かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

児島(2) 彫刻放浪:児島・岡山・坂出(2)

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  • 倉敷市児島支所 鷲羽山ハイランド遊園地前、13:59発のとこはい号に乗車。15分ほどで、次の目的地、(倉敷市)児島支所バス停に到着。250円SUICA。まずは支所前の野外彫刻を観覧。

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35田中等《再生》(1997/黒御影石、ベンガラ着色)。第4回展。

  • 児島市民交流センターと児島図書館周辺の野外彫刻 支所からぶらぶらと歩いて、次の彫刻のある場所まで移動する。15分ほどか。だいぶ暑くなってきた。

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32鬼塚良昭《なかよし》(1990/黒御影石(ラステン))。第2回展、大賞。児島味野千日前通り広場(児島味野2丁目2-84)に設置。

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33土門邦勝《STRATA》(1990/陶)。第2回展。倉敷市児島図書館前に設置。

  • 児島市民交流センター周辺に1基、児島図書館前に2基、「敏」というサインと制作年と思われる数字の書かれた具象人物像が設置されていた。同一人物の作と思われるが、現在のところ、作者不詳としておく。以下に、写真を掲載しておく。

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児島市民交流センター前の、《青少年に愛の手を》(1970/1970.11.3設置)。児島補導センターによる。


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児島図書館前の、《希望》(1975/1975.10.2設置)。倉敷王子ライオンズクラブの寄贈。

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児島図書館前の、《真理探究》(1975/1975.10.2設置)。倉敷王子ライオンズクラブの寄贈。台座にはタイトルはなかったが、手にした本に「真理探究」とあったので、仮にタイトルとした。


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児島図書館前のロータリーに大型のモニュメントがあった。古橋矢須秀《風》(1976.6.6設置)。児島青年会議所が創立20周年記念事業として寄贈。


つづく

児島(1)と鷲羽山 彫刻放浪:児島・岡山・坂出(1)

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鷲羽山あずまや展望台より


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鷲羽山第二展望台より

  • 今回は、岡山の野外彫刻を探るとともに、併せて、児島に立ち寄り、鷲羽山に登ってきた。岡山へは高松空港からバスで坂出に出て、JRの快速マリンライナーに乗り換えるので、途中下車しようというわけだ。
  • 倉敷市の新市発足(1967年に倉敷市、児島市、玉島市が新設合併)20周年を記念し、1987年から2003年まで、6回にわたり、倉敷まちかどの彫刻展という野外彫刻の公募展が開催され、その入賞作が市内の公共スペースに設置された。倉敷に前回行った際に(→ここ)、JR倉敷やJR新倉敷/旧玉島市周辺の設置作を、主に観覧したのだが、今回はJR児島駅やJR茶屋町周辺の設置作を回ってみることにした。以下、倉敷まちかどの彫刻展の作品については、参考にした下記サイトの作品番号と第何回かを記した(例:第5回展)。

>参考:倉敷まちかどの彫刻展

倉敷まちかどの彫刻展・開催年
第1回(1987)
第2回(1990)
第3回(1994)
第4回(1997)
第5回(2000)
第6回(2003)

  • 行きの飛行機は、Jetstar GK411便、成田7:50→9:15高松の予定。順調なフライトで9:00過ぎには高松空港に着陸、9:10頃、到着ロビーに出た。そのため、予定していたよりも1本早い9:20発の坂出行きのバスに乗ることができた。坂出には50分ほどで、到着。1000円。JR坂出10:24発の快速マリンライナーに乗車。10:39に児島に到着。児島からは下津バスの下津井循環線・とこはい号というバスに乗るのだが、このバスが1時間に1本、児島駅を毎時30分に発車するので、それまでだいぶ時間がある。漫然とバスを待っていても退屈なので、とりあえず駅周辺の野外彫刻の類を探ることにした。
  • 児島駅西口の野外彫刻 児島では、主に倉敷まちかどの野外彫刻展の作品を探るつもりで、事前に調べてもいたのだが、まちかどの彫刻展以外の作品もいくつかあった。意外な作品に出会うと、ちょっとうれしい。

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アキホ タタ《Fantasiaの標》(2000.3設置)。児島ロータリークラブが創立35周年を記念して、寄贈。施工:讃岐石材加工共同組合。


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46上條文穂《土の時代》(2003/テラコッタ)。第6回展。


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山口牧生《平成のふたつ岩》(1991.12設置)。国際ソロプチミスト児島の寄贈。この地に伝わる「太閤のふたつ岩」という民話に基づく作品とのこと。

  • 児島公園(塩田メモリアル公園)とその周辺の野外彫刻 児島駅の西口を出て、まっすぐ歩いて数分ほどの公園。

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34眞板雅文《遠山連想》(1994/泥かぶり石、ステンレススティール)。第3回展、大賞。公園の入り口手前に設置されている。


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飯田善國《彫刻噴水「めぐる時間」》(1991.4設置)。下に水はたまっているものの、稼働はしていなかった。ちょっと残念。国際ソロプチミスト児島の寄贈。


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寺田武弘《瀬戸内の風と波と》(1989)。児島ロータリークラブ創立20周年記念。噴水の北側。これは寺田武弘作品ではないか、と思って、タイトル板を探したら、はたして、その通りだった。

  • 瀬戸大橋架橋記念公園の中岡慎太郎作品 坂出駅11:30発のとこはい号に乗車。15分ほどで、鷲羽山ハイランド遊園地前バス停に到着。210円SUICA。下津バスは交通系IC可。一部廃墟化している区域もあったが、遊園地はなかなか賑わっているようで、ジェットコースターなどの乗り物から歓声が聞こえてくる。道沿いを5分ほど西に歩いたところにある瀬戸大橋架橋記念公園の駐車場にお目当ての彫刻が設置されていた。

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36中岡慎太郎《サウダーデ 郷愁》(2000/黒花崗岩、大理石)。第5回展。もちろん、これが今回最大のお目当て。中岡慎太郎(マイ)ブーム、未だ去らず、なのじゃ笑 「サウダーデ」というタイトルは、すぐ近くに「ブラジリアン」パーク 鷲羽山ハイランドがあるためか(なわけないか笑) 作品は瀬戸大橋架橋記念公園の一番上の方の駐車場に設置。鷲羽山ハイランド遊園地前バス停から少し西に歩いたあたり。


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その、ブラジリアンパーク 鷲羽山ハイランド遊園地

  • 鷲羽山ミニトレッキング 次のとこはい号を待つのもつまらないので、鷲羽山の展望台まで歩くことにした。バスで来た道(県道393・鷲羽山スカイライン)を道なりに少し戻ると、星島二郎という瀬戸大橋架橋に力を尽くした国会議員の銅像が立っていた。顕彰のための肖像彫刻は今回の旅行ではパスするつもりだが、この像だけは、なんでこんなところに立っている?感(まあ、瀬戸大橋の見えるところ、ということなのだが)があるので、下に掲載しておく。もう少し道なりに下っていると、遊歩道のような道があったので、そちらに曲がる。あとで調べたところ、これは「風の道」という遊歩道で、かつて下津井電鉄の線路があったところを遊歩道として整備したものとのこと。もう少し進むと展望台とトイレがあり、ここで一息つく。予習では、鷲羽山へはこのあたりから直接山頂方向へ上る道があるような、ないようなで、よくわからなかったが、すぐ近くの「名曲喫茶 時の回廊」(水曜定休で休みだった。ちょっと入ってみたかったな)の前を通り、山頂方向へ向かうきちんと整備された登山道、というか遊歩道があったので、この道を歩くことにした。10分も上ると、本州側の瀬戸大橋の入り口の真上、あずまや展望台に出た。大迫力の眺望で、なかなか素晴らしい。以下、一本松の展望地点→鷲羽山頂上(鍾秀峰)→第一展望台/ビジターセンター→第二展望台/レストハウスと回る。天気もよく、気持ちのいい風が吹いている。第二展望台のところに大きな駐車場があり、観光客の多くはだいたいここまで自動車で来るようだ。第二展望台前バス停から13:59発のとこはい号に乗車する。

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星島二郎》(1974.6建立)。制作は岡本錦朋。星島二郎先生顕彰会による。


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「風の道」の展望台


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名曲喫茶の少し先に道標があった。案内図なども設置されており、風の道から鷲羽山第二展望台まで無事に歩くことができた。


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あずまや展望台。瀬戸大橋の直前にあるトンネルの真上にある展望台。ここからの大橋の眺めは壮観。今日のクライマックス。


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一本松の展望地点から。鷲羽山上には、何ヶ所か展望ポイントがあり、その一つ。


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鷲羽山山頂(鍾秀峰)とそこからの眺め。登るのはたいへんではないが、オレ的には、ちょっと、こ、わ、い、ところだった笑


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ビジタセンター裏手の、「島一つ」碑。児島の俳人、難波天童の句「島一つ土産に欲しい鷲羽山」を刻んだ句碑。揮毫は三宅素峰。現在の句碑は2代目で、初代は1969年3月建立。1996年に火災で損傷したため、1998年1月再建された。ともに鷲羽ライオンズクラブの寄贈。ビジターセンター周辺が第一展望台。


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下津井節碑(1968建立)。「下津井みなとはよ 入り良て出よてよ」と冒頭部が彫られている。ビジターセンターから少し下ったところに設置。


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第二展望台からの眺め。レストハウスと大きな駐車場があり、ここに第二展望台があった。だいたいの観光客は自動車でここまで来るようだ。


つづく

南千歳・空港公園と新千歳空港 彫刻放浪:札幌→江別[第2日](9)

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  • 江別15:15→15:32白石15:33→16:17千歳→南千歳と乗り継ぐ。1070円。なんでも人が線路に降りたとかで、快速エアポートが大幅に遅れていたので、結局、千歳までは各停に乗ったまま。南千歳でちょうど遅れていた快速エアポートが来たので、これに乗り、次の南千歳で下車した。
  • 空港公園 時間にだいぶ余裕があったので、南千歳駅で下車し、野外彫刻がある空港公園に立ち寄ってみた。

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《「北海」一號機操縦士之像》(2002.10.22建立)。制作者は不詳。酒井飛行士ブロンズ像建立実行委員会による。この地に北海1号機を操縦し、初めて着陸した酒井憲次郎操縦士の肖像彫刻。北海は大正15年(1926)年10月22日に飛来したのだが、その前に酒井飛行士と住民らにより即席の着陸場が作られた。これが新千歳空港の基となったとのこと。酒井飛行士は昭和7年(1932)、飛行中に日本海で遭難し、命をおとした(享年29歳)。


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酒井飛行士像と広場を挟んで反対側にある「北海」1号機のモニュメント。

  • 新千歳空港 南千歳駅前のアウトレットモールをぶらぶらし(あまりお客がいなかった…)、アウトレットモールの無料シャトルバスで新千歳空港に向かう。10分ほど。国内線では降りず、国際線Tまで行く。ここで國松明日香の大作を再訪。

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國松明日香《北の翼》(1992)。江別で國松明日香作品をいくつか観てきたので、新千歳空港のこれも再訪。夕方に来ると、逆光なんだよな。


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伊藤隆道《そよぐ風》。国際線T・2Fに設置。

  • Jetstarのカウンターで、帰りの飛行機が無事に飛ぶことを確認して、適当な夕食を適当に食らい、18:00過ぎに保安検査場Fを通過。帰りの飛行機は、Jetstar GK116便、新千歳20:25→22:00成田の予定。少し早いが、静かなところで、本でも読んで、搭乗開始時間を待とう。と、ふと駐機場の方を見ると、外がなんだか白く濁っている。えっ、霧… 空港Tに入ったときは青空が広がっていたのに… 大丈夫か? 案の定、条件付き運航だの、使用機材の到着が遅れるなどのアナウンスが飛び交っている。新千歳空港ではないが、霧で欠航の憂き目に遭った、あるいは遭いそうにいなったことが何度かあるので、オレの心中、穏やかではない苦笑 飛行機自体は着陸できているようなので、欠航はなさそうだが、アナウンス通り使用機材の到着が遅れ(フライト中の機長挨拶では、前に着陸する予定の飛行機が霧で着陸のやり直しをしたため、到着が遅れたと言っていた)、オレの乗る飛行機は20:00頃、ようよう駐機場にやってきた。出発予定の20:25頃から搭乗が始まり、離陸したのは20:59。フライトはまあまあ順調で、22:02頃、着陸(当初は22:15頃の着陸予定と言っていたが、少し早く到着)。駐機場はT3の近くで、2台目のバスでT3まで移動。22:15頃、到着ロビーに出ることができた。リムジンバスの新ダイヤでは終バスが10分遅くなって22:25発なので、無事に終バスに乗ることができた(この10分遅くなったのが大きい。バス会社、ちゃんと調査したんだな。エライ笑)。ひやひやしたが、まあ、ラッキーだったと言っておこう。23:30過ぎには無事帰宅したのであった。

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江別市旧町村農場と四季のみち、他 彫刻放浪:札幌→江別[第2日](8)

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  • 湯川公園を抜けると、4番通りというやや大きな通りに出た。当初は野幌駅まで同じ道を戻るつもりだったのだが、同じ道を戻るというのが大の苦手で笑、予定を変えて、この通りを石狩川方向(北東方向)に歩いてみることにした。次の目的地は「四季のみち」なのだが、大丈夫、なんとかたどり着けるだろう。と、てくてくと歩き出す。確かに、この道で、四季のみちの冬のゾーンの端(遊歩道の終点)に出ることができたのだが、30分以上かかった。家に帰って、調べてみると、約2.6kmの距離があった。
  • 江別市旧町村農場 4番通り沿いに江別市町村農場があった。これは全然知らなかった。乳牛の改良など牛づくりの先駆者として多大な功績を残した町村敬貴(ひろたか・1882-1969。町村金吾の実兄)の農場を「旧町村農場」として復元・整備し、1996年に一般公開を開始したとのこと。一帯は美しい公園になっている。少し歩き疲れていたのもあり、ここのベンチで一休みした。農場には、町村敬貴の銅像と、ホルスタイン銅像が2基立っていた。今回は、ベンチで一休みして、写真をちょっと撮っただけだったが、もう少しちゃんと見学してくればよかった。

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牧場の一角もタンポポの花。


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《町村敬貴像》(1973.10設置)。制作は峯孝。町村敬貴記念事業之会による顕彰像。当初は月寒道立共進会場に設置されていたが、1996年、現在地に移設された。


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カーネーション ローヤル ヒット パレード》(1975年8月除幕)。制作は峯孝。1959年アメリカのカーネーション牧場から輸入された乳牛で、死去するまでの10年間に日本の乳牛改良に多くの功績を残した。


  • 四季のみち・冬のゾーン 旧町村農場からもう少し歩いたところに、やっと四季のみちの出発点(終点?)を見つけた。四季のみちは、春夏秋冬の4つのゾーンからなる遊歩道で、北電江別火力発電所専用線路跡地を活用したもの。1992年開設された。以前、四季のみちの野外彫刻を観ようと、春と夏の一部を訪ねたが、その後、他にもいくつか彫刻の類があることを知り、今回は4ゾーンを全部歩いてみようと思った次第。冬のゾーンから春のゾーンに向けて、ぼちぼちと歩いて見る。

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終点近くにあるレンガ造りの時計塔(門)、「夢のかけ橋」(1991.11設置)。(社)江別青年会議所が創立20周年記念事業として寄贈。

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山谷圭司《冬のゆりかご》(1992)

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冬のゾーンの道筋

  • 四季のみち・秋のゾーン 秋のゾーンには、ディーゼル機関車をはじめ、江別火力発電所で使われた大型の機械類が解説板とともに設置/展示されており、ちょっとした野外博物館の趣きがあった。あと、道沿いに江別蔦屋書店とかも…

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ディーゼル機関車。江別駅から発電所まで、約2kmの引き込み線を、石炭貨車を引っ張った。他にも、巨大な機械類が展示してあった。


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松隈康夫《環》(1992)。夏のゾーン寄りの入口に設置。遠目に石彫かと思ったら、金属で作られた作品だった。

  • 四季のみち・夏のゾーン このゾーンがいちばん長く、夏らしく水に縁のある遊歩道となっていた。

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夏のゾーンの道筋。秋のゾーン寄りの部分は木道で、その左右が湿地になっていた。ホタルを育てているらしい。小学生のグループが先生に引率されて実習に来ていた。


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江別市立病院に隣接するあたりの道筋。水遊びができるようになっていた。


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黒川晃彦《ワンモア・タイム》(1993)。前回はこれを観に来たのだが、3月のまだまだ雪の多い時期で、雪に埋もれていた。今回はばっちり。


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江別市立病院前の、原田ミドー《生命樹 〈7世代先の人々へ〉》(2002)


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夏のゾーンの道筋。これは春のゾーン側。

  • 四季のみち・春のゾーン

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國松明日香《春風の道》(1993)。夏のゾーン寄りの国道12号線に面した春のゾーンの入口付近に設置。


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春のゾーンの道筋。


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春のゾーンの道筋。JRの線路沿いの入口付近。「音もなく 五月若葉の揺れるやう 心の中をうごく明るさ」と彫られた伊東音次郎(1894-1953)の歌碑が立っていた。


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春のゾーン入口近くにあるぽっぽ公園。ここもタンポポの花に埋め尽くされていた。

  • 江別駅周辺の野外彫刻 江別駅まで歩き、駅周辺の野外彫刻を再訪する。

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江別市水道庁舎前の、佐藤忠良《少女》(1981)。再訪だが、前回は雪で埋もれていた。こうなっていたのかっ笑


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江別駅前公園の、《ふれあいの滝》(1982.9設置)。これまた江別らしくレンガ造りの滝、というか噴水。江別市水道庁舎落成記念に、江別市中心街協議会が寄贈。


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江別市中央公民館前の、國松明日香《風と翼》(1989)。


つづく

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江別市情報図書館と野幌グリーンモールなどの野外彫刻 彫刻放浪:札幌→江別[第2日](7)

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  • 江別は一度野外彫刻の類を探ったことがあるが、野幌で降りたのは初めてのこと。まず、江別市情報図書館を目指し、駅から国道12号線まで歩く。そろそろ昼近く、お腹が空いてきたので、図書館に行く前に、街道沿いで適当な昼食を適当に食べ、それから、改めて図書館に向かう。まっすぐ行けば、駅から図書館まで10分ほどか。

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タイトルなど不詳のモニュメントと図書館の名標


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江別市情報図書館前の、秋山沙走武《陽》(1989)。北門信用金庫の寄贈。北門信用金庫寄贈の具象人物像はこれまでずいぶん観てきたけど、総数はどれくらいあるのだろう?


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江別市情報図書館横の、峯孝《Aqua》(1959/2009設置)。個人の寄贈。これはgmで知った作品。小さめの裸婦像。図書館の横が緑地になっていて、そこに設置されている。峯孝が北海道と縁ができたのは、1944年軍需美術美術推進隊に入り、鶴田吾朗を隊長とする一行のメンバーとして、北海道に渡ったのが初めてようだが(1945年に上砂川の坑夫像「敢闘」を推進隊のメンバーとして共同制作している→ここ)、戦後しばらくすると、多くの峯孝作品が北海道各地に設置されていく。今日も、この後、旧町村牧場で2基の彫刻を観ることができた。


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図書館の北側、野幌末広町公園の動物像。コアラ、パンダ、ゴリラ、カバたち。

  • 野幌グリーモール 野幌グリーンモールは、国道12号線から湯川公園の間、のっぽろ公民館、ガラス工芸館、屯田資料館(旧屯田歩兵第三大隊第二中隊本部)などの施設や緑地を結んだ1km弱の遊歩道で、1995年に開設されたとのこと。遊歩道のところどころに、カリオン、野外彫刻などが設置されている。以下、国道12号線側(南側)から順に掲載。

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江別市の経度、緯度、標高を刻んだピラミッド型の碑。エジプトの大ピラミッドを約1/144の縮尺で制作。江別市らしくレンガ製。1993年6月3日(測量の日)に設置。社団法人北海道測量設計業協会、江別測量設計業協会、道央地区測量業協会、札幌理工学院専門学校の寄贈。


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西山省一《タイムベル》(1993)。


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小石巧《胞》(1994)


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永野光一《潜 sen》(1994)


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西村栄一《ポプラの詩》(1993)


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湯川公園の芝生広場。ここもタンポポの花で覆われていた。


つづく

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北大キャンパス、知事公館庭園、北海道立近代美術館、その他 彫刻放浪:札幌→江別[第2日](6)

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  • 宿が北12条だったので、北大のキャンパスを抜けて行くことにした。その前に、北大病院前の本田明二作品を観に行く。以前、立ち寄った際は、像が設置されている芝地が立入禁止で近寄って、観ることができなかったが、今回はどうかしら? 今回も、芝地にはロープが張られていたが、本田明二作品の前だけは像の近くまで行って、間近に観られるようになっていた。これはありがたかった。隣に博士の胸像も3基立っていたが、こちらは近づけないので、遠目で見て、おわり。さて、改めて、イチョウ並木を通り、緑溢れる北大キャンパスを散策する。芝地には野の花も多く咲いている。気持ちいいな。大野池の前を通り、ポプラ並木まで歩く。ポプラ並木は近づくだけで、散策はできない。並木前の花木園には、山本正道による新渡戸稲造の胸像がある。エルムの森を経て、クラーク博士胸像を観て、中央ローンを歩いた。

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本田明二《母子像》(1986.11.22設置)。財団法人協済会が創立65年を記念し、建立、北大に寄贈した。


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イチョウ並木


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ここがいちばんタンポポが咲いていた。


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花木園の、《新渡戸稲造博士顕彰碑》(1996/1996.10.7設置)。制作は山本正道。北海道大学札幌農学校創立から数えて120年になるのを記念して、新渡戸稲造博士顕彰碑建立事業会が建立。


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ポプラ並木


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《ウィリアム.S.クラーク胸像》。現在のクラーク胸像は2代目。初代像は田嶼碩朗(たじませきろう)の制作で、1926年5月14日に建立されたが、1948年6月に例によって供出された。田嶼の残した石膏原型をもとに(田嶼は1946年没)、1948年10月、再鋳造して再設置された(鋳造は加藤顕清が監修)。(以上、Wikipediaの「クラーク像」の項を参照した。)

  • 次の目的地は知事公館だが、ルートは決めずに適当にふらふらと歩いた。30分くらいか。途中、北海道自治労開館前の本田明二作品(再訪)や、偶然に行き当たった市立札幌大通高等学校東南の丸山隆作品などを観て、知事公館に9:00頃到着。ここも再訪だが、ここのところ、開園時期が合わず、訪ねたのは久しぶり。今の時期は8:45から庭園を散策することができる。庭園にいくつか野外彫刻が設置されているだが、見落としていた流政之作品がここでのお目当て。

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北海道自治労会館前の、本田明二《朔風》(1980)。北海道自治労会館竣工記念。


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北海道市立大通高校・東南角の、丸山隆《記憶素子「丘」・「森」》(1989)。とぼとぼ歩いていたら、目の前にぱっと現れた。写真2枚目の奧にあるのは「北海道庁立札幌高等女学校記念碑」。


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知事公館庭園。正面の建物が公館。


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知事公館庭園の、流政之《サキモリ》(2000)[写真1枚目の右側]と同《サキモリ》(2002)。ともに北海道立近代美術館蔵。


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知事公館庭園の、安田侃《意心気》(1990-91)[北海道立近代美術館蔵]。


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知事公館庭園入口付近の、《残響 村橋久成胸像》(1983/2005.9設置)。制作は中村晋也。村橋久成胸像「残響」札幌建立期成会による。村橋久成(1842-1892)は鹿児島出身で、箱館戦争では政府軍の軍監を務め、その後、開拓使に出仕し、北海道の産業の礎をなした。村橋の生涯を描いた田中和夫『残響』(1982)で多くの人に知られるところとなり、1983年には中村晋也によって胸像が制作された。2004年に期成会が発足し、翌年、胸像がこの地に設置された。(主に説明板による)

  • 続いて、隣の北海道立近代美術館へ。9:30の開館まで、野外彫刻を観て回る。コレクション展を観覧。510円。中でもお目当ては、近時収蔵した蠣崎波響作品を中心に、個人所蔵の作品も含めた「風雅の人 蠣崎波響展」の前期展。他に、「ざわめきの中へ 謎めくコレクションの打明け話」、「拝啓、藤田嗣治様 −フランク・シャーマンと藤田、戦後の交友をめぐって−」などを観覧。

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北海道立近代美術館・エントランスロビーの、ブールデル《力》(1918-1923)。これでようやく道立美術館4館(札幌、函館、旭川、帯広)に設置されているブールデル作品を全作掲載することができた

  • JR北海道バスで、近代美術館前バス停から札幌駅まで戻り(210円SUICA)、札幌発11:03発の岩見沢行きに乗った。11:21野幌に到着。360円SUICA

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札幌駅南口の、流政之《TERMINUS》(2010)。


つづく

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札幌芸術の森のその他の野外彫刻と札幌芸術の森美術館、他 彫刻放浪:札幌→江別[第1日](5)

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札幌芸術の森10周年モニュメント(1996.8.2設置)
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上部の彫刻、山本正道《森に憩う》
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台座には、札幌芸術の森の建設と運営に多な公園をした板垣武四と東條猛猪の肖像レリーフ(山本正道制作)
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そして、川邨文一郎の詩、「森よ」が彫られている。


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マルタ・パン《浮かぶ彫刻・札幌》(1986)。いちばん大きな作品の繋留具が修理中で、仮に緑色のロープで固定してあった。


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伊藤隆道《空と地の軌跡》(1986)


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五十嵐威暢《Komorebi》(2018)。製作は株式会社双葉工業社。


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和泉正敏《石のやさしさ》(1999-2000)


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和泉正敏《ゆくえ》(1999-2000)


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和泉正敏《内と外》(1999-2000)


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丸山隆《ひとやすみする輪廻》(1986)。観るたびに思うのだが、輪の中に置かれた石も作品の一部なのかな? それとも、誰かが勝手に置いたのかな?

  • 澄川公園の《拓魂》

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鶴田徳郎《拓魂》(1980.10.5設置)。澄川開基100年記念事業実行委員会による。


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澄川公園のベンチ。


つづく

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