回国民体育大会の記念モニュメント。どうやら、取り壊し、とかはないようだ。
鴨池公園・北西(運動公園前交差点・東南)の、速水史朗《未来へ》(1998/1998.12.2設置)。鹿児島市ロマンチックオブジェ事業・第4作。ロマンチックオブジェ事業はこの4作目で終了。
《貴様と俺の碑》(1966.4.1設置)。鹿児島海軍航空隊の戦没者のための慰霊碑。鹿児島海軍航空隊慰霊顕彰会による。制作は中村晋也。設置場所は、鹿児島市教育委員会勤労女性センターの東側。
鴨池公民館前の、木佐貫煕《憩》(1982.3.31設置)。タイトル板などは見当たらなかった。植え込みで隠れていたのかもしれない。鹿児島市のモニュメント建設事業(地元新進作家作品)による設置。これは、彫刻のあるまちづくりとともに、鹿児島市による野外彫刻設置事業としては、最初期のもので、地元の若い作家の作品を重点的に公民館などの公共施設に設置したもののようだ。市内各所に散在するので、総ては回り切れなかったものの、この後、そのなかのいくつかは観覧することができた。いずれも具象の女性裸体像…
イオン鹿児島鴨池店・西側の、馬にまたがる子ども、驢馬、熊、山羊の像。作者などは不詳。これらの像は、かつてこの地にあった鴨池動物園の名残らしい。鴨池動物園は鹿児島電気軌道が1916年に開園した全国で4番目に古い動物園で、その後、鹿児島市に運営が移り、1972年までこの地にあった(同年10月に平川町に平川動物公園として移転)。
こちらは、鴨池動物園正門の門柱。イオンの隣にある鴨池児童公園に残っている。公園には、他にも壁など、動物園の遺物?がいくつか残っていた。実は、木下直之『動物園巡礼』を読み終わったばかりなので、こういったものが目に飛び込んでくるのであった。
- 谷山の野外彫刻 次は鴨池バス停からバスで移動する。バス停で待っていたら、鹿児島交通バスの山川桟橋行きが来たので、これに乗る。20分ほども乗っただろうか(途中、数分、気を失っていた笑)、谷山支所通りで下車する。240円。谷山サザンホール→谷山支所→谷山市民会館と歩いて周り、この周辺の野外彫刻を探る。谷山市民会館の野外彫刻を観た後、谷山緑地公園を歩き、谷山電停まで戻る。途中、産業道路沿いに定食屋があったので、ここに立ち寄り、少し早いが夕食に唐揚げ定食などを食らう。
谷山サザンホール前の、中村晋也《姉妹》(1989設置)。鹿児島市による。
谷山サザンホール前の、中村晋也《朝の祈り》(1989設置)※昭和62年度(第44回)日本芸術院賞受賞作品。鹿児島市による。
谷山支所前の、原田茂《あしたの詩》(1982.3設置)。鹿児島市のモニュメント建設事業(地元新進作家作品)による設置。
谷山支所前の、《桑鶴市長像》(1965.6.27建立)。谷山町は1957年に単独で谷山市となったが、その後、1967年4月29日に鹿児島市と合併し、鹿児島市となり消滅した。この胸像の像主、桑鶴実(-1962)は、谷山町の5代町長にして、谷山市の初代市長となった人物。
その市長像の隣には「谷山市制記念」の碑が立っていた。
谷山市民会館前の、立山美次《夏の日に》(1982.3設置)。鹿児島市のモニュメント建設事業(地元新進作家作品)による設置。
そうか、谷山電停は「日本最南端の電停」なのか。
- 甲突川・平田橋の山本正道など 谷山電停から市電に乗車。市電は1乗車170円。てっきり、鹿児島中央駅まで行くもんだと思っていたのだが、郡元で乗り換える必要があり(乗換券が出る)、これがめんどうなので、そのまま、高見馬場まで行く。高見馬場電停から甲突川にかかる平田橋までぶらぶらと歩く。平田橋橋上には前回見落とした山本正道の少女像が2基設置されている。途中、平田橋から1本下流寄りの西田橋の東詰南側に、竹道久作品を見つける。これは知らなかった作品。
西田橋東詰南側の、竹道久《緑の翼》(2000)
平田橋・下流側の、山本正道《思い出》(1986/1986.3設置)。彫刻のあるまちづくり事業(昭和60年度)・ 甲突川河畔・緑と彫刻の道・第2回作品。
平田橋・上流側の、山本正道《こだま》(1986/1986.3設置)彫刻のあるまちづくり事業(昭和60年度)・ 甲突川河畔・緑と彫刻の道第・2回作品。
鹿児島(1) 鹿児島・枕崎[第1日]
- 鹿児島に野外彫刻を観にいってきた。昨年の春と冬に鹿児島行きの予定を立てたのだが、霧島山新燃岳の噴火やら、体調不良やらで、ともに行くことができなかった。そのリベンジ、というわけである。出発の少し前に、枕崎市に多くの野外彫刻が設置されていることを知り、急遽予定を変えて、2日目は枕崎に行くことにした。もちろん、枕崎には初めて行く。事前の天気予報ではあまりぱっとした天気にはならないようだったが、2日とも、晴れ間の見える暖かい天気となり、一応の予定をこなすことができた。まあまあ楽しい彫刻放浪の旅となった。
- 鹿児島市の野外彫刻については、以前一度探りに行ったことがある。2018年1月10日と11日の両日のことだ。このときは、鹿児島にある本郷新の野外彫刻などを探るべく、長島美術館、甲突川沿いの緑地、文化公園(今回再訪した)、鹿児島市立美術館を訪ねた。今回は、その後に知った鹿児島の野外彫刻をできるだけたくさん観ることが目当てとした。やみくもにネットを検索して知ったものもあるが、「かごしまデジタルミュージアム」が大いに参考になった。なお、歴史的肖像彫刻の類(いわゆる「銅像」ってやつね)については、今回は(も、か)ほとんどパスしている。
- では、出発。行きは羽田空港から。4:58発の最寄り始発バスで、羽田空港T2まで。ほぼ定刻の5:50頃、到着。早速、保安検査場を通過して、57ゲートへ移動。静かなところを探して、搭乗まで一寝入り。今日搭乗したのは、ANA619便、羽田7:10→9:10鹿児島の予定。20分前に搭乗が始まり、だいたい予定どおりの運行で、9:10頃、鹿児島空港に着陸した。9:20の鹿児島市内行きのバスに乗車し、10:00過ぎに天文館で下車した。1250円。鹿児島は基本的にSUICA不可。
- 天文館で下車し、まず最初に天文館公園に立ち寄った。かごしまデジタルミュージアムによると(→ここ)、公園の噴水池に、土田副正による《人魚》像があるよしだが、行ってみると、公園には噴水池自体がなくなっていた。近時の整備で廃されたもののようだ。《人魚》ももちろん見当たらない。う〜む、最初から空振りかぁ。大丈夫かな笑 続いて、中央公園→市役所/みなと大通り公園→かごしま水族館と歩いて、野外彫刻を探る。
中央公園の、堀内正和《ま四角三つ》(1993/1994.3.28設置)。チタン製で、高さは5.7m。鹿児島市の、ロマンチックオブジェ事業・第2作。まあ、ロマンチックではないけれど。それにしても、この「ロマンチックオブジェ事業」のネーミングはどこから来た?
同じく、中央公園の、野外彫刻らしきもの。タイトル板の類がないので、詳細は不明だが、あ、怪しい…
みなと大通り公園(西端/鹿児島市役所前)の、速水史朗《悠雄》(1992/1992.10.19)。アフリカ産の黒御影石製で、いちばん高いものが5.6m。鹿児島市の、ロマンチックオブジェ事業・第1作。
みなと大通り公園(東端)の、「太平洋戦争 民間犠牲者慰霊碑」(1973.9.5/1974.6.17設置)。制作は児島幸雄。鹿児島市と南日本新聞社が戦災30周年を記念して、県内外の県関係者に協力を呼びかけて建立したもの。
そして、鹿児島水族館横広場の、澄川喜一《風 wind》(1997/1997.2.12設置)。鹿児島市の、ロマンチックオブジェ事業・第3作。これまた怪獣感が…
同じく鹿児島水族館横広場の、自航式有人潜水艇「はくよう」。1971年建造。42年間に8134回の潜行を行い、さまざまな海底・深海調査に活躍した。2013年5月31日に潜水艇の役目を終え、ゆかりあるこの地に設置された。
- 鹿児島県庁周辺の野外彫刻 鹿児島水族館前バス停(というか、桜島フェリーのターミナル前なのだが)から、市バス・鴨池港行きのバスに乗車。20分ほど乗って、県庁前バス停で下車。190円。県庁周辺の野外彫刻を探る。この辺は、初めて来るところ。
鹿児島県庁・警察庁舎前の、《大警視 川路利良》(1999.10設置)。制作は中村晋也。せっかくここまで来たので、これはパスしないで、掲載しておこう。
鹿児島県庁前の、流政之《OH UDO 風雲天をつく》(1996)。めずらしくコールテン鋼の作品。鹿児島県庁のタイトル板の隣に、わざわざ「この彫刻は現在、前面が均質的な錆で覆われるまでの曝露腐食期間中です。」と説明板があった。行政庁舎と議会庁舎の間の広場に設置。
鹿児島県庁舎前の、アーチ。制作者などは不詳。行政庁舎と議会庁舎の間の階段を上がると設置されている巨大なアーチ。
鹿児島県庁舎・行政庁舎裏手の広場の、関根伸夫《神話のはじまり》(1996)。県庁舎の裏手が広場になっており、東側には緑地公園が広がっている。
鹿児島県庁舎・東側の緑地の、野外彫刻。タイトル板が見当たらなかったので、タイトル、作者などは不詳。確か、ネットで見かけた気がするのだが…ということで調査中。
鹿児島県庁舎・東側の緑地の、宮薗広幸《ふふふ》(1998/1998.3設置)。鹿児島県が財団法人日本宝くじ協会の寄贈により設置。明日も含めて、宮薗作品には、いくつか出会うことになる。
- 文化公園再訪 この後、海沿いの与次郎ヶ浜の遊歩道を文化公園まで歩く。風が強く、ぼさぼさの髪がさらにぼさぼさになり、居心地が悪いが、まあ、晴れてきたのでいいか。ぶらぶら歩いて10分ほどで文化公園に到着。ここは再訪だが、前回見落とした《渚のエウローペ》がお目当て(といっても、これも全国で何ヶ所か、設置されている作品だが)。文化公園は、1983年2月6日に開館した鹿児島市民文化ホールに隣接する公園で、園内には数基の具象彫刻が設置されている。いずれも企業からの寄贈で、市民ホールの開館に併せて、整備されたようだ。
圓鍔勝三《朝の調》。稲盛和夫(京都セラミック株式会社社長)の寄贈。
北村治禧《麗新》。これも稲盛和夫(京都セラミック株式会社社長)の寄贈。
木下繁《望》(1982)。これまた稲盛和夫(京都セラミック株式会社社長)の寄贈。
松田尚之《白光に浴す》(1932.8)。戦前の作。戦後も終わる頃、野外に出てきた、といったところか。山形屋の寄贈。
富永直樹《断》(1982)。鹿児島銀行の寄贈。
晝間弘《雄気》。旭相互銀行の寄贈。
そして、お目当ての、淀井敏夫《渚のエウローペ》(1982.11設置)。長島商事株式会社(代表取締役 長島広佑)の寄贈。
そして、こいつら3人組も。
メモ
【枕崎市の野外彫刻】
彫刻は以下の6エリアに設置
市役所通り 27基
国光公園 4基
南溟館 11基
駅通り 12基
中央通り東(国道226/東本町交差点→町頭交差点)
中央通り西(国道226/町頭交差点→薩摩酒造花渡川蒸留所所明治蔵)
1988/S63 文化資料センター南溟館開館
1989/H01 第1回「風の芸術展」ビエンナーレまくらざき ※平面・立体の2部門による全国コンクール。第6回まで隔年で開催。 ※枕崎市制40周年記念 ※主催:枕崎市、枕崎市教育委員会、「風の芸術展」実行委員会
1991/H03 第2回「風の芸術展」ビエンナーレまくらざき
1993/H05 第3回「風の芸術展」ビエンナーレまくらざき
1995/H07 第4回「風の芸術展」ビエンナーレまくらざき
1997/H09 第5回「風の芸術展」ビエンナーレまくらざき
1999/H11 第6回「風の芸術展」ビエンナーレまくらざき
2002/H14 第7回「風の芸術展」トリエンナーレまくらざき ※この回より、3年に1度の開催になる。が、次回はイレギュラーで5年後に開催。
2007/H19 第8回「風の芸術展」トリエンナーレまくらざき
2010/H22 第9回「風の芸術展」トリエンナーレまくらざき
2013/H25 第10回「風の芸術展」トリエンナーレまくらざき
2016/H28 第1回「枕崎国際芸術賞」 ※平面・立体共通になる。 ※主催:枕崎市、枕崎市教育委員会 ※開催規模を縮小し、立体も対象であるが、どちらかというと平面(絵画)寄りになるか。
2019/H29 第2回「枕崎国際芸術賞」 ※枕崎市市制施行70周年記念事業
1月に行った朝来市の場合とだいたい同じ感じ。ただし、朝来市が1994年からなので、枕崎市の方が5年先行している。枕崎市も朝来市も現在まで継続しているが、少しずつ規模が小さくなり、性格も変わってきている、という印象。枕崎市の場合は、「風の芸術展」立体部門の大賞、準大賞が市の買い上げとなり(賞金と引き換え)、野外設置されている。また、この他、ゆかりのある(出展された)作品のうち、相当数が同じように野外設置され、これらは一群の作品は「青空美術館」の呼称でまとめられている(「風の芸術展」関連以外の作品もある)。
第11回恵比寿映像祭「トランスポジション 変わる術」(東京都写真美術館、他)
■恵比寿ガーデンプレイスセンター広場(オフサイト展示)
さわひらき《platter》(2019)
■東京都写真美術館・3F
レン・ライ
ルイーズ・ボツカイ
地主麻衣子
市原えつこ
岡田裕子
デヴィッド・オライリー
■東京都写真美術館・2F
ユニヴァーサル・エヴリシング
サシャ・ライヒシュタイン
ヘ・シャンユ
カロリナ・ブレグナ
■東京都写真美術館・B1F
デヴィッド・オライリー
牧野貴《Endless Cinema》(2017) 音楽:Jim O'Rourke 展示技術:山元史朗
黒川良一
ミハイル・カリキス
■日仏会館・ギャラリー
三宅唱+YCAM《ワールドツアー》(2018)
例年よりも(長尺の)映像作品が多かった。音響/音楽が強力な作品が多く、おもしろかったのだが、やはり同じフロアの簡易壁で区切られた空間で観ると、どうしても音がミックスされてしまう。音に難があるなあ…という、いつもの愚痴。
彫刻放浪:田町・芝浦あたり〜恵比寿ガーデンプレイス
- 今日は、田町・芝浦あたりの野外彫刻を観て回ってから東京都写真美術館他で開催中の第11回恵比寿映像祭を観に行くつもり。まず、最寄りから東京メトロ経由で新橋に出て、山手線で田町で下車。田町駅の西口に彫刻があると聞いたので、まず西口周辺を探るが、これは見つけることができなかった。撤去? それとも、見落とし? いずれにしても、残念。もう少し探索したい気もしたが、例によって少し出遅れていたので、ここまでとして、次の目的地、芝浦アイランドに向かうことにした。
- 芝浦アイランド・グローブタワー周辺の野外彫刻 芝浦4丁目の島状の区域が再開発され、芝浦アイランドと呼ばれる地域となった。4棟の大きなタワーマンションが建っており、そのうちの一つ、A2街区のグローブタワーの周囲の遊歩道に野外彫刻があると聞き、訪ねてみることにした。グローブタワーは2007年3月の竣工だが、ネットを検索してみると、グローブタワーの周りの遊歩道への彫刻設置を目的に、2005年に「海の物語」をテーマにした「水と緑のアイランド「芝浦アイランド彫刻コンクール」」の作品募集が行われ、マケットによる1次審査、2次審査を経て、2006年4月に入賞作5作が選ばれたとのこと(主催は三井不動産。A2街区再開発の事業者のうちの一社)。5ヶ月間の制作期間を経て、2006年9月に、今回観にきた各作品が設置された。この手のマンションやオフィスビルだと、最近ではコンサルがキュレート/マネージして、作品を設置することが多いのだと思うが、こうしてコンクールを経て、設置したのはちょっとおもしろい。以下、観覧順に掲載。
朝野浩行《LA DONNA》
岩崎順一《Sea VIII》。この岩崎作品があると聞き、訪ねてみた次第。
信ヶ原良和《隙・煌々》
石嶋哲彦《SWIMMING POT》
- 埠頭公園の「南極探検記念碑」 そのまま、芝浦アイランドを抜け、潮彩橋を渡り、埠頭公園まで歩く。ここに、白瀬矗(しらせのぶ)中尉らによるわが国初の南極探検の記念碑が設置されているので、これを観覧。白瀬隊は1910年(明治43)11月、南極探検に向けて、芝浦から開南丸に乗って、出航した(南極大陸上陸は、1912年[明治45]1月)。
「南極探検記念碑」(1936)。制作は朝倉文夫。その後、ペンギン像などに破損が目立つことから、1982年に港区により補修が行われた、とのこと。
修復されたペンギン像。だいぶ傷んでいたらしい。
こちらは近くに設置されている砕氷艦・初代しらせのスクリュープロペラ(の一部)。南極探検発祥の地を記念して、海上自衛隊から貸与されたものとのこと。2009年11月設置。
黒川晃彦《リバーサイド トリオ》(1992)
- 恵比寿ガーデンプレイスの野外彫刻 田町駅からJR山手線で、恵比寿駅まで移動。お腹が空いたので、少し早いが、適当な夕食を適当に食らい、今日の最終目的地である恵比寿ガーデンプレイスまで歩く。第11回恵比寿映像祭(もう11回かよ…)が目あてだが、その前に、ガーデンプレイスのアートワーク/野外彫刻を幾つか観て回る。なお、公式サイトには、特にアートワークの紹介はないようだが、案内パンフ「恵比寿ガーデンプレイスのご案内」に作品名と設置場所を記したマップが掲載されている。
>参考:パンフNavi 恵比寿ガーデンプレイスのご案内
時計広場の、土谷武《握手する人》(1994)
サッポロビール本社前の、三澤憲司《宇宙の構成》(1994.9)
「通風筒カブト」。説明板によると、もともとはサッポロビール旧恵比寿工場の製麦棟乾燥室屋根の通風筒につけられていたものとのこと。中世ヨーロッパの騎士のカブトに似ていることから「カブト煙突」と呼ばれ、1914年(大正3)にドイツから輸入されて以来、約60年間にわたって、使用され続けた。現在は、サッポロビール本社前の池の中に設置されている。
センター広場のさわひらきのインスタレーション、《platter》(2019)。第11回恵比寿映像祭オフサイト展示の一つ。テントの中に四角と丸の2つのスクリーンがある。また、左右と中央に配されたラッパ状の筒が設置され、ここから音楽が流れる。制作チームは、コンセプト・イメージ・映像・オブジェクト制作:さわひらき、テント設計・施工:ドット・アーキテクツ、音楽制作:生駒祐子、清水恒輔(mama!milkのお二人ね)、映像・音響技術:樋口勇輝。帰り際にも立ち寄ったが、やはり日が暮れてからがお奨め。
彫刻放浪:新橋→神谷町
今日の彫刻放浪は、新橋からスタートして、神谷町あたりがゴール。出遅れて、あまり回れなかったのは失敗、失敗。
彫刻ではないが、先日、北浦和公園でカプセルを観たので、本体の中銀カプセルタワービルをカレッタ汐留のペデから遠望。設計は黒川紀章、1972年の竣工。メタボリズムを代表する作品。この後、カレッタ汐留の蔡國強の亀噴水を観ようと思ったのだが、周囲がイルミネーションでごてごてしていたので、こちらも遠目で見て、退散。カレッタ汐留には他にもPAがあるようだが、またの機会とした。
で、今日の初彫刻は、航空会館前の、浦山一雄《蒼天》(1978)。鹿島建設株式会社と清水建設株式会社の寄贈。青空まぶしい、いい天気なので、日光浴でもしようかな。という感じの像(←ウソ)。
続いて、都営三田線・御成門駅・A5出口の、眞板雅文《連山夢想》(1995)。
芝公園4号地の、佛子泰夫《伸びゆく子供像》(1955.4)。白コンクリート像。小野田セメント株式会社の寄贈。
次は、萬年山青松寺の、籔内佐斗司作品。この山門には、籔内佐斗司による四天王像が安置されているが、ガラス越しだったので、写真は割愛。
山門を入って、右手の誕生童子。
こちらは左手の龍。この他にも、十六羅漢像(非公開らしい)やら、裏手の森には十二支を乗せた摩尼車やらがあるようだが、これはまたの機会に。
愛宕グリーンヒルズ・南側の、高田洋一《森の記憶》(1990)。ちなみに愛宕グリーンヒルズの竣工は2001年とのことなので、制作(設置も?)はそれよりずいぶん以前のことだな。
最後は、手まり坂緑地の、《my sky hole 93-3 手まり坂》(1994.3)。設計監修:井上武吉。東京都港区による。緑地(の構造物)全体で一つの作品、ということのようだ。
ということで、今日の彫刻放浪はここまで。この後、東京メトロ日比谷線で、神谷町→六本木と移動して、国立新美術館へ。3Fのアートライブラリーでちょっと調べ物をしてから、イケムラレイコ展を観覧。時間が迫っていたので(閲覧は18:00までだが、閉架図書の請求は17:00まで、複写の申請は17:15まで)、少し慌ててしまったが、空いていたので、助かる。一応、目的のものは閲覧・複写できた。