かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

堺(2) 西宮→大阪→堺[第2日]

承前

  • さかい利晶の杜→ザビエル公園→宿院周辺→フェニーチェ堺→堺市役所 まず、さかい利晶の杜に行ってみた。堺市による観光施設で、堺にかかわりのある千利休与謝野晶子の2人の「文化人」、及びに堺の「文化」の(観光客向け)紹介を核にした施設。1Fに千利休、2Fに与謝野晶子の展示室があり、映像などを多用した「今風」の展示だった。300円。茶の湯体験施設での茶の湯体験、というか、呈茶が売りだったみたいだが、先を急ぎ、パスした。他に、資料室なども(こちらは無料)。ひとわたり見学してから、大道筋を北に走り、戎公園(ザビエル公園)まで。ここで、野外彫刻を探る。遊具も多く設置されており、土曜日の午前中故か、親子連れが多い。また、彫刻以外にも、碑の類が多く設置されていた。例えば、安西冬衛の詩碑(「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」)など。

f:id:pigmonm:20190421014456j:plain:w360
戎公園(ザビエル公園)の、ジョルジ・ヴィエイラ《東と西の接点》(1969)。ポルトガルと日本の出会いをテーマにした作品。70年の万博の際、ポルトガル館に設置されてもので、その後、堺市に寄贈され、この地に設置された。


f:id:pigmonm:20190421014518j:plain:w360f:id:pigmonm:20190421014507j:plain:w360f:id:pigmonm:20190421161610j:plain:w360
大阪信用金庫宿院支店前の、福岡道雄《無題》(2007設置)。せんよう、堺経営懇話会、阪南経営懇話会の寄贈。


f:id:pigmonm:20190421014440j:plain:w360
清恵会病院前の、流政之《“EEYANKA”》(1996設置)


f:id:pigmonm:20190421014813j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421014803j:plain:w240
フェリーチェ堺前の、晶子をうたう会による記念碑。1987年5月20日、第5回晶子リサイタル記念のために建立。像の制作は白石正義。石匠は藤田国春。堺市民会館前に設置されていたもの。会館が建て替えられて後に、後継のフェリーチェ堺の近くに再設置されたようだ。


f:id:pigmonm:20190421014753j:plain:w240
堺市役所・高層棟・1Fロビーの、松本薫《Cycle 90°-1》(1992)。大阪トリエンナーレ'92・堺市賞受賞作品。


f:id:pigmonm:20190421014743j:plain:w240
堺市役所・本館・1Fロビーの、建畠覚造《三つの波形》(1991)。三和銀行の寄贈。


f:id:pigmonm:20190421163300j:plain
展望台から仁徳天皇陵を望む。写真中央の緑のこんもりしたところがそれ。その右側が、次に行く大仙公園で、さらにその右が履中天皇陵。

f:id:pigmonm:20190421015050j:plain:w240
堺市博物館・B1F・中庭の、内田晴之《Two Oblong Blosks(2つの矩形ブロック)》(1995)。大阪トリエンナーレ'95・堺市賞受賞作品。


f:id:pigmonm:20190421015036j:plain:w360f:id:pigmonm:20190421015024j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421190304j:plain:w360
大仙公園堺市博物館裏手の芝地の中の、小林陸一郎《雷様の忘れ物》(1983)。第1回全国都市緑化フェア出品作品。

f:id:pigmonm:20190421015013j:plain:w240
JR阪和線・津久野駅前の、辻弘(ひろむ)《巣》(1966.11設置)。日本軽金属株式会社の寄贈。


f:id:pigmonm:20190421015246j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421015235j:plain:w360f:id:pigmonm:20190421190712j:plain:w360f:id:pigmonm:20190421015224j:plain:w360
堺市総合医療センター前の、安藤泉《どろんこ坊や》(1996)。この象像は、宿院町西にあった堺市立堺病院が、1996年、南安井町に新築移転した際に設置されたが(当時は、噴水施設ありで、親象の鼻先から水が出て、子像にかかるようになっていた)、さらに2015年現在地の津久野に移転した際に(この時、堺市総合医療センターと改称)、同じく移設された。ちなみに移転前の堺市立堺病院の建物は、現在、清恵会病院になっている。あと、全然気づかなかったが、子像の鼻先は動かせるらしい。


f:id:pigmonm:20190421015519j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421015509j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421015458j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421191000j:plain:w240
堺市西区役所前の、清水九兵衛《祭冠》(1996)

f:id:pigmonm:20190421015815j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421015804j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421015753j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421020053j:plain:w360
学術情報センター前の、ケネス・スネルソン《EQタワー》(1993)


f:id:pigmonm:20190421020043j:plain:w240
学術情報センター・エントランスロビーの、児玉康兵《晴耕雨読》(1993)


f:id:pigmonm:20190421020033j:plain:w240
白鷺門通りの、増田正和《process》(1986)。中百舌鳥キャンパスのメインモニュメントみたいな感じなのかな。

f:id:pigmonm:20190421020351j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421020340j:plain:w360
新金岡駅・2番出口付近の、大井秀規《Graviation XXV》(1992)


f:id:pigmonm:20190421020329j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421020319j:plain:w240
堺市北区役所前の立体…作品? タイトル板が見当たらず、作者など(あの人の作品っぽいのだけど…)不詳。

  • 南海本線・七道駅前 予定では新金岡駅周辺を探った後、JR百舌鳥駅近くのサイクルポートに自転車を返却し、JRで関空に向かうつもりだったのだが、だいぶ時間に余裕があるので、もう少し自転車を走らせることにした。大阪中央環状線府道2号線)→国道310号線と自転車を走らせ、大道筋を北に折れ、綾野町近くで再び西に曲がり、あとは南海本線沿いに七道町駅まで。最後に七道駅前の川口慧海像を観覧する。

f:id:pigmonm:20190421020605j:plain:w240f:id:pigmonm:20190421020554j:plain:w360f:id:pigmonm:20190421191326j:plain:w360f:id:pigmonm:20190421020615j:plain:w240
七道駅前の、《河口慧海顕彰立像》(1983)。制作は田村務。堺ライオンズクラブの寄贈。かっけ〜。

  • 七道駅からは線路沿いを走り、堺駅まで。朝方写真は撮ったものの、逆光で真っ黒になった駅周辺のいくつかの像を取り直してから、堺駅のサイクルポートに自転車を返却。そのまま、堺駅から関空に向かう。820円。
  • 関空T1のロでおやつと飲み物買ってうろうろしていたら、同じT1の某書店で刊行間もない「キングダム54」が山積みになっていた。Kindle版は5月17日発売なんだよな(紙版と同時発売にしろよ!)。マンガはKindleで、のオレも危うく買ってしまうところだった… おやつを食らって、保安検査場を通過。出発は21ゲートなのですぐ近く。静かなところを探して、持参の文庫本を読みつつ、搭乗開始を待つ。
  • さて、帰りの飛行機は、Jetstar GK210便、関空20:05→21:25成田の予定。例によって、到着機材の遅れで、搭乗開始が20:05頃という…出発がだいぶ遅れ、成田着陸も21:45頃。バス移動で、到着ロビーに出たのは22:00過ぎだった。成田からは、22:25発の終バスで、23:30過ぎには無事に帰宅できたのであった。ち、ちかれた。

おわり/最初に戻る