福岡市美術館 彫刻放浪:福岡市[第1日]
- 福岡市美術館の野外彫刻 美術館リニューアルに伴い、野外彫刻の一部も入れ替えが行われていた。佐藤忠良《若い女》、吾妻兼治郎《無757》が引っ込められていた(佐藤忠良作品は、コレクション展で展示されていたので、観ることができた)。
アンソニー・カロ《驚きの平面》(1974/錆びた鋼、ニス)
木内克《エーゲ海に捧ぐ》(1972/ブロンズ)
堀内正和《三本の直方体 A》(1978/鉄、ウレタン塗料)
エミリオ・グレコ《スケートをする女 No.2》(1971/ブロンズ)
ジャコモ・マンズー《恋人たち》(1977/ブロンズ)
バリー・フラナガン《三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ》(1988/ブロンズ)
李禹煥《関係項》(2004/石、ガラス、鉄)。原作は1968年作。中庭にあり、写真は上方の吹き抜けから撮影。同じ中庭には、都府楼礎石や四重石塔も設置してあった。
- 福岡市美術館 リニューアルオープン記念展「これがわたしたちのコレクション」 リニューアル前の展覧会を観に来た縁もあり?、リニューアルオープン展にもやってきた次第。ただし、特別展にあたる「インカ・ショニバレCBE」展はパスし、コレクション展にあたる「これがわたしたちのコレクション」のみ観覧した。観覧料200円。
コレクションハイライト(近現代美術室A)
モダンアート再訪(近現代美術室A、C、ロビー)
現在の美術(近現代美術室B)
九州をめぐる美術 藤野一友(ギャラリーA)
九州をめぐる美術 吉田博(ギャラリーE)
九州をめぐる美術 九州派(ギャラリーF)
九州をめぐる美術 アジアの仏教美術/九州古陶磁(ギャラリーB、C、D)
美術でつなぐ福岡とアジア(企画展示室)
春の名品展(松永記念館室)
東光院のみほとけ(東光院仏教美術室)
屋外彫刻
といった、分類での展示。古美術からモダンアート、現代美術の名品の数々を観ることができた。ヴォリュームったぷり。オレ的には、一連の「九州をめぐる美術」、藤野一友や九州派の展示がうれしかった。藤野一友は、サンリオSF文庫のディック本の表紙で使われた3作が最初に並んでいて、ちょっとうるうるしてしまう…笑(もちろんディック本の資料として並んでいた)。
- 福岡市博物館の展覧会観覧で、本日の予定は終了。ということで、ホテルに向かう。今回宿泊するのは平和台ホテル荒戸、というビジネスホテル。美術館から歩いて、15分くらい。ここに宿泊するのはたしか2回目かな。途中で、夕食を食べようと思っていたのだが、ここだ、と思っていた食堂がまだ開いていなかった(相変わらずこんなんばっか苦笑)。あとオープンまでまだ30分くらいある。やむなく、別のところで、適当に済ませ、スーパーに立ち寄って、ホテルにチェックインする。部屋は3F。設備は古めで、部屋も狭いが、Wi-Fiもちゃんと入るし、まあまあか。料金にはじゅうぶん見合っているかと。それに、とても静かだった。風呂に浸かり、早々に寝入る。
赤坂→大濠公園 彫刻放浪:福岡市[第1日]
福岡市交通局前の、豊田豊《無限空間'93》(1993/1993.3.2設置)。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。
中央区役所交差点・北西の、安川民畝《風景門》(1990/1990.3.19設置)。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。
飯田覚兵衛屋敷の大銀杏。福岡市の保存樹に指定され、現在、再生治療中。
あいれふ前の、キース・ヘリング《無題》(1994.11.8設置)。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。
あいれふ前の、草間彌生《三つの帽子》(1996)
あいれふ・1Fの、母里聖徳《ドラムマン》(1994)
- 大濠公園周辺 続いて、大濠公園まで歩く。地下鉄空港線の上にある通り沿いの道を歩くが、周辺の企業ビルにパブリックアートの類がいくつかあった。「ガイド」には某社ビル前の高田洋一作品が掲載してあったが、行ってみると、上部が失われ、台座部分だけになっていた。ちょっと残念(写真は省略)。
大手門パインビル(中央区大手門1丁目)の、竹中正基、吉塚隆一《慈極》(1985.4)。冨永朝堂の監修による。
FFG本社ビル・ピロティの、菊竹清文《Double Fantasy Outside-In》(2008)[写真1枚目]と同《Double Fantasy Inside-Out》(2008)
荒戸交差点の、クレメント・ミドモア《スウィング》(1991/1991.3.20設置)。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。
大濠公園能楽堂前の、山脇正邦《母子像》。小野田セメントK.K.の寄贈。セメント像。
大濠公園(スタバの北側)の、原田新八郎《DEMETER》(1975)。このデメテル像は、1975年に新幹線の博多乗り入れを記念して開催された「新幹線博多開通記念・福岡大博覧会」(福岡県・福岡市・西日本新聞社共催)開催に際し、制作されたもの(原田新八郎は他に5基制作している)。大濠公園は、1927年に福岡市が開催した東亜勧業博覧会の跡地を整備し、1929年3月に公園として開園した。もともと博覧会と縁があった場所のようだ。1966年3月には公園の東側で「明日をつくる科学と産業・福岡大博覧会」が開催され、その跡地に福岡市美術館などが整備されている。この1966年の博覧会のときも、原田新八郎は像を6基制作している(そのうちの1基が中比恵公園の《明日を創る人》)。今回は観に行けなかったが、1975年の博覧会の際に制作された原田新八郎作品が、他に室見団地入口に残されている。それが《SANTOL and EROS》(ケンタウロスとエロス)(「ガイド」他)で、他に参考に挙げた「原田新八郎氏の年譜」によると、アポロ像もあったようなので、1975年の博覧会の6基はおそらくギリシア神話の神々をテーマにしたもののようだ。
>参考:糸島市 原田新八郎氏の年譜
姪浜→百道 彫刻放浪:福岡市[第1日]
- 今回は福岡市の野外彫刻を探りにいくのである。ちょうど福岡市美術館のリニューアル・オープニング展も開催中なので、これも併せて観てこよう、というのが今回のテーマ。福岡市内の野外彫刻については、主に、下記の参考であげたリンクにある「フクオカパブリックアートガイド」を参照した。他に、それほど数は多くないが、検索などで知ったものや現地でたまたま発見したものなども含まれている。「ガイド」は平成23年度に刊行されたものなので、現在までの間に、すでに撤去されたり、移設されたものも若干あるが、それでも、網羅的に観て回るのには、とても役に立った。
>参考:福岡市 彫刻のあるまちづくり
- 行きは成田空港から飛ぶのだが、最近、成田空港行きのリムジンバスのダイヤが変わった。料金も50円上がって、1000円になった。世知辛い… 変更後のダイヤで困ったのは、始発バスが4:15発から5:20発になり、1時間ちょい遅くなった。これで、成田空港6:00台の飛行機には乗るのが難しくなった。その一方で、成田空港発の終バスが22:25と10分遅くなり、ぎりで終バスに間に合わなかったことが何度もあるオレにとってはちょっとありがたい… まあ、それはさておいて、最寄り5:20発の始発バスで成田空港に向かう。経路も少し変わり、成田空港には全便T3→T2→T1の順に停車することになった。おかげで、1時間かからずに成田空港に到着する。オンタイムより少し早く6:10頃、T3に到着。さっさと保安検査場を通過して、出発ゲートの161付近へ移動。搭乗までは近くのベンチで搭乗まで一寝入り、というのはいつものごとし。本日の飛行機は、Jetstar GK503便、成田7:15→9:15福岡の予定。機中は寝不足で体調が最悪だったが、1時間40分ほどの順調なフライトで、9:00過ぎには福岡空港に着陸。バスで到着ロビーまで移動。予定より少し早く出られた。今回は窓側席だったのだが、いつものように海側からの進入ではなく、反対側からの着陸で、景色がちょっと物足りない。
- 福岡空港 到着ロビーから地下鉄福岡空港駅に向かう途中、地下鉄の通路で最初の彫刻に出会った。「ガイド」にも掲載の作品なのだが、予習では空港のどこにあるのかさっぱりわからなかったので、偶然、出会ったのはありがたかった。
望月菊麿《輝樹(喚起装置)》(1984-1993/1993.9.9設置)。福岡空港から地下鉄駅に向かう通路の途中に設置されていた。福岡博多東ライオンズクラブが結成25周年を記念して寄贈。
地下鉄姪浜駅南口広場の、吉水浩《Dragon King Rabbits》(2001.3.20設置)。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。姪浜の港に伝わる龍王うさぎをモチーフに制作したものだとか。
- 百道 地下鉄で、姪浜→藤崎と移動。藤崎で下車するのは初めて。駅近くの千眼寺にちょっと立ち寄ってから、海方向に歩く(しまった、周辺にいくつかある元寇防塁を見学するのを忘れた!)。シーサイドももち、と呼ばれているエリアの野外彫刻を西から東に徒歩で探って回った。福岡市博物館は何度も訪ねているし、福岡タワー周辺も多少観光しているが、網羅的に探って回るのは今回が初めて。
よかトピア通り・百道交差点南東の百道1号緑地/浜の広場。百道周辺の緑地には、モニュメントが設置されていた。
赤堀光信《海生風》。ニュータウン「シーサイドももち」のシンボルとして設置されたものとのこと。
百道中央公園(南西)の、マルシアル・ギョー=ドゥ=シュドゥイロー《記憶する箱》(1992.11)。ボルドー市との姉妹都市締結10周年を記念して作者より寄贈されたもの。1枚目の写真が全体を写したものだが、周囲の植栽で、よくわからない…
百道中央公園(北東)の、菊竹清文《ウォーターランド》(1989)。光、風、人の動き等によって彫刻と噴水がいろいろな模様をおりなす、と銘板にはあったが、現況では、動いていない…
何度か掲載しているが、福岡市博物館のブルーデル。順に、《雄弁》(1918-22)、《力》(1918-22)、《勝利》(1918-22)、《自由》(1918-22)。博物館のエントランスを真ん中に、左側に《雄弁》《力》、右側に《勝利》《自由》が設置されている。もともとの4像は、アルゼンチン建国の父、アルヴェアル将軍記念碑の一部で、将軍の大騎馬像の乗った台座の四方を取り囲んでいる。
福岡市総合図書館前の、加藤昭男《森の詩》(1996/1996.3.29設置)。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。
サザエさん通り・福岡市総合図書館横の、流政之《BURUDON》(1989)。個人の寄贈。
サザエさん通りのサイン。福岡のサザエさん通りは、地下鉄西新駅近くの脇山口交差点からシーサイドももち海浜公園入口までの約1.6kmの通りで、道沿いに記念碑や「サザエさん」にちなんだサインや像などが設置されている。2012年5月27日に命名された。
RKB毎日放送前の、清水九兵衛《向波容》(1996)。カッケェー笑
エアロギャラリー「デューン」の、崔在銀《ノスタルジア・オブ・サーキュレーション》(1996)。エアロギャラリー「デューン」はシーサイドももち・センターステージにあるスカイデッキ/遊歩道で、名前のように砂の池のまわりに遊歩道が設えられている。
エアロギャラリー「デューン」の、ジャン・フランソワ・ブラン《ナイトシーン》。暗くなると、灯りが入るのかな?
エアロギャラリー「デューン」の、申明銀《Poodle》(1996)
エアロギャラリー「デューン」の、椿昇《Ultra Find》(1996)。反射板による構築物。
エアロギャラリー「デューン」の植え込み。
福岡市医師会・玄関付近の、井原理安《風 波 未来》。福岡市医師会100周年記念のモニュメント。
ふれあい橋の、バリー・フラナガン《ミラー・ニジンスキー》(1992/1993.3.31設置)。ニジンスキーのように躍るウサギ。ふれあい橋の西詰(写真1、2枚目)と東詰(3枚目。後ろに見えるのがヤフードーム)に1基ずつ、合計2基設置されている。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。
ふれあい橋西詰め近くの、百道浜3号緑地・入り江の広場。
地行中央公園(西側)の、ニキ・ド・サンファール《大きな愛の鳥》(1993/1993.12.22設置)。福岡市の彫刻のあるまちづくり事業による設置。
地行中央公園(東側の円形広場)の、ドリュバ・ミストリー《木の精》。作者は1957年インド出身の彫刻家で、1981年以降はイギリスで活動。
地行中央公園(東側の円形広場付近)の、外尾悦郎《松の実》(1993)
丸山公園 彫刻放浪:上諏訪→岡谷→駒ヶ根→飯田→丸山公園[第2日]
- JR飯田駅9:43発の上諏訪行きに乗車。20分ほどで、丸山公園最寄りの下平駅に到着。途中の駅で、保育士に引率された小さな子どもたちのグループがホームに座って、発車する電車にさかんに手を振っていた。さて、下平駅からは歩き。2km弱の道のりを30分かけて歩く。丘の上の公園まで上りが続く。
- 丸山公園の野外彫刻 南側の平和の丘(広島市や長崎市から寄贈された種子による被爆2世の樹木がいくつか植えられている芝生広場)と、北側の遊具が設置された児童公園、駐車場などからなる公園。野外彫刻は平和の丘に7基設置されていた。1992〜95年に設置されたようだ。「平和の丘」のためか、女性像が多い(深井隆作品以外は、みな広義の女性像だ)。公園内に設置されているベンチを移動しながら、あるいは、芝生の上に座って、のんびりと観覧できた。いい時間を過ごすせたなと。
吉野毅《懐(かい)》(1994)
細川宗英《王妃》(1992)
藤森民雄《鳥の詩》(1993)
松田光司《如心》(1993)
深井隆《風のうたを聞いた》(1995)
加藤可奈衛《風韻》(1994)
山本正道《樹と少女 '95》(1995)
丸山公園のベンチ
平和の丘には、高森町の町木、キンモクセイも植えられていた。
- 何回も行ったり来たりして、ようやく彫刻の観覧を終えた後、近くの道の駅みたいなところへ行ってみた。予習では、ここに食堂があるようなので、昼メシでも食べてから下平の駅まで戻ろうかと思っていたのだが、例によって臨時休業(もうどうにかしてくれよ〜笑)。やむなく、今一度公園に戻り、缶コーヒーで、一休み。その後、ぼちぼちと駅まで戻る。帰りは下りなので、20分ほどでたどり着いた。駅にトイレがないので、すぐ近くを走っている国道沿いの量販店まで歩いて、トイレを借りる。量販店で鯛焼きを売っていたので、これを買い、駅の近くにある桜並木(山吹の桜並木、というらしい)まで戻り、花見気分で、鯛焼きを食べた。まだ咲き初めだったが…桜の中に、大きな石灯籠3基と明治頃の碑がいくつか建っていた。
山吹の桜並木。
- JR下平13:23発の茅野行きに乗車。帰路に着いたわけだが、これから延々と電車に乗り続ける。16:12にようよう茅野に到着。乗り換えまでに時間があるので、駅の周辺を探る。16:45発の小淵沢行きに乗車。以下、茅野→17:07小淵沢17:24→19:39高尾と乗り継ぎ、高尾で19:40発の中央線快速に乗り換えたのだが、ここまできたら途中下車しても、電車の本数が多いのでいいやと、三鷹で下車し、夕飯などを食らってしまう。あとは東京駅経由で、22:00過ぎに無事に帰宅したのであった。電車、飽きたし、疲れたわ〜。
JR茅野駅西口・自転車置き場の、矢崎虎夫《調和》。東口にも清水多嘉示《飛躍》があったのだが、真っ黒な写真しか撮れなかったので、掲載はまた今度ね。
おわり/はじめに戻る
飯田 彫刻放浪:上諏訪→岡谷→駒ヶ根→飯田→丸山公園[第2日]
- 6:00過ぎに起床。身仕度をして、6:45頃、1Fの食堂に朝ご飯を食べに行く。おかずの種類も多く、どれもなかなか美味だった。一度部屋に戻り、一息ついて、今日のスケジュールをさらってから、8:00頃、チェックアウト。
- ホテルから近いので、まず飯田市美術博物館へ行っている。と言っても、時間の都合で、今回は展示などは観られない。本館の他に、日夏耿之介記念館や柳田国男館などの別館もあり、見学したいところだが、やむなし。またの機会とする。安富桜というエドヒガンの大木が花を咲かせていた。六分咲きぐらいかな。
飯田市美術博物館前の、長姫のエドヒガン(安富桜)。飯田城主堀氏の家老、安富氏の邸址近くにあったことから、俗に「安富桜」と呼ばれている。長野県天然記念物。樹齢推定400年。
- 続いて、りんご並木→中央公園と歩いて、そのまま、線路を越えて、飯田文化会館・飯田人形劇場前まで歩く。ここに山本正道作品がある。文化会館の前に、研修を受けるためか、新社会人らしきスーツ姿の若い人が固まっていた。駅まで戻り、最後に駅前の、やはり山本正道作品を観覧。
りんご並木/通り町1・2丁目交差点の、倉澤興世《夢と希望の像》(1977.4.24設置)。飯田ライオンズクラブ、飯田長姫ライオンズクラブによる。
並木通り/飯田市公民館前の、人形とけい塔「ハミングパル」(2018.8設置)。初代のとけい塔(1988年)の老朽化にともない、新しく作り替えられた。上演時間になると人形劇が自動上演されるらしい。
並木通りの桜
飯田文化会館前の、山本正道《ふたり仲よし》(2000.3)
飯田の消火栓
JR飯田駅前の、山本正道《りんごを持つ少女》(2000.7)
駒ヶ根 彫刻放浪:上諏訪→岡谷→駒ヶ根→飯田→丸山公園[第1日]
- JR岡谷15:46発の飯田線豊橋行きに乗車。窓外の景色を見たり、うとうとしていたのだが、なんだか電車に乗っているの、飽きた笑 この列車で、今日泊まる飯田まで行くつもりだったのだが、もうしばらく明るそうなので、明日行く予定にしていた駒ヶ根で途中下車することにした。16:51、駒ヶ根に到着。
- 予習では、JR駒ヶ根駅前に、野外彫刻(中村喜平《あこがれ》)とモニュメントがあるようだったが、行ってみると、駅前は再整備工事の真っ最中で、野外彫刻もモニュメントも確認できなかった。うむ、残念。公共空間に設置してある野外彫刻を観る、というのがテーマなわけだけど、日本の公共空間って、いつもどこかしら普請中だよな。と文句の一つも言いたくなる。
広小路仲町交差点南西にある小公園の、中村喜平作の女性像。銘板が見当たらず、タイトルなどは不詳。小さめのブロンズ像。中村喜平(1913-1996)は長野県伊那市出身の彫刻家。駒ヶ根市に長く在住。独学で彫刻を学び、日展などで活動。
駒ヶ根総合文化センター前の、中村喜平《慈愛》(1975/2001.1設置)。駒ヶ根市出身・東京都在住の個人の寄贈。
駒ヶ根総合文化センター中庭の、瀬戸団治《いつくしみ》(1970.11設置)
すずらん公園の女神像とすずらんのモニュメント。以下掲載の諸像はすずらん公園内に設置されているもの。
北村西望《平和と文化の像》(1968/1989.7.1設置)。西望1968年作の《平和の女神》(立像)を、駒ヶ根市が平和と文化の象徴として設置。
本郷新《嵐の中の母子像》(1990.8.6設置)。オリジナルのマケットか、あるいは、スケールダウンした小品。台座裏に「核兵器の全廃 ヒロシマ・ナガサキを忘れるな 1990年8月6日」とある。個人の寄贈。
本郷新《わだつみのこえ》(1990.7.1設置)。これもオリジナルのマケットか、あるいは、スケールダウンした小品。台座裏に「平和都市宣言をされた文化都市・駒ヶ根市に世界恒久平和を希い心をこめてこの像を贈る 1990年7月1日」とある。個人の寄贈。
《友好 平和 飛躍》(2001.8.24設置)。タイトル板に「駒ヶ根市・磐田市・二本松市・ポカラ市 友好の証として 2001.8.24」とある。制作は中村喜平。
中村喜平《清楚》(1964)
雷鳥のモニュメント。
河野新《少年》(1989.7.1設置)。赤中31会の寄贈。
- JR駒ヶ根17:52発の飯田線・豊橋行きに乗車。ここからも長かった。暗くなって、窓外の景色が見えなくなると、ことさら長く感じる。うへっ。完全に乗り鉄失格だよな。19:13、飯田に到着。今日、泊まるホテルが少し駅から離れているので、歩き出す前に地図を確認。暗いと方向がすぐにわからなくなるので、交差点を確認しながら、慎重に進む。で、ちゃんと地元のスーパー見つけて、買い物してから、ホテルにチェックインしたのであった。よしよし。本日、泊まったのは、ホテルオオハシイイダというビジネスホテル(別館)。部屋は狭かったが、リニューアルしたばかりで、きれいではあった。設備など、大きな難はなかったけれど、枕元に照明のスイッチと電源がなかったのはちょっと残念。風呂に浸かり、早々に寝る。
駒ヶ根からはこの電車に乗った。
岡谷 彫刻放浪:上諏訪→岡谷→駒ヶ根→飯田→丸山公園[第1日]
岡谷湖畔公園にて
- JR上諏訪から、13:13発松本行きに乗車。13:22、岡谷に到着。まず駅構内にある和泉清作品を観覧。その後、岡谷駅北口の駐輪場で、自転車を借り出す(岡谷駅前レンタサイクル)。500円/日。自転車はそれほど真新しいものではなかったが、整備が行き届いていて、とても乗りやすかった。まず、岡谷市役所と蚕糸公園へ向かう。10分ほど。
岡谷駅構内の、和泉清《おんな》。あまり大きくないブロンズの裸婦像。解説板によると、「平和のナイスミディ」像とも。塩嶺トンネル開通と駅前事業完成を記念して建立されたとのこと。塩嶺トンネルの開通が1983年なので、その頃の作・設置だろう。像容は岡谷の発展を支えた製糸女工が平和を願っている姿を彫ったものだとか。うしろに組まれた手には生糸が握られているそうだが、よくわからなかった。それにしても、ナイスミディって…
- 岡谷市役所の周辺
市役所前の青年像。制作は武井直也。台座に「かつてここに竜上高校ありき」と。長野県岡谷竜上高等学校は1957年4月1日開校し、1981年3月31日に閉校になった。作者の武井直也(1893-1940)は長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)出身の彫刻家。1924-27年、フランスに留学し、ブールデルに学ぶ。1936年には日本彫刻家協会を結成し、そのリーダーとなったが、47歳で腸チフスのために急逝。
市役所前の、清水多嘉示《のびゆく》(1987.2設置)。岡谷ライオンズクラブの寄贈。
- 蚕糸公園
清水多嘉示《母子像》
武井直也《風》
- 岡谷湖畔公園 市役所とその近くの蚕糸公園を回って、続いて、岡谷湖畔公園を目指す。10分強で到着。天竜川の源流である釜口水門を挟んで、北側と南側に諏訪湖の沿岸に沿って細長く延びる公園で、野外彫刻は主に北側に設置されていた。
釜口水門。ここから天竜川の流れが始まる。
希望の広場の、モニュメント「希望」。作者などは不詳。
立川義明《姉・弟》(1994/1994.6.9設置)。台座正面に、タイトル板とは別に「永遠に女性なるもの我等を引きゆく 「ファウスト」より」とある。皇太子殿下ご成婚記念。
武井直也《まどろみ》
細川宗英《王と王妃》(1971)。個人の寄贈。
大和作内《春日》(1967/1974.6設置)。個人の寄贈。
《小口太郎像》(1988.10設置)。小口太郎顕彰碑建立実行委員会による。像の制作は田畑一。小口太郎(1897-1924)は長野県岡谷市出身の科学者、歌人。「有線及び無線多重電信電話法」の発明と「琵琶湖周航の歌」の作詞で有名。この小口太郎像は、「小口小太郎顕彰碑」、「琵琶湖周航の歌」歌碑とともに、南側の公園に設置されていた。