駒ヶ根 彫刻放浪:上諏訪→岡谷→駒ヶ根→飯田→丸山公園[第1日]
- JR岡谷15:46発の飯田線豊橋行きに乗車。窓外の景色を見たり、うとうとしていたのだが、なんだか電車に乗っているの、飽きた笑 この列車で、今日泊まる飯田まで行くつもりだったのだが、もうしばらく明るそうなので、明日行く予定にしていた駒ヶ根で途中下車することにした。16:51、駒ヶ根に到着。
- 予習では、JR駒ヶ根駅前に、野外彫刻(中村喜平《あこがれ》)とモニュメントがあるようだったが、行ってみると、駅前は再整備工事の真っ最中で、野外彫刻もモニュメントも確認できなかった。うむ、残念。公共空間に設置してある野外彫刻を観る、というのがテーマなわけだけど、日本の公共空間って、いつもどこかしら普請中だよな。と文句の一つも言いたくなる。
広小路仲町交差点南西にある小公園の、中村喜平作の女性像。銘板が見当たらず、タイトルなどは不詳。小さめのブロンズ像。中村喜平(1913-1996)は長野県伊那市出身の彫刻家。駒ヶ根市に長く在住。独学で彫刻を学び、日展などで活動。
駒ヶ根総合文化センター前の、中村喜平《慈愛》(1975/2001.1設置)。駒ヶ根市出身・東京都在住の個人の寄贈。
駒ヶ根総合文化センター中庭の、瀬戸団治《いつくしみ》(1970.11設置)
すずらん公園の女神像とすずらんのモニュメント。以下掲載の諸像はすずらん公園内に設置されているもの。
北村西望《平和と文化の像》(1968/1989.7.1設置)。西望1968年作の《平和の女神》(立像)を、駒ヶ根市が平和と文化の象徴として設置。
本郷新《嵐の中の母子像》(1990.8.6設置)。オリジナルのマケットか、あるいは、スケールダウンした小品。台座裏に「核兵器の全廃 ヒロシマ・ナガサキを忘れるな 1990年8月6日」とある。個人の寄贈。
本郷新《わだつみのこえ》(1990.7.1設置)。これもオリジナルのマケットか、あるいは、スケールダウンした小品。台座裏に「平和都市宣言をされた文化都市・駒ヶ根市に世界恒久平和を希い心をこめてこの像を贈る 1990年7月1日」とある。個人の寄贈。
《友好 平和 飛躍》(2001.8.24設置)。タイトル板に「駒ヶ根市・磐田市・二本松市・ポカラ市 友好の証として 2001.8.24」とある。制作は中村喜平。
中村喜平《清楚》(1964)
雷鳥のモニュメント。
河野新《少年》(1989.7.1設置)。赤中31会の寄贈。
- JR駒ヶ根17:52発の飯田線・豊橋行きに乗車。ここからも長かった。暗くなって、窓外の景色が見えなくなると、ことさら長く感じる。うへっ。完全に乗り鉄失格だよな。19:13、飯田に到着。今日、泊まるホテルが少し駅から離れているので、歩き出す前に地図を確認。暗いと方向がすぐにわからなくなるので、交差点を確認しながら、慎重に進む。で、ちゃんと地元のスーパー見つけて、買い物してから、ホテルにチェックインしたのであった。よしよし。本日、泊まったのは、ホテルオオハシイイダというビジネスホテル(別館)。部屋は狭かったが、リニューアルしたばかりで、きれいではあった。設備など、大きな難はなかったけれど、枕元に照明のスイッチと電源がなかったのはちょっと残念。風呂に浸かり、早々に寝る。
駒ヶ根からはこの電車に乗った。
岡谷 彫刻放浪:上諏訪→岡谷→駒ヶ根→飯田→丸山公園[第1日]
岡谷湖畔公園にて
- JR上諏訪から、13:13発松本行きに乗車。13:22、岡谷に到着。まず駅構内にある和泉清作品を観覧。その後、岡谷駅北口の駐輪場で、自転車を借り出す(岡谷駅前レンタサイクル)。500円/日。自転車はそれほど真新しいものではなかったが、整備が行き届いていて、とても乗りやすかった。まず、岡谷市役所と蚕糸公園へ向かう。10分ほど。
岡谷駅構内の、和泉清《おんな》。あまり大きくないブロンズの裸婦像。解説板によると、「平和のナイスミディ」像とも。塩嶺トンネル開通と駅前事業完成を記念して建立されたとのこと。塩嶺トンネルの開通が1983年なので、その頃の作・設置だろう。像容は岡谷の発展を支えた製糸女工が平和を願っている姿を彫ったものだとか。うしろに組まれた手には生糸が握られているそうだが、よくわからなかった。それにしても、ナイスミディって…
- 岡谷市役所の周辺
市役所前の青年像。制作は武井直也。台座に「かつてここに竜上高校ありき」と。長野県岡谷竜上高等学校は1957年4月1日開校し、1981年3月31日に閉校になった。作者の武井直也(1893-1940)は長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)出身の彫刻家。1924-27年、フランスに留学し、ブールデルに学ぶ。1936年には日本彫刻家協会を結成し、そのリーダーとなったが、47歳で腸チフスのために急逝。
市役所前の、清水多嘉示《のびゆく》(1987.2設置)。岡谷ライオンズクラブの寄贈。
- 蚕糸公園
清水多嘉示《母子像》
武井直也《風》
- 岡谷湖畔公園 市役所とその近くの蚕糸公園を回って、続いて、岡谷湖畔公園を目指す。10分強で到着。天竜川の源流である釜口水門を挟んで、北側と南側に諏訪湖の沿岸に沿って細長く延びる公園で、野外彫刻は主に北側に設置されていた。
釜口水門。ここから天竜川の流れが始まる。
希望の広場の、モニュメント「希望」。作者などは不詳。
立川義明《姉・弟》(1994/1994.6.9設置)。台座正面に、タイトル板とは別に「永遠に女性なるもの我等を引きゆく 「ファウスト」より」とある。皇太子殿下ご成婚記念。
武井直也《まどろみ》
細川宗英《王と王妃》(1971)。個人の寄贈。
大和作内《春日》(1967/1974.6設置)。個人の寄贈。
《小口太郎像》(1988.10設置)。小口太郎顕彰碑建立実行委員会による。像の制作は田畑一。小口太郎(1897-1924)は長野県岡谷市出身の科学者、歌人。「有線及び無線多重電信電話法」の発明と「琵琶湖周航の歌」の作詞で有名。この小口太郎像は、「小口小太郎顕彰碑」、「琵琶湖周航の歌」歌碑とともに、南側の公園に設置されていた。
上諏訪 彫刻放浪:上諏訪→岡谷→駒ヶ根→飯田→丸山公園[第1日]
諏訪市湖畔公園にて
- 今回の彫刻放浪のお目当ては、長野県下伊那郡高森町にある丸山公園の野外彫刻である。丸山公園については、野外彫刻を観始めた頃、ネットで偶然知り、いつか行ってみたいと思っていた。まあ、機会がやってくるのを待っていても、それはなかなかやってくるものでもなく、今回、18きっぷ利用で、がんばって笑、行ってみることにした次第。ありがたいことに、旅行に宛てた2日間はいずれも好天で、無事に旅程をこなし、じっくりと野外彫刻を観ることができた。
- さて、出発。まずは最初の目的地の上諏訪に向かう。最寄り駅始発に乗り、以下、新習志野5:11始発→6:32西国分寺6:35各停→7:01高尾7:07始発→8:38甲府8:53始発→10:18上諏訪とJRを乗り継いだ。乗り継ぎは支障なく、スムーズに行ったのだが、寝不足のため、体調がいまいちで、いささか難儀だった。まあ、いつものごとし、ではあるが。甲府の乗り換えの際に、つい出来心で、構内のいろり庵で、天ぷらそばなどを食らってしまった。これで体調がいささかよくなる、というのは、ちょっとかっこわるいか…苦笑 最初の目的地の上諏訪では、予習に基づき、諏訪教育会館前→諏訪市立美術館→諏訪市湖畔公園と徒歩で回った。なお、高島公園にも細川宗英作品が設置されているようだが、今回は行けなかった。次回を期したい。
- 諏訪教育会館/諏訪教育博物館前
立川義明《求心》(1978.9建立)。諏訪教育会館竣工記念。立川義明(1918-)は長野県諏訪市出身の彫刻家。東京美術学校を卒業。戦後は主に日展や日彫展を中心に活動。
- 諏訪市美術館
諏訪市美術館
細川宗英《作品1964L3》(1964)。「装飾古墳」シリーズの一つ。細川宗英(1930-1994)は長野県松本市の彫刻家。東京藝術大学彫刻科で菊池一雄に師事。主に新制作協会で活動、東京藝術大学の教員を務めた。諏訪市美術館に細川宗英作品のコレクションがあり、常設展示されている。
- 諏訪市湖畔公園 もともとは、諏訪湖を浄化された埋立事業の一環として、(株)諏訪精工舎(現・セイコーエプソン(株))によって計画・施工された公園で、1986年に諏訪市に寄贈された。今回は、南側の石彫公園から北側の諏訪湖間欠泉センターへと野外彫刻やモニュメントなどを観て歩いた。天気はよかったのだが、空気は冷たく、少し風があって寒かった。
諏訪市湖畔公園・石彫公園 1978年9〜10月開催(11月1日に完結式)の「諏訪湖国際彫刻シンポジウム」で制作された作品、10組(基ではない)が設置/展示してある。地元の石材で制作された彫刻だけではなく、約1haの広場自体が霧ヶ峰高原の車山、カボッチョ付近を写したもので、景観を含めた全体が一つの作品となっている、とのこと。参考:「諏訪市報」347号(諏訪市役所・1978.11.1)[PDF]
彫刻広場の石彫作品の数々。シンポジウムには7カ国21人の彫刻家が参加した。
諏訪湖国際彫刻シンポジウム・参加者
【日本】高橋朗 岡本敦生 越孝夫 田辺武 中井延也 登坂秀雄 横沢英一 北沢宏人 片桐宏典 秋山礼己 高島文彦 小池光典 永倉充博 【オーストリア】フランツ・カッツグラバー マティアス・ヒッツ 【西ドイツ】エルマー・ダウハー 【オランダ】ジェラード・ハウエル 【ルーマニア】ジョージ・アポスト 【アメリカ】テリー・ジェイ・ディナン ポール・アッシェンバッハ 【ベルギー】ドミニク・ストゥーバント
彫刻広場の南側には、ブロンズの、羊の群れと羊飼い、牧羊犬の像が設置されている。タイトル板などがなかったので、詳細はわからないが、大和作内によるもののようだ。大和作内(1894-1990)は下諏訪町出身の彫刻家。主に三軌会で活動。
《八重垣姫像》(1978.5建立)。北原秀治の制作。追記(2021.8.11):制作は矢崎虎夫で、プロンズ像とのこと。酒本幸祐編『矢崎虎夫作品集』(矢崎虎夫作品集刊行会・1985.11)を参照した。
細川宗英《空へ》(1997.9.19設置)。スワロータリークラブによる。姫路にある《鳩と少女》と同じ作品かな?(→ここ)
清水多嘉示《やわらぎ》。台座の後ろに、寄贈などを示す板があったようだが、現在は失われており、詳細は不明。ただ、像の前に「四つのテスト」が設置されているので、諏訪ロータリークラブによるものか。
大和作内《銀盤の力走》(1980)
諏訪湖畔公園のモニュメント。公園の中心部に設置されている。日時計を兼ねているのかな? 周囲に十二支の目盛があった。作者などは不詳。
湖畔公園の北側に、5基の、諏訪の歴史や産業にかかわるモニュメントが設置されていた。解説板はあったが、作者・設置年などは不詳。観た順に南から掲載。
「諏訪大社と万治の石仏」
「諏訪湖の四つ手網漁と泥船」
「製糸業の発展」
「諏訪を治める高島城」
「精密機械の時代」
大和作内《はぐくみ》(1964/1966.11.3設置)。株式会社諏訪精工舎の寄贈。
- ホテル紅や
清水多嘉示《伸びゆく》
福島 彫刻放浪:郡山→福島[第2日]
- 彫刻放浪:福島編(1) 福島市は市制80周年を記念して、昭和62年(1987)度から平成5年(1993)度にかけて、「彫刻のあるまちづくり」事業として、市内に22基の彫刻を設置している。今日は、まずこのうちのJR福島駅から徒歩圏内にある彫刻を観て回り、その足で福島県立美術館まで歩いて行くことにする。7:30過ぎにホテルをチェックアウトして、駅前通りを東に進む。パセオ通りを越えると、通りの名はレンガ通りと名を変える。そのレンガ通りを少し進んだところにある彫刻などを観覧し、道を引き返して、パセオ通りまで戻る。続いて、パセオ通りを北に進み、万世通りに突き当たったところで、東に曲がり、新浜公園などを回る。たいした道のりではないが、これで10数基の野外彫刻を観ることができる。
>参考:福島市 彫刻のあるまちづくり 彫刻案内MAP(PDF)
駅前通り・メディアシティエスタビル南側の、舟越保武《春》(エスキース)(1990.3設置)※ 以下、福島市の彫刻のあるまちづくり事業で設置された彫刻については※印をつけた。
駅前通り・アックス南側の、藁谷収《起伏のある形》(1988.3設置)※
レンガ通り・日本銀行福島支店南側の、山本正道《思い出》(1992.3設置)※
レンガ通り・東邦スクエアビル北側の、「古関裕而生誕の地記念碑」。記念碑のレリーフは、太田良平の作。レンガ通り道路整備の完成を記念して、1998年5月に設置。
パセオ通り・リードパセオ東側の、中野滋《風の花束》(1988.3設置)※
パセオ通り・常陽銀行福島支店西側の、西山勇三《霽れ》(1988.3設置)※
パセオ通り・みずほ銀行福島支店東側の、白沢菊夫《すわるふたり》(1986.4設置)※
パセオ通り・しおや眼科東側の、柳原義達《道標・鳩》(1989.3設置)※
パセオ通り・第6清水ビル東側の、津田裕子《若い日》(1989.3設置)※
パセオ通り・東邦リース西側の、三坂耿一郎《遊ぶ》(1989.3設置)※ 東邦銀行の寄贈。
信夫通り・福嶋信用金庫本店西側の、佐藤義重《AIKOの丘》(1986)※昭和62年度 福島信用金庫の寄贈。
県庁通り・福島市中央駐車場西側の、細井良雄《大地に生きる人・マミー》(1988/1989.3設置)※
新浜公園の、西山勇三《紫野》(1994.4)※ 福島ライオンズクラブ創立35周年記念。
新浜公園の、《夢 大望の像》(2001.4建立)。福島中央ライオンズクラブ結成35周年記念事業。作者は不詳。
井上武吉《MY SKY HOLE 89-2》(1989) これが今回の旅行の隠れお目当て。表面に傷が多く、外界の映り込みがあまり良くなかった…
フェルナン・レジェ《歩く花》(1952-53/寄託作品)
美術館・1F・エントランスロビーの、マリノ・マリーニ《騎手》(1956-57)。館内では、他に、常設展示室のある2Fの回廊に、林範親《路地裏》(1994)、佐藤忠良《若い女・シャツ》(1982)、エミリオ・グレコ《スケートをする女》(1951)が設置してあった。
神野忠和《香を聞く》(1984.7建立)。福島市が県北美術家連盟の協力により設置。これは予習では漏れていた作品。美術館前の通りが飯坂線の線路に突き当たるところにある小緑地に設置。美術館からバス停まで歩く途中で見つけた。福島市の彫刻のあるまちづくり以前の設置。他にも、まちづくり事業以前/以外の野外彫刻が町中にひっそりと佇んでいるに違いない。
- 彫刻放浪:福島編(2) 自転車編 美術館前バス停11:39発のももりん・1コースで福島駅前まで戻る。バスは15分近く遅れてやってきた。100円。バス停でも風が強く、寒くて待ちくたびれた。5分強で福島駅前に到着。風が強いので、どうしようかとも思ったのだが、まあ、予定どおり、駅前で自転車を借りだして、駅から少し離れた野外彫刻を観て回ることにした。駅の駐車場近くで、ももりんレンタサイクルを借りる。簡単な書類を記入し、身分証で情報を確認し、すぐに貸し出してくれた。無料。まず、JRの線路沿いを少し南下したところ、荒川にかかるあづま橋に向かう。すぐに着いたが、橋の上はおそろしく風が強く、彫刻を観ているどころではない。ようよう写真を撮って、彫刻のまわりをぐるっと1周りして観覧する。そんなオレのの横を、年寄りの夫婦が手をつなぎ、風に飛ばされないように腰を低くくして、通りすぎる。かと思えば、反対方向からは女子高生の自転車が飛ぶように走り抜けていく。当初はこのまま南下して、阿武隈川にかかる蓬莱橋まで行くつもりでいたのだが、ちょっと無理みたい、なので、少し予定を変えて、次は西の国体記念体育館に行くことにした。20分ほど、走り、なんとか到着。ここで、彫刻を観覧し、トイレを借りて、駅まで戻る。帰りは追い風で、あっという間に駅前に到着。そのまま、県庁前まで行き、平和記念像と河野広中像を観覧して、今回の彫刻放浪を終りとした。
あづま橋上の、橋本堅太郎《流光》(1988.3設置)※ 橋上の3基の裸婦像。飛ばされないようにしているので精一杯で、見惚れている場合ではなかった笑
あづま橋上の、土田副正《光の中に》(1988.3設置)※
あづま橋上の、佐々木直哉《MIKU》(1988.3設置)※
福島市国体記念体育館前の、藤巻秀正《大空へ》(1994.3設置)※ 国体記念体育館の中庭に、もう1基、同じ藤巻秀正の《家路》があるのだが、彫刻が見える場所で(中庭には出られない)、バレーボール部かなにかの女子高生たちがちょうど輪になってミーティングしており、しかも、その様子がかなりシリアスで、とても中に割り込んで、彫刻を観るどころではなかった笑 そんなわけで、《家路》は遠望したのみ。ここまで来る苦労を考えると、かなり残念笑
福島県庁前の、《平和の像》(1952.5.3設置)。福島県、福島県教育委員会、福島民報社による。作者は不詳。追記(2020.1.31):作者は、福島県伊達郡梁川町(現・伊達市)出身の彫刻家、太田良平(1913-1997)。
福島県議会前の、《磐州河野広中像》(1981/1981.11建立)。太田良平の制作。河野磐州翁銅像建設委員会による。
- ラムレーズン味。郡山の1番線ホームのニューデイズで、ラムレーズン味のブラックサンダーを売っていた…1袋しか買わなかったけど、箱買いするべきだったかも笑 などと考えつつ(ウソ)、列車を乗り継いで、帰ってきたのであった。乗り継ぎはこんな感じ。福島15:04→15:52郡山16:27→17:06新白河17:10→17:33黒磯17:44→18:36宇都宮18:41→20:10上野。上野から最寄りまでは適当に乗り継いだ。
おわり/最初に戻る
郡山 彫刻放浪:郡山→福島[第1日]
- 今回の彫刻放浪は、郡山と福島である。昨年の夏に行く予定を立てていたのだが、台風襲来と重なり、キャンセルせざるおえなかった。今回は、その再戦である。ちょうど福島県立美術館で「伊藤若冲展」が始まったところで、併せてこれも観てくることとした。混んでるかな? 天気は、両日とも晴天ではあったが、風が強く、特に2日目の自転車でうろうろした時には酷い目に遭った。とはいっても、だいたいの予定はこなすことができ、まあまあ楽しい旅であった(予定はこなしたが、予定以外の彫刻が他にもあり、しかも、すぐ近くを通ったのに気づかなかったことがわかり、ちょっと悄然…まあ、また行くさ苦笑)。
- 彫刻放浪:郡山編 郡山は何度か来たことがあるが、乗り換えに際し、小一時間ほど駅周辺をうろうろしたとか、ホテルが格安だったので、夜遅くに来て、1泊したとかで、本格的に歩き回ったことはない。今回が初めて、みたいなものである。事前調査では、郡山出身(つまり「郷土」)の彫刻家、三坂耿一郎と佐藤静司の作品が多く設置されていることがわかった。中でも三坂耿一郎作品は特に目だった。場所はJR郡山駅を起点に、JR郡山駅東口→北口/西口→本町緑地→中町緑地/郡山消防署→文化通り/けんしん郡山文化センター→池ノ台緑地→荒池公園→麓山公園/21世紀記念公園 麓山の杜→こおりやま文学の森/郡山総合体育館/開成山公園→芳山公園/安積国造神社と、歩いて回った(一部でバスに乗った)。予習で場所がわれていた作品のうち、駅から遠いいくつかの作品にたどり着けなかったのはちょっと残念かも。
- JR郡山駅東口広場
[
三坂耿一郎《或るロマン》 。台座にはタイトル板(作品名と「日本芸術院会員 三坂耿一郎作」とある。どの像も律儀に肩書きつきだった笑)のみで、設置年や設置経緯がわかるような情報はなかった。市内の公園などの公共空間に設置されている野外彫刻は、行政(市)による設置だと思われるが、この像の場合と同様、設置経緯にかかわる情報がなく、詳しくはわからなかった。公園などの整備した際に設置されたか、彫刻のある町づくりのような公共事業で設置されたとは思うが… 三坂耿一郎(1908-1995)は福島県郡山市出身の彫刻家。東京美術学校彫刻科で朝倉文夫、北村西望、建畠大夢らに師事。東京美術学校研究科修了後は、清水多嘉示に師事する。主に官展-日展で活動。
同じ広場に「高校三年生」歌碑もあった(2003.4.13)。「高校三年生」歌碑建設実行委員会による。「高校三年生」は、丘灯至夫作詞、遠藤実作曲、舟木一夫歌唱による、1963年大ヒットの青春歌謡の金字塔! 作詞の丘灯至夫(おか・としお、1917-2009)が福島県小野町の出身で、郡山で青春期を過ごしたとのこと。そのゆかりもあり、丘灯至夫の業績顕彰と「高校三年生」が国民の愛唱歌として歌い継がれることを祈念して、この顕彰碑が建立されたとのこと(説明板による)。で、この顕彰碑のデザインを担当したのが、三坂制なので、ここに掲載した次第。ここのところ、ちょっと気になっている彫刻家の三坂制だが、彼は三坂耿一郎の子息だったりする。逆光で、碑の歌詞が全然見えないのが残念…でもないか(失礼)。
佐藤義重、他《建設》(1942)。女神を中心に人々が植樹する様子が描かれたレリーフ。佐藤義重他8名が、東京美術学校彫刻科塑像部を卒業する記念に共同制作した作品。1951年郡山駅の戦災復興時に寄贈され、その後、1980年12月東北新幹線郡山駅舎改築の際に、社団法人郡山青年会議所により修復されたもの(説明板による)。現在は、東西自由通路の西口側、鉄道警察の近くの壁面に設置されている。
- JR郡山駅西口周辺
北口ペデストリアンデッキ上の、佐藤静司《抱きしめる》。佐藤静司(1915-)は福島県郡山市出身の彫刻家。はじめ同郷の木彫家、三木宋策に、戦後は澤田政廣に師事し、木彫を学んだ。主に日展で活動。ということで、三坂耿一郎と並んで、郡山各所に多くの彫刻が設置されている。
フロンティア通り入口(駅寄り)付近の、北村西望《将軍の孫(小)》。《将軍の孫》は、いろいろなところに設置されているが、小バージョンが野外に設置されているのは、初めて観た(と、前回も書いた)。
フロンティア通り入口(駅寄り)付近の、佐藤静司《街》
- 本町緑地
三坂耿一郎《チュールの少女》(1977)
- 郡山消防署
佐藤静司《愛の光》(1996/1999.3設置)。消防庁舎竣工記念。
- 文化通りとケンシン郡山文化センター(郡山市民文化センター)
文化通りの、三坂耿一郎《賢者への告知》
文化通りの、三坂耿一郎《猫》(1977.4)。猫を頬ずりして、嫌われている!?ところらしい笑
文化通りの、三坂耿一郎《無題》
ケンシン郡山文化センター前の、三坂耿一郎《翔》(1984.9)。
ケンシン郡山文化センター前の、三坂耿一郎《翔》。上と同じタイトル。これが今日観た三坂作品では、オレ的ベストワン。ワン。
ケンシン郡山文化センター・エントランスロビーの、佐藤静司《若い譜》(1974)。木彫。文化センターにはもう1基、《若い譜》の後ろに見える階段にあがったところから見える中庭に、佐藤静司《母と子》が設置されている。ガラス越しに観覧できたが、写真はなし。
もう一つ、ゆるキャラを。郡山市イメージキャラクターの「がくとくん」。がくとは「楽都」という字を宛てるようだ。バンドもやっているらしい。
- 池ノ台緑地と荒池公園
池ノ台緑地の、三坂耿一郎《抱と抗》(1979)
荒池公園
荒池公園(西側の芝地)の、三坂耿一郎《遊ぶ》。この作品は明日回る福島にも設置されていた。
荒池公園(西側の芝地)の、湯川隆《そよ風に吹かれて》。設置場所の芝地が養生中のため、立入禁止の縄が張ってあり、遠くから眺めることしかできなかった。なので、台座周りはノーチェック。ちょっと残念。
- 麓山公園/21世紀記念公園 麓山の杜
遠藤大介法律事務所前の、象像…
麓山公園の安積疎水麓山の飛瀑
21世紀記念公園 麓山の杜の、長谷川雅也《Inochi 06-1》(2006.4.10設置)。ライオンズクラブ国際協会332-D地区の寄贈。
21世紀記念公園 麓山の杜の、三坂耿一郎《母根っ子の標》
- こおりやま文学の森とその周辺
こおりやま文学の森・久米正雄記念館近くの、《久米正雄先生像》。この胸像は、久米正雄の訃報を聞いた横山隆一が、一晩で作りあげ、仏前に供えた石膏像をもとに制作されたものだとか。
郡山総合体育館前の、《悠久の平和(平和の女神像)》(1953.8.27)。制作は古賀忠雄。株式会社渡久商店の寄贈。当初は郡山駅前の戦後復興事業の完成を記念して、駅前広場中央ロータリーに設置されたが、駅前の再開発のため、ロータリーが撤去された際に、現在地に移設された(説明板による)。
せせらぎのこみち(東端の出入り口付近の広場)の、三坂耿一郎《洞》。今回は訪ねられなかったが、せせらぎのこみちの西端の出入り口付近にも三坂耿一郎作品が設置されている。
- 開成山公園
バラ園の白セメントの裸婦像。バラ園が閉館中で、中に入れなかったので、遠望した。佐藤助雄作とのこと。
五十鈴橋近くの、名久井十九三《美のり》もしくは《友愛》(1984.9.8建立)
安積開拓顕彰モニュメント《開拓者の群像》(1992.10)。郡山市がふるさと創生事業により設置。制作は三坂耿一郎。
モニュメントの左側
中央基部のレリーフ
左側。左から、安積原野開拓に関わった中條政恒(安積原野開拓に尽力。「安積開拓の父」)、大久保利通(殖産興業、士族授産などを目的に安積開拓プロジェクトを推進)、コルネリウス・ファン・ドールン(安積疎水開鑿を行ったお雇い外国人のオランダ人土木技師)の3人と開拓者一家。
モニュメントの上の鳥は郡山市の鳥の「カッコウ」。
芳山公園の、三坂耿一郎《塊》
郡山信用金庫・本店営業部前の、小泉隆一《清水台のオブジェ「水の台座」》(1995)。郡山信用金庫創立70周年記念事業。本来はオブジェの上を水が流れるらしい(故障のお知らせを作品に針金でくくりつけちゃ、ダメよ笑)。
郡山駅入口交差点(南西)の、小泉隆一《歩き出す街》(1995)
郡山国造神社境内の、安積艮斎像《艮斎先生之像》
- JR郡山駅に戻り、16:12発の福島行きに乗車。17:00頃、福島に到着。今日の最後に福島駅東口の駅前広場の野外彫刻/モニュメントを掲載。
「古関裕而 生誕100年記念モニュメント」。福島市名誉市民第1号の、作曲家の古関裕而(1909-1989)が、2009年(平成21)8月に生誕100年を迎えるのに合わせ、その功績と栄誉を讃えるために設置された(説明板による)。古関先生、とってもチャーミング!
《奥の細道(芭蕉と曾良の旅姿立像)》(1989)。制作は原田新八郎。福島商工会議所が奧の細道300年を記念して建立。当初は別の場所に設置されていたようだが(どこ?)、2005年11月に現在地へ移設された(説明板による)。こちらの二人は強面。福島県白河市の白河関の森公園にある芭蕉・曾良像と同じものかな。
横浜 彫刻放浪:横須賀→逗子/葉山→横浜(3)
- 藤沢に行くか、横浜に立ち寄るかで、迷っていたのだが、電車で座れたので、逗子から横浜までそのまま列車で行くことにした。JR横須賀線で30分ほど。電車の中ではうつらうつらと。寝不足が効いてきた。横浜でいったん下車し、駅近くを少し探り、再び電車で関内に移動し、馬車道から県庁、横浜公園、中華街を経て、元町あたりをふらふらとし、一通り目的を果たした後、石川町から帰路についた。さて、今回の、このエリアでのお目当ては、藤原吉志子作品である。
- 横浜周辺の藤原吉志子作品 まず今日観ることができた藤原吉志子作品をまとめて掲載。
藤原吉志子《赤い長靴をはいた猫》(1992)。横浜駅東口駅前広場公衆トイレ(外)に設置。
藤原吉志子《財布をくわえた犬(どうしようかな?)》(1995/1996.2.6設置)。横浜中ユース会議の寄贈。作品集(『藤原吉志子』[ドメス出版・2007.5])掲載の作品リストでは、《コーギー犬の資本主義的慣性について》というタイトルになっている。商工中金横浜ビル(横浜市中区北仲通4-40)前に設置。
元町・谷戸橋公衆トイレ32のスクリーン(1985)。もちろん、男子トイレのみ、ですが… 上が男子トイレ入口上方、下が入ったところの窓についている。
- 馬車道とその他の野外彫刻
街路灯についている「馬車道」名標。
関内ホールの、マルタ・パン《平和 I》(1986)。「平和とは 静かな時と運動からなる絶えざる均衡の追求である マルタ・パン」とあった。
関内ホールの、マルタ・パン《平和 II》(1986)
馬車道・横浜馬車道ビル前の、時計塔、兒玉慎憲《浜の時守》(1988)
馬車道・馬車道スクエアビルの、「日本写真の開祖 写真師・下岡蓮杖顕彰碑」(1987.6設置)。制作は田辺光彰。建立実行委員会による。
馬車道・ルネ横浜馬車道前の、ヴェナンツォ クロチェッティ《CAVALLO》(1975)
横浜第一ビルの、加藤敬將《阿母》(1992)
ここからは、馬車道を離れるが、ニュースパーク/日本新聞博物館前の、《新聞少年の像》(2004.6.5設置)。制作は翁朝盛(複製第1号)。社団法人日本新聞販売協会が創立50周年を記念し、新聞博物館の地に寄贈。
横浜公園の、《リチャード・ヘンリー・ブラントン》(1991)。制作は澄川喜一。R・H・ブラントンは、1968年(明治元)、明治政府の招聘により来日したイギリス人土木技師で、日本沿岸各地に灯台を建設する一方で、滞日中の拠点とした横浜で、日本大通りや横浜公園の設計を行うなど、横浜の近代的なまちづくりに大きな足跡を残した(説明板による)。
横浜元町商店街のウェルカムゲート。「フェニックスアーチ」というらしい。それにしても、元町商店街、防犯カメラがめちゃくちゃ多かったな。
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逗子/葉山 彫刻放浪:横須賀→逗子/葉山→横浜(2)
- JR東逗子駅前広場 行きに横須賀に向かう電車の中から駅前に彫刻があるのを見かけた。18きっぷ利用なので、せっかくだからと東逗子駅で下車して、駅前彫刻を観覧。横須賀線は、まあまあ本数が多いから、東逗子で寄り道できた、ということもある。
岩田実《友情》(2003/白御影石)。2003年10月、JR鎌倉駅東口に設置(2016年9月まで。その間、改札口に4年、駅ビル・エントランスに9年間設置されていた)。駅ビル改修に伴い、2017年3月に現在地に移設。友情をテーマにした少年像だから移設できたんだろうなあ、裸婦像だったら、どうなっていたことやら…。
- JR逗子駅前 ということで、次の横須賀線で、逗子まで。逗子からはバスに乗り換え、美術館に向かう。いい天気の日曜日、ということで、とても人が多い。美術館までだいたい20分ほど。車中で、某現代美術家を見かける(どういうわけか、彼、偶然見かけることが多いのである笑 今までに、大分とか、岡山とか、京都とか…)。彼も美術館へ行くようだ。
永井鐵太郎《延清風》(1995.3設置)。タイトル板に「船であり、帆であり、波頭であり、また緑の山であり、すべて逗子を象徴する。」とあった。
- 神奈川県立近代美術館葉山館の野外彫刻 ※印を付したものは、2016年夏に、閉館した鎌倉館から葉山館に移設された作品。
清水九兵衛《BELT》(1978)※
小田襄《円柱の展開》(1983)
中島幹夫《軌 09》(1966)※
李禹煥《項》(1985)
若林奮《地表面の耐久性について》(1975)
ホセイン・ゴルバ《愛の泉》(1993-1997/2004)
保田春彦《地平の幕舎》(1993)
眞板雅文《天地の恵み》(2003)
富樫一《ハーモニーII》(1972)
西雅秋《イノセンス−火》(1991)※
アントニー・ゴームリー《Insider VII》(1998)※
これは作品じゃなくって…
西雅秋《大地の雌型より》(2003-2005)
山口牧生《棒状の石あるいは Cosmic Nucleus》(1976)※
空充秋《揺藻(ゆれも)》(1985)※
木村賢太郎《作品-55》(1961)※
柳原義達《裸婦 座る》(1958)
「石人」(1966複製)※。古墳時代の6世紀後半の、扁平石人の複製(福岡県・岩戸山古墳出土。オリジナルは、現在、大分県日田市に設置)。
彫刻の他にも、鈴木昭男による《「点音」プレート・葉山》(2012)が3点、設置されていた。写真は海辺近くのもので、木の切り株に腰掛けて、耳を澄ます。波の音、木々のざわめき、あるいは、人々の歓声などが聞こえてきた。
- 神奈川県立近代美術館:企画展「堀内正和展 おもしろ楽しい心と形」、コレクション展「モダンなフォルム」。古い図録のセールをしていて、安かったので、つい散財してしまうなど。荷物になるのに…苦笑
「堀内正和展」展示の一部。
今日は天気がよく、美術館の裏手の海岸から富士山が見えた。いくぶん雲にかくれているけど。